636.4-22「試行錯誤」
〈――〝気配〟、来た!〉
〈〝錯覚系統〟、気をつけてね!〉
エルトによれば、戦場において、基本的に〝錯覚系統〟はほぼ無敵。
視界を経由するもの。音を経由するもの。触覚を経由するもの。細かく分類すればまだまだあるそうだが、その全てを戦いにおける一瞬で探り当てるのは不可能。
厄介なことに、〝未来視〟とは相性が悪い。
〝錯覚系統〟の魔法は、相手に直接作用するもの――影響を受けたときには、すでに魔法は使い切った後なのだ。炎が放たれたり雷が降ってきたりするのとはわけが違う。
ゆえに、対策方法はただ一つ。
〝錯覚系統〟の〝ことだま〟が発する細微な〝気配〟を感じ取ること。
熟練の魔法使いでも難しいというが――キラは魔法使いではない。〝気配面〟を得意とする〝覇術〟使いである。
クロエとの模擬戦の直前、エルトが考案した〝弐ノ型・気配汲み〟を使えば。厄介な錯視も幻聴も怖くはない。
めまいのように体が傾いたとしても、こらえればいいだけだった。
「――ッ!」
無敵の〝錯覚系統〟を、なぜ戦場では主力とできないのか。
単純な話、難しいためである。
リリィやクロエほどの騎士でも、〝錯覚系統〟を使うその一瞬は全神経を注がねばならない。動きが止まり、思考も止まり、〝間〟を敵に与える。
それだけの効果が期待できるが――逆を言えば、効果が薄ければ敵にチャンスを与えるようなもの。
今まさにキラは、〝気配〟を読むことで反撃の狼煙を上げたのである。
「――〝光よ〟!」
しかし、相手はクロエ。近衛騎士〝総隊長補佐〟。
懐に踏み込み、抜刀体勢に入ろうとも、それで勝ちが確定するわけではない。
彼女は焦りを押し込みながら、物理的に視界を切ってきた。
〈くそっ……! 〝気配〟わかったのに!〉
〈キラくん、冷静に!〉
完璧にとは言えないが、〝気配汲み〟により目眩しを回避できた。立ちくらみで体勢が崩れそうなところを、グッと堪える。
だがこれで、目も〝未来視〟も使えない。
〝気配汲み〟で鋭敏になった感覚に、〝未来読み〟の技術を掛け合わせる。
多彩な音を聞き分け、微弱な風を肌で感じ――迷いなく動く。
「くっ……!」
クロエの放った光は、全てに平等に作用する。
たとえクロエ本人だとしても。
それを、逆手に取る。
間合いをはかり、ギリギリを攻めて、抜刀峰打ち。
逆光の中で煌めく刃は、さぞ心臓に悪かったろう。
クロエが息を呑みながら、ざっ、と大きく後退する。
そこで、キラは逡巡した。
まだ目は開けられない――〝未来視〟で先を読めない状態――距離を置かれればまた〝錯覚系統〟が来る――数秒、視界のない状態で接近戦を継続できるか。
選択肢はない。
突っ込む、一択。
「目を閉じながら――ッ」
〝気配汲み〟がクロエの魔法の高鳴りを告げてくる。
ひときわ強い〝気配〟に、キラはしゃにむに回避し――直後、〝炎〟が放たれる。
扇状に広がる、広範囲の制圧魔法。
ゴウッ、と高熱が駆け抜け、冷や汗を流した。
「容赦ないね……ッ」
「それはお互い様でしょう!」
クロエは、回避によりできたタイムラグを見逃さない。
そんなことは、キラも〝未来読み〟など使わずとも把握できた。
ようやく元に戻った視界で、状況を読み取る。
うつ伏せに倒れ込んだ体勢では碌な情報を拾えなかったが……端に映る僅かな動きで、先を知る。
接近戦は危険と判断したのか、魔法で畳み掛けるつもりだ。
〈キラくん……!〉
〈わかってる! この一手だけ防げれば――!〉
〝気配汲み〟があろうとも、どんな魔法が来るかは見当もつかない。
だが。この状況。クロエの心理。ここまでの流れ。ルール上の決着。
全てを加味すれば――例えば風の砲丸のような、スピード重視の直線的な魔法で攻撃することは明らか。
そこでキラは立ち上がりながら〝呼吸〟を深め、〝気配汲み〟を己に向けた。
「〝コード〟――」
理屈や理論をすっ飛ばして、ほぼ感覚で〝雷〟を汲み上げる。
「〝パルスインパクト〟!」
〝風〟ではなく、〝氷〟ではあったが。クロエは、やはりスピード重視の魔法で仕掛けてきた。氷の塊が、いくつも飛来する。
それに対し、キラは右手を突き出し――目にも見えない〝雷〟の衝撃波で吹き飛ばした。
が。
氷を砕くのと同じくらいのインパクトが逆流し、キラもまた吹っ飛ばされてしまった。尻餅をつき、背中が地面にぶつかり、後頭部を経由して、うつ伏せに倒れる。
〈くぁ……! 失敗した――やっぱ感覚掴めてない!〉
〈なにぶっつけ本番でやってんの!〉
うまくすれば流れを手繰り寄せることができたものの、一転、窮地に陥る。
一瞬、クロエの動きが止まる。
ただ、それも本当に一瞬。
次なる魔法を繰り出してくる。
濁流が、地面を飲み込みつつ、迫ってきた。
「〝コード〟……!」
〈またっ?〉
「〝インパクト〟!」
今度は冷静に。今度は落ち着いて。今度はもっと簡単に。
そう思ったはいいが、やはり土台のない感覚頼み。
濁流の勢いは殺したものの、今度は弱すぎた。全てを弾くまでは維持できず、ずぶ濡れになってしまう。
「うぇ……」
ずんぶりと浸かった気持ち悪さに嘆くのはそれだけにしておく。ぶるぶると頭を振るう余裕もない。
立ち上がり、〝呼吸〟を整え、駆け出しつつ、〝未来視〟を使う。
〝気配汲み〟とは段違いの精度で、クロエの先を読むことができた。
広範囲の〝風〟の魔法を使い、土を巻き上げつつ時間を稼ぐつもりだ。モタモタしていると、また距離を取られる。
なんとしても接近戦に持ち込まねば。
そのためには――。
「ホっ」
〝センゴの刀〟の切先で、地面を引っ掻く。
濁流の魔法でぬかるんだ影響で、いとも簡単にめり込み——クロエに向けて、泥を跳ね飛ばすことができた。
「……!」
魔法に神経を注ぐ瞬間を狙ったのだ。たとえ猫騙しであろうとも、一瞬の猶予を作るだけの効果はある。
事実、クロエは反射的に泥を避け、魔法の〝気配〟が少しだけ緩む。
キラはそのまま大股に接近し、〝センゴの刀〟で太刀筋を放った。ギンッ、と金属音が散り、鍔迫り合いになる。
「やっと近づけた……!」
「これはなかなか……! 困ったものです!」




