633.4-19「恋……」
「あれ……? クロエ?」
鎧を着込んでいないクロエは新鮮だった。
ワイシャツにパンツスーツときっちりとしてはいたものの、首元のボタンは一つ外れていたり、長い袖を七分袖にまで捲っていたり、所々ラフさが垣間見える。
左の腰に下がっている愛用の剣さえも、いつもとは違った印象があった。
職場へ向かう時のリリィとどこか似ているところがある。
片目を隠すほどに長い前髪は、月をあしらったヘアピンで留められている。セレナを経由して渡したプレゼントは、彼女のプライベートの一つのアクセントとして輝いていた。
「お久しぶりです。……キラくん」
「……くん?」
「知らない仲ではないですし、そうお呼びしようかと……。その、あなたが良ければ」
「そりゃあ、もちろん。呼び捨てでもいいのに」
「そ、それは、まだ……もう少し慣れなければ」
「そう? クロエも何か本を?」
「え、ええ、まあ……」
図書館の受付は、四人体制で回していた。
入館サインの他にも、本の貸し出しの管理や、資料の保管場所を教えてくれるらしい。ライカとヴィーナは、二人一緒に〝世界新聞〟が陳列されている箇所を聞いてくれている。
そしてクロエも、何やら本を探しているのか、彼女の前に司書の姿はなかった。
「それより……。キラくんは一体何を?」
遠回しにライカとヴィーナのことを聞いているのだと分かった。
ヘアピンを指先で調整しつつ、二人をちらちらと視線を送っている。その様子は、先ほど顔を合わせた時と比べて、随分と不満げだった。
〈そういえば……。クロエちゃんも引っかけてたよね、キラくんの〝魅了〟で〉
〈言い方。正直、そんなにあってないはずだけど……。〝接触〟あったのかな〉
〈ってか、キラくんってば、会うたび会うたび怪我してるから……。そりゃあ、色々とあるでしょうよ〉
〈……なあんもいえない。どうしよ〉
〈責任取るしかないわね。いい子よ?〉
〈それは分かってるよ。美人だし、かっこいいし……。けどさあ……シリウスさんにも釘刺された通り、そこらへんはきっちり考えないといけない気がする〉
〈真面目〜。別に良いと思うんだけどなあ。そんだけ考えられるんだから、勢いで行っちゃっても。私もいるしさ〉
〈それが逆に、ってことは考えたりしない……?〉
〈もうっ。私が良いって言ってるんだから良いの! シリウスと私、見てるものも聞いてるものも知ってるものも全然違うんだから!〉
そうはいうものの、ヒトの目があるこの場において何かアクションをかけるわけにもいかず……モゴモゴとしていると、グリューンが口を出した。
「別にお前の考えてるようなもんじゃねぇよ、片目金髪」
「……その妙な呼び方、やめてもらえますか。キラくんに悪影響です」
「過保護かよ。つうか、分かるだろ。お前なら」
「……? ……!」
その一瞬で、クロエの顔つきは近衛騎士〝総隊長補佐〟のものとなった。
グリューンがいる意味、ライカとヴィーナがいる意味、そして今いる場所……全てを掛け合わせて、瞬時に答えを導き出していた。
「なるほど。それでは……」
クロエが仕事の顔を覗かせたその時、彼女を担当していた司書が席に戻ってきた。
「サーベラス様、お待たせしました。ええっと、恋――」
「はあっ」
二転、三転。クロエの顔つきが変わった。
それまでキリリと引き締まっていたのが、途端に崩れる。
耳まで真っ赤になって焦り、かと思うと、ギラリと司書の方へ顔を向ける。
彼女としては睨むつもりはなかっただろうが、整った顔つきなだけあって司書は泣きそうになっていた。
目にも止まらぬスピードで受付の机に身を乗り出し、クロエがこそこそと耳打ちをする。
と、受付もそこでようやく何かを察したのか、怯えていた表情をニマリと緩め、コクコク頷いた。
「おほん……。場所だけ、教えていただければ」
「ええ。では……こちらです」
「ありがとう」
さらさらと書かれたメモ書きをそっけなく受け取り、胸ポケットに仕舞い込む。
何の本を調べていたのだろうかと気になったものの、キラは余計なことは聞くまいと空気を読んで口を閉じていた。
そこで、同時にライカとヴィーナも受付を済ませたらしく……。
「さ、いくわよ……って言って良いのかしら?」
ライカがクロエの顔色を窺って聞いた。その顔つきをみるに、すでに公人として挨拶は済ませているらしい。
クロエも自己紹介をするということはなく、ライカの視線を受けて話を振った。
「実を言うと、キラくんに少し話がありましたので。なので、ご一緒しても?」
「ええ、もちろん」
クロエは、まるで要人警護とでもいうように、律儀に二人の案内を始めた。その身のこなしは公爵家の教育の賜物であり、隅から隅まで上品。一流の女性執事にすら見える。
「今回は何をお探しに?」
「〝世界新聞〟をちょっとね。本当は図書館じゃなくてもって思ったんだけど……さすがは〝王立図書館〟。過去の記事まできちんと保管されてるらしくって」
「いつも購読されているので?」
「そ。もともとヴィーナが熱心な読者でね。文字を教えてもらいながら読んでたら、いつの間にか日課になっちゃったの」
「なるほど、それは素晴らしい。ぜひ、見習いたいものですね」
三人のあとをついていくことにしたキラは、ちらりと振り返るクロエと目があって、思わず苦笑いした。
げし、とグリューンにも軽く肘を入れられる。
「言われてんぞ」
「ず、ずっと前からね……」
「俺が教えてやっても良いぜ?」
「や、だって、それは……。見た目が間抜け」
「どっちにしろおんなじだろ」
「あー、あー……。そういえば、前来た時は迷ったんだよね」
「話変えるの下手かよ」
「ぐ……。でさ。大学の方に迷い込んじゃって」
「あ? 関係者以外入れないだろ?」
「やー……。それが学生と間違われたっぽくって。渡り廊下通る時、確か警備員もいたけどそれも素通りだったんだよ」
「それ、大丈夫なんだろうな……?」
「まあ……たぶん。リリィが叱ってたし……僕も怒られた」
「そうだろうよ」




