613.3-31「誇り」
キラはリリィと二人きりで、月を見ていた。庭に出て、旅用の麻のシートを広げて、並んで寝そべる。
夏の蒸し暑さも忘れてしまうほどに心地よい風。雲ひとつない夜空に浮かぶ満天の星々。虫がぶんぶんと雰囲気を壊すものの、リリィの魔法のおかげで近寄りはしない。
解放感ある快適さを、キラもリリィもたっぷり味わっていた。
「明日にでもお買い物行きましょう。明日だけと言わず、明後日も明明後日も……。一緒にお買い物をして、金銭感覚を身に付けては?」
「それがいいかも……。ああ、そういえばさ。竜ノ騎士団の試験に向けてセドリックとドミニクの訓練を見てるんだけど。セドリックがちょっと魔法に使えるようになって、ドミニクの近接戦も様になってきたんだよ」
「劇的な進歩ですわね……! 騎士団に入るだけならば、〝黄昏事件〟のときのお二人のままでも大丈夫でしょうが……その先を見据えるとなれば、よりステップアップしなければなりませんもの」
「まあ、まだ足りないとこ色々あるんだけどね」
「キラの基準で考えてはいけませんわよ。引っ張り上げるのではなく、寄り添わねば。二人が己で考え、進化の方向を定めることが重要ですわ」
「おー……。さすが〝元帥〟だ」
「――。キラだって、〝てんじんさま〟ではないですか。色々聞きましたわよ?」
「うぅ……。僕の知らないところで……。リーウたちは『自分たちが勝手にやってる』って感じで押しつけられはしないんだけど……これからそういうのが増えるのかなあ」
リリィならば慰めるなり宥めるなりしてくるのかと思ったが……彼女は何の反応も示さなかった。
気になって頭を傾けてみると、ほぼゼロ距離で目があう。
澄み渡るような青い瞳に、キラは自分の間抜けな顔を見た。ずっと横顔を見られていたのかと思うと、嬉しいやら恥ずかしいやらで、どんな顔をしていいのかわからなくなる。
しかし、なぜだか彼女の綺麗な瞳に釘付けになる。くっきりとした眉にも、スッと通った鼻筋にも、白い肌にも、色艶やかな唇にも、目が向かない。
彼女の整った顔立ちの中でも、その青い瞳が一番に美しかった。
だからこそ……少しずつ濁り始めるのが、手に取るように分かった。
「リリィ……?」
「色々な人から、聞きました。しかし、何があったかは、まだ深く聞けていません」
「何が……っていうと?」
「〝帝国改革の日〟とされた日。キラが帝国城に乗り込んだものとは存じています。——そこで、何があったのか。教えてくれはしませんか?」
帝都で久々に再開した時。
帝国の船で出航した時。
船旅の最中の釣りの時。
ふと二人きりになった時に、リリィは何やら悩むことがあった。
何か聞きたいのだと雰囲気で悟ったが……本当のところ、何を聞きたいのかまで理解できていた。帝国城でのことは、これまで不自然なくらいにひとつも触れていないのだ。
当たり前と言えば当たり前の問いかけに、キラは今まで逃げていた。
リーウにつきっきりで看病され、〝奇才〟レオナルドに話を聞いてもらい、その上でリリィと再会して……傷から血が漏れぬように、蓋で覆うことはできた。
しかし、癒えてはいない。
否。治してはいけない傷とすら思っていた。
付き合いも短く、もしかしたら世間一般的には知り合い程度なのかもしれないが――ゲオルグともサガノフとも、バカを言い合って、互いを頼りにした。
その過去の上で対立し、彼らの友達であるダヴィードをその目の前で葬ったのだ。
許されざる事実である。その経緯も含めて。
美談になどしてはならない。
ゆえに。
「まあ……。あったよ。色々」
「教えては……くれないのですか?」
「――うん。僕の口からは、何も言えない。リリィも、何があったかは見当ついてるんじゃない?」
「ええ、それは……。けど、わたくしは……!」
「僕も、リリィの立場だったら『話してくれても』って思っちゃうけど……。でも、言わない。――今話したら、怒りと不甲斐なさで頭がおかしくなる。そんなんじゃあダメなんだよ……覚悟をぶつけてくれたゲオルグたちに泥を塗る」
「――わかりました」
リリィは、瞬きひとつせずに頷いた。瞼を閉じてしまえば、涙が溢れてしまうとばかりに……一心不乱に見つめてくる。
それが怒りなのか、悲しみなのか。よくわからない。
だが……〝全てを、妥協なく、救済する〟。その理想を持つ彼女にしてみれば、あの時の決断は間違っていたのだろう。
〝憧れ〟への道は潰えてしまったのかもしれない。今更ながらにそのことに気付いたところへ……。
「キラは、間違っていませんわよ。絶対的に」
「むゅ……?」
リリィが、ぎゅむ、と両手で頬を挟んでくる。頬の肉がぐっと持ち上げられ、視界が半分なくなる。
ただ、ずず、と鼻を啜る音は聞こえた。
「理想とも、離れてなどいません。どんな戦いにも、死はついて回ります。わたくしは、それをなくしたいのではなく……救けることを諦めたくはないのです。キラも、そうだったのでしょう?」
「……うん」
「そこに、妥協はなかったはずです。その結末がなんであれ――それを、キラが受け入れたのです」
「…………うん」
「誇ってくださいな。己が傷つこうとも、目の前にいる誰かを一番に思った自分を……! でなければ、きっとその出来事をずっと〝傷〟として抱えねばなりません。そんなのは、誰あろう、あなたの〝友達〟が許しません!」
「………………うん」
「その〝誇り〟を胸に、戦いに挑むべきです。その〝誇り〟を胸に、次に繋ぐべきです。それが唯一最大の報いとなります」
「――わかった。……わかったよ」
ぴと、と額をくっつけてきたリリィに、キラは深く感謝した。




