607.3-25「平和」
「なるほど……! 世の人々の不安を晴らすのは、〝聖母教〟の使命! 不肖、このマルティン・イグレシアスがその役目を担いましょう」
イグレシアス卿のその申し出は意外だったらしい。ニコラは目を見開くだけで、呼吸も忘れて驚いている。
どうやらエルトにしても想定外だったようで……。
〈わ……。もしかしたら、これ……歴史に残る出来事に居合わせたかも!〉
〈へえ……〉
〈ちょっと! もうちょっと喜んだり驚いたりしたらどうっ?〉
〈どう、って言われても……。そんなにすごいんだとしか〉
エルトが「わかんないならすっこんでて!」と言わんばかりに凄んできたのを感じ取り、キラは静かにニコラたちの様子を伺った。
「ありがたい申し出ですが……。良いのですか、イグレシアス卿」
「むろん、一生涯というわけにはまいりませんが……。この街にはふさわしい聖職者が必要です。経験と忍耐と覚悟とを併せ持った者でなければ、到底務まらないでしょう。その点、私であればお力になれる自信がございます」
「それは頼もしい……! ぜひ、そうしてくださると嬉しい限りです」
「ただ、一つ二つ申し上げておきたいのが……。私も何年と居続けるわけにもまいりません。長くて一年ほどでしょう。なので、若い聖職者を育てねばならないということ。この街の若者が就いてくれればそれが一番なのですが、状況も状況……よそから連れてこなければなりません」
「ええ。そうですね」
「それに、私も枢機卿の立場にあります……今申し上げている全ては、教皇猊下に却下されれば白紙に戻ります。私個人としても、今までにない決断を下している状況ですから、これからどうなるかは未知数。ゆえに、少しでも可能性を高めねばなりませぬ」
「なにか……手立てが?」
「ええ。エステル様です。金銭に固執していたり、〝教皇の御息女〟という地位を利用したりと、時に損をするほどに強気な性格ではありますが……昔から、父君のように世界で一番正しく在ろうとしています。間違いなく、私の案に賛同してくださるでしょう」
「ふむ……。エステル様は、現在王都にご滞在でしたね?」
「ローラ三世女王陛下が視察から戻ってこられるまでは、王都を満喫されているはずです。とは言っても、かなりの出不精でエグバート王城を歩き回るにとどまっているでしょうが……。それはともかく――私も一度王都に向かい、エステル様に直接提案したいと思うのです」
特に話を聞かずとも、ニコラがイグレシアス卿の考えに同意したのがわかった。
話の成り行きが定まったことで、キラは二人から意識を逸らし、何やら楽しげなリーウたちの様子を観察した。
どうやら天井の掃除には、〝もふもふボール〟とやらを使うらしい。
エルトによると、エルトリア家のメイドがよく使う掃除方法であり、毛糸と綿を組み合わせたボールで埃を巻き取るのだ。
〝毛糸の魔法〟でつなげたボールを天井にぶつけるようにして投げ、その〝繋がり〟を駆使してコロコロと転がす。
リーウはいとも簡単にやってみせたが、手練れの魔法使いのはずのレニーたちでさえも苦戦していた。
もちろんセドリックは一つもうまくいかず、埃をかぶるばかり。
その一方で、ドミニクはたった数回でコツを掴んでいた。リーウほどにスムーズに動かせないものの、レニーたちよりも明らかに効率よく天井の掃除ができるようになっている。
やはりというか、彼女の魔法の才能はリーウに匹敵するようだった。
〈キラくん……。やっぱ、ドミニクちゃん、どう考えても異常だよ〉
〈魔法の上達が、ってこと? それいうならリーウだって似たようなもんじゃん?〉
〈いいや……。だって、リーウちゃんは帝国城で育ったようなもの。でもドミニクちゃんはそうじゃない。魔法は〝魔法現象〟を操る技術――数学と同じように、しっかりとした学問の上で成り立つものなの。赤子が自然と立って歩けるようになるとか、そういうものなんかじゃないのよ〉
〈んー……。何が言いたいの?〉
〈ドミニクちゃんはほぼ確実に〝ユニークヒューマン〟だってこと。きっと〝フェアリータイプ〟……それも、とびきり血の濃い〝純血種〟〉
〈……。なるほど〉
〈けど、〝マモノのクスリ〟が放つ〝気配〟には、全く気付いた様子がなかった〉
〈ってことは――〉
〈使えると思う。キラくんの策。ニコラくんも乗り気だったし……。あとは、ラザラス様に相談だね〉
〈けど、そしたら……。〝マモノのクスリ〟って、いったい……〉
〈それは、我らが王国の〝キサイ〟に任すほかないね〉
第九師団〝師団長〟エマ。話には聞くものの一度もあったことのないその人物について、キラは詳しく聞こうと思った。
が、イグレシアス卿が声をかけてきたため、不自然にならないように彼の方へ目を向けた。
「このような頼み事も無礼かと存じますが――キラ様に護衛をお願いしたいのです」
「護衛……? それはいいですけど……」
「ああ、それはよかった……! 安心してくだされ。冒険者としてのあなたに依頼をするのですから、きちんと報酬はお出しいたします。では、さっそく午後にでも出立を……」
「ああ、でも瓦礫撤去の依頼がまだ……。あと三日分くらい残ってて」
その戸惑いにはニコラが答えを出してくれた。
「安心してくれ。私がネイサン殿に話を通しておこう。まあ……あのヒトはああ見えて厳しい実業家だ。報酬はだいぶ減額されるだろうが」
「おー……。まあ、でも……イグレシアスさんから依頼があるなら、その分いいのかな……?」
〝黄昏事件〟の時といい、エルトに帝都へ連れ出された時といい、キラとしては三度微妙な形で冒険者の仕事を終えることとなったが……。
とにもかくにも。
「そうだ。街の名前が決まったぞ、キラ殿」
「なんて名前です?」
「古くから〝パクス・エグバート〟という言い回しがあるのだが、そこから借りて――〝奇跡の街〟パクスと名乗ろうと思う。キラ殿たちの活躍もあるが、あの戦いに参加したもの全て……死した者たちも含めて勝ち取った〝平和〟なのだから。どうだろう?」
「いいと思います。悩んでた割にはまとまりましたね?」
「折衷案が妻から出てね。この街を救った英雄たちを讃えるならば、街の名前にするのではなく、〝行政街〟にモニュメントを造った方がいいのではと……。〝平和の鐘〟をつくり、そこに君たちの名前なり意匠なりを刻もうと思う。で、街の名前には、皆で掴み取ったものを表したというわけさ」
「ああー……。なるほど」
「いやとは言わないでくれよ? 私たちは、結局君たちに何も恩返しできていないんだ。せめて、君たちが〝英雄〟だった証をこの地に刻まねば気が済まない。他にも色々と考えているのだが……もう皆パクスを離れてしまったことだし……何かアイデアを」
「ま……まあ、まあ。もういいんじゃないですか?」
「だめだ」
「ンン」
エマール領リモン改め、〝奇跡の街〟パクスの誕生を祝うかのように……何事もなく、事件は終息したのである。
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