601.3-19「直接」
〈〝聖母のタリスマン〟……だっけ。高い位の人しか持てないっていう……〉
〈そ。私も直接目にしたのは数回だけ。普段は国を出ないヒトしか持たないから……。でも、こうして改めて見ると……〉
〈エルトも気づいた? コレから、妙な〝波動〟を感じる〉
〈うん……。魔法を込めた道具なんてこの世に存在し得ないはずなんだけど……。どういうことだろ〉
何より〝聖母のタリスマン〟が持つ圧倒的な存在感に目が釘付けになり……手を伸ばしかけたところで、イグレシアス卿が声を顰めて言った。
「出てきましたぞ」
その警告にハッと我に帰り、キラはタリスマンから視線を引き剥がした。
酒場〝シャンパン〟は、〝市民街〟の隅にある。
活気のあふれる大通りから離れた場所――大通りから脇道を何度も経由し、裏路地を抜けてようやく見つかるような場所である。街の外から回った方が早いくらい。
川に寄り添うようにしてぽつんとあり、その裏口から一人出てきた。
暗くて見えづらいものの、店内から漏れ出る光を頼りに目を凝らせば、あのウェイターであることがわかる。
誰かを待つように川辺に立ち、葉巻を取り出しゆっくりと燻らせている。
「……あの様子ですと、キラ様を待っている様子ですな」
「ですね……。この暗さだと、〝センゴの刀〟は気付かれることない……けど」
金を借りに行くという約束のため、〝センゴの刀〟を堂々と持っていくことはできない。
そういうこともあって、ニコラから借りたソードベルトを剣帯代わりにして、少し無理やり刀を背負っている。紅色の下緒を左手に緩く巻き付け、いざという時の戦闘準備もバッチリ。
もともと店内に入ったと同時に戦闘を始める予定だったが……外で取引を行うとなると、話が変わってくる。
〈中の様子を……。〝気配視〟で……んー……〉
〈……キラくん。〝弐ノ型〟使いすぎて、〝一ノ型〟の感覚忘れてるでしょ〉
〈ぐ……。だって、〝一ノ型〟とか言いながら使う機会が無さすぎるから……〉
〈言い訳しない。こうやって会話できてるのだって、〝一ノ型〟なんだから〉
〈あれ、そうなんだっけ……?〉
〈ほら、『キラくんはいつも〝覇術〟を使ってる』説。今こうして話してるのも、限りなくゼロに近い〝一ノ型〟を使い続けてるからなんだよ。だから、〝呼吸〟をほんの少しだけ深くするだけ――ほら、早く〉
エルトに急かされ、キラはほんのわずかに〝呼吸〟を意識した。
〝弐ノ型〟の〝呼吸〟のタイミングはそのままに、普段と変わらないくらいに浅く呼吸をする。
すると、以前よりも〝血因〟の動きをくっきりと把握できた。ゆっくり、ゆっくり、体の内側を循環していく。
〝弐ノ型〟ほどは強くはないものの、周囲の〝気配〟を如実に感じ取る。空気に溶け込んだ気にすらなり……周りのありとあらゆる鼓動を把握することができた。
〈あ……〉
〈どうしたの?〉
〈いや……。前にエルトが使ってた〝空梟〟……今なら使えるかもって。押し広げる感覚っていうの、解った〉
〈――確かに。〝血因〟の動き方が……なんか、洗練されてる〉
キラはその感覚の勢いのまま、酒場〝シャンパン¥zの様子に集中した。ヒトの気配が透けて視える。
「五……六人。でも奥行きが……」
そこでキラは瞼を閉じ、酒場まで広がった感覚に頼った。ぼんやりと、頭の中でイメージが膨らんでいく。まるで空から見下ろすかのように、〝気配〟を数えることができた。
店内に五人――うち二人は、おそらくバックヤード。
残る一人が、川辺にいるウェイターの近く。位置からして裏口から伺っているような形である。
「待ち伏せされてる……?」
「キラ様……。今、何かされましたか? 魔法を使ったようには思えなかったのですが……」
「え? あ、ああ、まあ……似たようなものを」
「ほう……。さすがは〝天神教〟の主。お見それしました」
イグレシアス卿が隣にいるのをすっかり忘れていたキラは、どきどきとする心臓を押さえながら、そそくさと立ち上がった。
「じゃあ、行ってくるんで……。ほんと、何かあったらすぐに逃げるように」
「かしこまりました。キラ様も、お気をつけて」
それまで見張っていたことを悟られないように、キラはあえて酒場〝シャンパン〟から離れた。雑多に並ぶ家屋の合間をぬう小道に出て、くねくねとした道順を辿る。
小道が行き着く先は、ほぼ街の外。空き地のようなそこに〝シャンパン〟は構えていた。
特に気配を隠すこともなく、普通に酒場に近づく。
すると、砂利を踏み締める音に気づいたのか、ウェイターが店の裏手から姿を現した。
「いらっしゃいませ」
あたりの暗さと店から漏れ出る光とで、青年の顔には濃い影がかかっている。
声や口調は昼間と同じではあるものの、闇に埋もれた顔つきからは奇妙な視線を感じた。
〈バレてるなあ……。何かと〉
〈だね。店の裏で仕掛けてくるかも〉
頭の中の会話を表情にして出さないよう細心の注意を払いつつ、キラは青年に声をかけた。
「あの、昼間の……。約束を」
「ええ、存じておりますよ。ではこちらから……。一応、店の方は閉まっていますので」
案内をしてくれる青年に素直に従う。正面の入り口の右手から、川に沿うようにして裏へ回り込む。
そこでキラは、〝弐ノ型〟に入った。
青年が今まさに開けてくれようとしている扉。
そこを潜れば、待ち構えている一人が間違いなく襲ってくる。そうやって店の中で決着をつける腹づもりだろう。
敵は、約束を守るふりをして、誘い込むつもりなのだ。
ならば。
〈今〉
その誘導が成功する直前。
一瞬であろうと、僅かであろうと、気の緩みを見せたその瞬間こそが好機。
エルトに言われずとも――キラは背中から〝センゴの刀〟を鞘ごと抜き去り、青年に襲いかかっていた。
青年を扉に押し付け、素早く鞘で左腕を固めて拘束する。
「さあ――色々話してもらうよ」
「チッ……! 気づいてやがったか、クソが!」
「っと、暴れるね。下手すると首飛ぶから、気をつけて」
鯉口を切って少しだけ抜き身にし、〝センゴの刀〟の冷たさを首元に押し当てる。僅かに動いただけでもプツリと肌に食い込む。
じんわりとする暑さの中、流れる血の冷たさで死を感じ取ったらしい。青年は暴れることは無くなった。
とりあえず、一人確保――そう思っていたところ。
「開けろ!」
「んえ――ッ!」




