600.3-18「足がかり」
「お困りのようでしたら、お力になれるかもしれません」
キラはちらりとウェイターの方へ目をやり――そこで、視線を動かすことができなくなった。
〈ン……。これ、かかったかも〉
〈適当に話を振って気を引いて、〝錯覚系統〟で釘付け。で、次は例の個人面談に突入かな〉
エルトのいう通りに、青年は話を進めていた。じっと見つめてくる青い瞳から目を逸せない。
「ここだけの話……。有望そうな方達にお声がけをして、融資を行なっておりましてね。特に、冒険者の方たちは……。特に、この街の状況を知ってなお、遠路はるばる訪れたというのは尊敬に値します」
「そうかな……?」
「はい。ですので、私どもといたしましても協力をしたいのです。なので条件はただ一つ――この街に貢献をすること」
そう言いながら、青年は流れるような動作で一つの小袋を渡してきた。
周りには見えないように、カウンターテーブルの下に隠すようにして握らされる。
「詳しいことはまた後ほど。そうですね……。日が暮れてしまいますが、当店の閉店時間後にお越しください。今お渡ししたのは前金のようなもの……場合によっては、更なる融資も致しますので」
それまでゆっくり時間をかけて話していたのが嘘のように、ウェイターはその場からさっさと立ち去ってしまった。問い返す暇も与えないくらいに、そっけない。
キラは手のひらにある金の入った小袋をぎゅっと握り締め、ポケットに入れてから立ち上がった。シャンパンはまだ残っているものの、そそくさと店を出る。
〈ああ……。変な感じだった……。あれのほうが酔う〉
〈あの青年くん、声を出してなかったのに言葉が聞こえたね。十中八九、〝錯覚系統〟……口の動きに注目させることで、声が聞こえたように錯覚しちゃったんだ。さあ……彼はどこの誰なんだろうね〉
〈足掛かりはできたんだ……今日の夜にわかるよ。それよりさ……〉
〈うん?〉
〈これは、トラブルに巻き込まれたうちには入らないよね? ちゃんとやるべきことをやったんだからさ〉
〈ん〜……それはどうだろう?〉
〈えっ〉
〈ふふ、うそうそ。これくらいで怒るくらいなら、リーウちゃんあたりが縄で縛って手元に置いてるよ〉
〈なんか……笑えない。似たようなことやられたし〉
〈あれはキラくんの自業自得だよ〉
ケタケタと笑うエルトに答える気力もなく、キラはふらふらと帰路に着いた。
キラが悪党たちへの取っ掛かりを掴んで教会へ帰ったのと同時に、セドリックとドミニクはニコラから作戦を託されて戻ってきた。
もともとニコラたちは、〝市民街〟に蔓延りつつある金貸しの問題を重要視し、竜ノ騎士団の力を借りるつもりだったらしい。
そのために情報収集に重きを置き、時間をかけてでも根絶やしにする計画を立てていたという。
だが、〝教団〟が蔓延った帝都とリンクする現状に危機感を覚え、早急に手を打つことにした。
すべきことは単純明快。
ほぼ黒と判明した酒場〝シャンパン〟と、〝シャンパン〟従業員が出入りする宿屋に、同時に攻勢をかける。
それで全てが終われば理想。
たとえ他に漏れがあっても、組織的な動きを抑制することができる。
その間に竜ノ騎士団に依頼すれば、悪党たちは保身のためにも大人しくするか、あるいは街を離れるかしかない。どちらにしろ、街の裏側で闇社会が育つのを阻止できる。
問題は、同時制圧を達成するにはかなりギリギリな戦力であるということ。
街中で決行するということもあり、それこそ〝エマール領武装蜂起〟の時のような大事にはできない。静かに、速やかに、敵を取り押さえることが求められる。
それができるのは、現状三人。
イグレシアス卿を護衛していたレニーに、〝連絡課〟秘書官として働くイアン・サワーズとシドニー・マコール。
実を言うと彼ら三人は、元国王ラザラスの計らいのもと派遣された優秀な人材――事務仕事から荒事まで、幅広くこなすことができるという。
この三人を軸にして攻めたいものの、他に動けるのは四人……すなわち、キラ、リーウ、セドリック、ドミニク。
そのうち三人は対人経験が未熟であり、『できるだけ手早く』『なおかつ静かに』『大事になる前に制圧』『殺さず生け取り』という数々の条件を念頭に置いて動けるほどではない。
そこで……。
〈あっち、大丈夫かな……〉
〈大丈夫だよ。信頼しなって、友達をさ〉
〈けど……〉
〈リーウちゃんたちが相手にするのは、突入組のレニーくんたち三人が取りこぼしだけ。キラくんの圧力にも屈さずに訓練続けれたあの三人なら、たとえ二人同時に相手しようとも大丈夫よ。っていうか、そもそもキラくんが提案したことじゃん。いい加減、他人に信頼をおきなさい〉
〈こういう時だけ……。わかったよ〉
作戦に動けるのは七人。
それに対して、落とさねばならないのは二か所。
そこでキラが提案したのは、『〝シャンパン〟での怪しい取引』を最大限に活用すること――すなわち、一人で酒場を制圧することだった。
もちろんリーウたちは反対したものの、レニーを含めた〝連絡課〟の秘書官たちはすんなりと受け入れた。どうやら彼らは〝英雄の再来〟にまつわる話の全てを知っているらしく、全面的に信頼してくれた。
そうして今に至る以上、エルトの正論は深く刺さった。
盛大にため息をついて苛立ちを吹き飛ばしたいところだったが……今はそれはできなかった。
なぜなら。
「ドキドキしますね……!」
日がとっぷりと暮れた中、酒場〝シャンパン〟を観察できる建物の物陰に隠れているのは、キラ一人ではなかった。
おそらくはそれが正しい姿であろう真っ黒な神父服を着込み、イグレシアス卿が同じように腰を落としてコソコソとしている。
とはいっても流石に老人……その姿勢はだいぶきつかったらしく、一分とたたずに尻餅をついてしまった。
「あの……。ほんと、ここで見てるだけですからね?」
「ええ、わかってますとも。お噂はかねがね、と申しました通り、キラ様のお強さは存じております。しかし、お一人では何かあったとき咄嗟に対応できないこともありましょう。私、こう見えても魔法は得意中の得意ですゆえ、奇襲的にお救い致します」
「けど……。いざとなると人も死にますよ?」
「なるべく避けてほしい事態ではありますが……目を瞑ります。善く生き、正しく在るためには、相対する何者かと決着をつけねばならぬときもございましょう」
「おお……。柔軟だ。でも、危ないと思ったらすぐにここを離れてください」
「承知しています。それに、何かあっても私には〝聖母さま〟がついております」
イグレシアス卿の首元には、農夫の格好をしていた時には見せなかったタリスマンがかかっていた。




