589.3-7「息吹」
それから一時間とたたず旧エマール領に到着した。
敷かれた街道に沿って馬車を進めればいいため、これといって迷うことなどない道のりではあるが……到着した一瞬は、そこがどこかわからなくなった。
というのも、旧エマール領はがらりと様変わりしていたのである。
到着したのは、正確には旧エマール領〝リモン〟の北門付近。
シーザー・J・エマールを王のように慕うイカれた〝イエロウ派〟の集う街であり、まるで城のようなエマール邸が鎮座する場所である。
かつては、城を守るようにして〝貴族街〟が取り囲み、その周りに〝労働街〟が必死にしがみついていた。エマール家の庇護下にある貴族たちに蔑まれながらも、労働街市長であるシェイク指導の元、常に希望を見出していた。
その全てが、過去になっていたのだ。エマール家が支配していたことも、彼に付き従うもの以外は蔑まれていたことも、それゆえに幾度も苦渋の決断を強いられていたことも。
城も壁も、街そのものも、全てが真っ平ら。
そこに、まだまだ規模の小さな街が誕生していた。元のリモンから考えると一区画分もないが、それでもこれから大きく発展していくであろうという命の息吹を感じられた。
「あー……。手紙では知ってたけど、想像以上だな。こりゃ猫の手も借りたくなる」
「労働街は……。北側は全滅だけど、南側はほぼ無事……。こうしてみると悲惨」
苦笑いしながらいうセドリックとドミニク。
しかしそんな二人とは対照的に、リーウは信じられないものを見たという顔つきになっている。
「一体……。何があったのでしょうか」
「んー……。まあ、色々」
キラは手綱を握って馬たちに合図を出しつつ、曖昧に答えた。
「帝都と一緒だよ。みんな、欲しい〝未来〟に命掛けたんだ。っていっても、最後ら辺はリモンで何があったか僕もよく把握してないんだけど」
「なるほど、反乱ですか……。街が半分無くなるほどとは……。衝撃的です」
「まあ、〝授かりし者〟が二人も絡んでたらね。正直、セドリックとドミニクが生き残ってるのが奇跡のように思えるよ」
そうやって馬車の中に話を投げかけると、セドリックが御者席の近くにまで移動してきた。
「あんときはエリックのことでいっぱいいっぱいだったけど……確かに、言われてみりゃあな。オーウェンさんたちも無事だったし」
「私たち、あのとき、地下に落ちたの。城の一部が降ってきて……」
「そうそう! あれは……ヤバかった。シスさんたちがいなけりゃ、パニックでのたれ死んでたな、実際」
「あれもよく覚えてる。リモンから逃げる時、一直線にエヴァルトさんに突進した巨岩の〝怪鳥〟……」
「ああ……? そこらへん、俺うろ覚えだな」
「あのとき、セドはほぼ気絶してたから」
懐かしそうに、しかし当時の恐怖を思い出したかのように、声を低めてやり取りをするセドリックとドミニク。
いかにリーウといえども、聞こえてくる会話の断片からは、その全体像を掴めないようだった。
「どうやら……。王国という国は、私が思っていた以上に規模の大きいようですね。〝元帥〟の力の一端は、リリィ様の船上での戦いで感じ取ったものと思っていましたが……」
「あ、あんまり参考にしない方がいいような気はする。あの〝授かりし者〟、かなりヤバめだったし……。〝元帥〟二人に〝師団長〟二人が駆けつけるような事態だったからね」
「……ちなみに、キラ様は何をしでかしたのですか?」
「そ、そんな人聞きの悪い……。ちょっと無茶しただけだよ」
じぃっと隣で見つめられ、キラは思い切って話を打ち切った。
「それよりも、さ。依頼内容、なんだったっけ? 依頼人はニコラさんじゃなかったよね。場所も〝隠された村〟とか〝ハイデンの村〟とかじゃなくって、〝旧エマール領旧首都リモン〟だったし」
「わかりました。あとで皆さんに聞いてまわります。依頼内容は……〝街の復興〟とだけあります」
なんとか良い言い訳を考えておかねば。キラはそんなことを考えながら、続くリーウの言葉に耳を傾けた。
「この惨状を見る限り、内容はその都度変化するのでしょう。無事な場所とそうでない場所とで作業内容は大幅に変わるでしょうし。それにこの更地具合です。建築より先になすべきことが多そうです」
「見たとこ、まだ力仕事が多そう……。更地って言っても、あちこち大きな瓦礫もあるし。ってか、竜ノ騎士団に頼まなかったのかな? 理由とか書いてあった?」
「いえ……。ただ、『〝銀製〟以上に限る』とだけ。複数のパーティ向けの依頼ではありましたが」
「ふん……? まあ、騎士団は王国全土に展開しなきゃいけないし、〝黄昏事件〟のこともあるし……。そう考えたら立て込んでる、と言えるのかな……?」
「さあ、どうでしょうか?」
困ったように微笑むリーウは、それだけで貴重だった。その可愛らしさは胸を締め付けるほどで、キラは息が詰まる思いすらした。
〈ねえ……。最初に手を出すのはウチの娘たちだからね?〉
〈は、母親公認ってのも、なかなかやばいよね……〉
絶妙なところでエルトが凄んできたおかげで、キラはなんとか正気を保つことができた。
「あー……。それにしても、力仕事かあ……」
「キラ様はあまり得意ではありませんか?」
「んー……微妙。帝都でもゴルスクって棟梁のとこで働いたんだけどさ。戦うのよりキツイ」
「お、驚きの感想ですね……。私も地下図書で戦いましたが、あのような緊張感は二度とごめんとも思いました。もう戦いたくないとか、そういう話ではなく……労働と戦いでは、比べるべくもなく前者の方があらゆる意味で楽なのではないでしょうか」
荷車をひくスペスペとゴルゴルの二頭は、ユニィとは違って勤勉に働いてくれた。
あの不思議生物とは違って体力もなく臆病だが、手綱で指示した通りにえっちらおっちら歩いてくれる。
「リーウさん、言っても無駄っすよ。キラ、相当変わってるんで」
「普通に真面目に働くのが一番」
「んん……。なんで三人して刺してくんの」
旧エマール領リモンは、その半分が消滅してしまっている。
それもそのはず。〝操りの神力〟を有するロキの桁違いの暴力に、〝闇の神力〟を持つブラックが正面から挑んだのである。
そこにさらに〝元帥〟セレナ、元帥クラスとも称されている〝師団長〟ヴァン、彼らに劣るものの実力者であるシスにエヴァルト……。それぞれが全力を出したとなれば、半壊で済んだのがむしろ奇跡に感じる。
あれから随分と時間が経ち、新たな命が芽生えるように、元〝貴族街〟に小さな街が誕生しつつある。
が、その激闘の爪痕はまだ色濃く残っている。
リモンを取り囲むようにして、瓦礫の山がいくつも出来上がっている。その一つ一つが三階建ての建物を飲み込むほどの大きさ。
二頭の馬が歩く街道は、二つの山の間へと続いていた。




