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~新世界の英雄譚~  作者: 宇良 やすまさ
第1章

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41.エグバート

   ○   ○   ○


 ローラ・エゼルバルド・エグバートは、とても急いでいた。

 風呂上がりのティータイムも、髪をとかす使用人の手も、近衛騎士総隊長の言葉すら置き去りにして、つかつかと廊下を歩く。

 まるで小説に登場する気丈な女傑のような振る舞いではあったが、彼女を突き動かすのは不安と恐怖と心配だった。

 ただひたすらに背筋を伸ばし、カツカツと足音を絨毯に染み込ませ、必死に抵抗する。


「お待ちを、ローラ様! ”式”は明日――陛下もそのための準備をしておいでです」

「クロエさん、とめないでくださいっ。帝国との政略結婚を押し付けられればどれだけ良いか――私に王位を譲るための即位式だなんて!」

「内密に! 事前に通達し申し上げたのは、陛下の配慮あってのこと。もしも皆に知られようものなら――王国の崩壊にも繋がりかねません」


 ローラは奥歯を噛み締め、ダンッ、と足踏みしつつ止まった。

 勢いよく振り向いて、近衛騎士総隊長クロエを睨む。しかし彼女は、眉も口元も目つきも、若くも厳格さの際立つ表情をぴくりとも動かさなかった。

 怒りに任せて口を開こうとして――ローラはむっとしてつぐんだ。

 父親の部屋に一直線につながる廊下に誰もいないことを確認する。窓から見下ろせる王都の夜の街並みは絶景で、ローラもお気に入りの場所ではあったが、今はそれどころではなかった。


「私はまだ十四で、それ以前に、第三王女なのです」

 クロエを見上げ、睨むような口調ながらも、かすれるような声で話した。

「王位継承権はお兄様方にあります。お二人とも文武に秀でています――何が不満なのでしょう」

「しかし、ローラ様も知っておいでです。リーバイ第一王子、レナード第二王子……お二方は互いを毛嫌いしております。いかなる理由であっても、どちらかが王位を次ぐことになれば……国はゆらぎましょう」

「そのような消去法で、政がうまくゆくとでも?」

「そうではありません。急に式を執り行うこととなったのは、一刻を争う事態ゆえ――はじめから、陛下はこうなさるおつもりだったかと存じます」

「事態? はじめから?」

「私の口からは、なんとも。――ここまでくれば、陛下から直接伺ったほうがよろしいでしょう。何分、廊下では誰が聞き耳を立てているかわかりません」


 一転して、ローラは萎縮した。

 国王ラザラス五世。即位から三十年……初代国王エゼルバルド・エグバート以来、最も遅く戴冠した国王。それが、ローラの父である。

 奇抜ながらも効果的な政策を次々と打ち出す父王は、民からの信頼も厚く、王権抑止組織である”王国議会”ですらその手腕に頼っている。


 厳格で聡明で、それでいてユーモアがある。

 ローラも、おとぎ話のように昔の冒険譚を語ってくれる父が大好きだったが……一点だけ、どうしても苦手な面があった。

 それは……。


「む、ローラ女王! なっはは! なんちゃってな!」


 その底抜けなほどの考えなしなところである。

 父王は確かに聡明で決断力があるが、それは裏を返せば、独善的に意見を押し通してしまうということでもある。それなりに周囲のことも考えてはいるものの、基本的に一人で突っ走り……。

 自分の意見がすでに通ったものとし、それを前提とすることが多々あるのだ。


「父様。私はまだ納得していませんが……」

「うんっ? そうだったか? そりゃあ、すまん!」

 わははっ、という豪快な笑い声が、広い私室でもよく響いた。

 ラザラス・エゼルバルド・エグバート――ラザラス五世は、国王という風格と威厳をその体に一杯に詰め込んだような人物だった。

 腕も肩も太もも、更には首元まで。筋肉で覆われ、刃も通らないのではと思ってしまうほど膨らんでいる。

 その大柄な身体は肘掛け椅子には収まらず……腰掛けているのは、肘掛けのない頑丈そうな安物の椅子だった。


「そら、まだ夜は寒い、こっち来て火に当たりなさい。――クロエも! おまえは昔っから融通がきかん」

 扉をくぐっていたローラは、クロエが部屋に入らず待機している姿に気づき、迷わずにその手首を掴んで部屋に引き入れる。

 そうして、暖炉前に並んだ長ソファに近衛騎士総隊長を押し込み、ローラもその隣に座った。


 対面する形で、父王が椅子に覆いかぶさるようにして座っている。

 真っ白に染まった髪はさっぱりとして切りそろえられ、あごひげも艷やかに白く光る。顔中に刻まれたシワは、いつもはその威厳さ際立たせるのだが……今はなぜだかニッコリとした笑みを強調していた。


「どうかしましたか、父様」

「いいや、なんでも――ただ、やはりローラはワシの娘と再確認したまで」

「……? はあ」

 要領を得ずにぼんやりとした返事をすると、父は愉快そうに吹き出した。同時に、隣で座るクロエがこっそりとため息をつく。

 そんな二人の様子にムッとし、ローラはじろりと父を睨みつけた。


「何がなんだかはわかりませんが、それよりも。理由も知らせず、『明日から王様だ!』などと……私は、てっきり真面目なクロエさんを使った冗談かと思いました。口調まで真似させるだなんて……!」

「……。ローラ様。そのことは、どうぞ、お忘れください」

「ぶぅわっはっは! まさか本当にやるとは! 見てみたかった!」

 ひぃこらと笑い転げる現国王。民も”王国議会”も想像だにしないだろう愉快がすぎる姿に、ローラは怒りを通り越して呆れ果てた。

 ふん、と鼻から息を抜き、腕を組んで背もたれに身を預ける。

 少ししたところで、父王もハマったツボから抜け出したようだった。


「はあ、はあ……笑うの、疲れる」

「それだけ笑えばそうでしょう。それで? 真意をお教えいただけるのでしょうね?」

「娘の目が痛い……」

 なおもふざける父をじっと見続けていると、観念したように息をついた。肩の力を抜きつつも、腕を組む。膨らんだ筋肉に添えられる手は、わずかながらに震えていた。


「父様が王の座をいかに大事になさっているかは、私とてよくわかっています。それだけに、何のつもりで私に王位を譲るのか……帝国との戦争が間近に迫っているのですよ?」

「だからこそ、内密なのだ。聡明なるわが娘よ」


 なぜだか。

 そのたった一言で。

 何もかもを悟ったような気がした。

 父王は――。


「父さんはなあ。昔は、ぜんっぜん駄目な男でなあ――親友には”放蕩息子”だの”七光”だの。まあ罵倒されたものよ! んん? 今もか? ふっふ!」

 いつもとは少しばかり違う父の笑い声に、ローラはハッとした。背筋を伸ばし、ふざけ半分な言い方に口を挟むことなく、じっとして言葉を聞き入れる。


「知ってるか? 父さんは、第三王子だった。だからこそ、『王位を継ぐわけがない』と好き勝手やっていたのだ。着の身着のまま……王都を飛び出して冒険にすらでかけたことがある!」

「それは何度も聞きましたよ。『親友との出会いの物語だっ』て」

「そう! そして、いまや英雄となったあいつの原点でもある――かもしれん。だが、これだけは確実だ……父さんにとっては、あの出会いこそが全てだった」


 父王の口調は変わらなかった。少しばかり調子に乗った少年のようで、顔中のシワを寄せてニコニコと笑っている。

「ローラにたっぷり聞かせたように、あいつに出会ってから多くの体験をした。そして、今から三十年前――『お前が王だ』とおまえのじいちゃんに言われた。齢四十の国王の誕生だ」

「そういえば、今まで冒険譚にばかり気が行って聞いたことがありませんでしたが……なぜ”遅咲きの国王”と呼ばれるほど年をとって戴冠を? それも、王位継承権が低いにも関わらず……」

「これが困ったことに……説明のしようがない。ローラ……おまえが王女となる覚悟を決めてくれないことにはな」

「では聞き方を変えましょう。なぜ、私なのです? 父様が国王となった理由と同じなのですか」

「うむ」


 深くうなずき、それ以上は言葉を添えない父王に、なぜだかローラは目頭が熱くなった。

 腕を組んで、不敵に笑みを浮かべる姿。この部屋で冒険譚を聞くときの姿そのままだ。

 父のその様は話に聞く海賊のようで、格好良くて……しかし、今目にしているのは、傷つきながらも懸命にこらえる王様だった。

 それに気づいてなお、その背中に隠れるのか――考えるまでもない。


「私……」

 緊張でからからになった口で、そのまま続ける。

「王の座、謹んでお受けいたします。国のため、民のため、道のため……王として精進して参ることを誓います」

 言葉を最後まで聞き届け、ラザラス五世は釣り上げていた口端をわずかながらに緩めた。同時に、踏ん張るように張っていた肩からも、わずかばかりに力が抜ける。


「わっはっは! さすがは我が娘よ!」

 暖炉の炎をも揺らすぐらいの笑い声が響く。

 いつもの様子にローラはホッとし……すると、隣で座っていたクロエがつと立ち上がった。

「部屋の外で待機しています」

「む? いや、クロエ、おまえもここに残っておれ」

「そうですよ、クロエさん。お外は冷えますよ? 護衛なら私達のそばが一番です」

「えぇ……。私に心休まるところはないのでしょうか……」

 何やらぶつぶつと呟くクロエに、ローラは父と顔を見合わせて首を傾げた。


「クロエよ。これからかねてより進めていた作戦を実行に移すのだ。後で伝えるのは手間な上、漏洩の危険もある」

「……御意」

「それと、明日の即位式は取りやめだ――なにより、この父の前ではっきりとした声明を出した。クロエという証人もおるし、代々こうして王位を継いできたのだから、”聖母教”も目をつむってくれるだろう」

「……また教皇庁からくどくどと文句を言われてしまいますよ。『我らが神に示しがつかない』だの『ちょっとだけでいいから”普通”というものを知ってくれ』だの『心臓が持たない』だの。私も共感する部分が多々ありますが」

「わっはっは! ウケる!」


 目に涙を浮かべて大笑いするラザラス五世に、クロエはため息を隠さなかった。もう良いと言わんばかりに首を振り、黙りこくってソファに腰を下ろす。

 そんな様子にローラは必死に笑みを噛み殺し……ふう、と息をついて口を開いた。


「父様。このタイミングでの王位継承は、やはり帝国との戦争が関係しているのですよね?」

「うむ、まさしく。この先、戦争がどんな結末を迎えようとも……我らエグバート王家は、約千年前より続く”使命”のために、なんとしても生き延びねばならん。その血とともに……」

「使命? 血?」

「だが、これは最悪の選択。国が支配され、民が蹂躙され、それでもそういう選択をしなければならんという話。此度の王位継承は、その備えに過ぎん」

「はあ……。なんだかその言い方では、王位よりも”使命”とやらが大事に聞こえますが」

「まっこと。そのとおり。本当ならば、王家以外の優秀な人間にも頼るべきものだが……誰にでも共有などできないのが現状。かの竜人族以外は……」

「ますます訳がわからなくなりました……」

「今はそれで良い。――つまり何が言いたいかといえば」


 父王――元エグバート国王は、組んだ腕をほぐし、前のめりになって言った。

 その姿勢は、冒険譚を熱弁する際、最も白熱した思い出を語るときのものだった。

「おまえには、一世一代の大勝負に挑んでもらう。伸るか反るかの緊張感――ああ、まったくもって羨ましい!」

 何をするのかは分からなかった。

 しかし、何かをなさねばならない。

 それが頭の中だけではなく、血がめぐるように全身で理解し。

「なんだか……ワクワクしてきました」

 血は争えないのか、ローラは奮い立つ気持ちが抑えられなくなっていた。


   ○   ○   ○


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