191.4-10「未熟さ」
昼食をとったところで、キラはリリィとセレナと共に”騎士寮”に隣接した訓練場へとやってきていた。
昼食の際にこそっと響いたエルトの言葉で思い出したのだが、元々キラも騎士団の訓練に用があったのだ。怪我も前提とした戦い方――これがいかに論外なことかを知るために。
すでにコリーから『怪我をしないことの大事さ』を聞いてはいるが……だからこそ、確かめざるをえなかった。
怪我をしないとどれだけ有利に立ち回れるのか。
そして、仲間とやらがどれほどのものなのか。
「――しかし、本当に大丈夫ですの? その体で模擬戦などと……」
少し卑怯かとは思ったが、”魅了”に頼れば彼女たちの了承を得ることも容易かった。
ただ、リリィもセレナも、訓練場についた今となっても模擬戦に否定的で……その様子に、キラは少しばかりの安堵を覚えた。
「大丈夫だよ。そんなに無理はしないつもりだし、いざとなったらリリィとセレナがいるでしょ?」
嬉しそうにはにかむリリィに罪悪感を覚えて、視線を逸らす。
目の前に広がる訓練場は、かなりの規模だった。”騎士団地区”の四隅の一角を利用しているのだが、外壁が親指の爪先に隠れてしまうほどに低く見える。外壁のそばで訓練しようものなら、その場所に辿り着くだけで時間がかかってしまうだろう。
それほどの広さだけあって、セレナの集合の合図によってゾロゾロと騎士たちが集まってしまっては、訓練場を持て余しているとさえ感じてしまった。
「訓練中のところ集合をかけて申し訳ありません。二名ばかり、志願者を募りたいと思いました」
癖のように整列して集まった騎士たちは、ざっと二百人ほど。他にも騎士寮から続々と出てきており、一箇所に集合した団体にギョッとするものもいれば、何事かも分からずにとりあえず合流するものもいる。
セレナはそんな彼らの様子を気にすることもなく、いつも通り、無表情で平坦に続けた。
「というのも、こちらにおられるキラ様のリハビリを兼ねて、模擬戦を行っていただきたいのです」
簡潔な説明に、騎士たちは戸惑いをあらわにした。
最前列にいた女性騎士がぴしっと勢いよく手を挙げる。彼女の鋭い視線を受け止めたキラは、あまりの迫力に思わず目を逸らしてしまった。
「私の思い違いでなければ、”キラ”という名前には聞き覚えがございます」
「ええ。貴女の思っている通りでしょう」
「では、リハビリとは? 確かに足取りが不確かなようですが」
「みなさんもご存知の通り、旧エマール領での戦いにキラ様も出陣なされました。想定外の状況に置かれ、ひどく傷を負い……つい先日、動き回る程度には回復されました」
セレナの棘のある言い方にぐさりとやられながらも、キラは反論なく黙っていた。
「お言葉ですが、セレナ元帥」
女性騎士がキビキビとした口調でいう。
「完治して間もない体で、ここにいる中から騎士を二人も相手するのは無謀なことと存じます。なにせ、ここは”西部騎士寮”――幹部候補も多く集まる寮なのですから」
女性騎士に賛同するように、しかし声を荒らげることなく、頷いて肯定する。皆、見下すような意図はなく、ただ純粋に己のプライドに従っていた。
彼らの様子を見てセレナは、
「そのくだらない見栄は何なのでしょう――廃棄物かなにかでしょうか?」
冷淡に切って捨てた。
一瞬だけ、空気が固まるような音が聞こえた気がした。誰も彼もが屈辱を強いられながらも、その瞬間に、竜ノ騎士団”元帥”の威圧感に押しつぶされた音だった。
「己の実力に酔うのは、その”候補”とやらが外れた瞬間にのみ限定することです。私やリリィ様は愚か、師団長にすら歯が立たぬ有様で……恥を知ることです」
女性騎士は屹然として立ち向かおうとしたが、恐怖で口が動いていなかった。
「キラ様は魔法を使えません。敵に立ち向かうのに携えるのは、師から譲り受けた刀一本のみ。その腕前だけで、帝国との戦争を、エマール軍との戦闘を、ありとあらゆる危機を乗り越えてきました」
騎士たちの視線が集まるたびに背中が痒くなってきて……キラはちらりとリリィの方を見てギョッとした。
彼女は、どこかの宗教の敬虔な信者の如く、しっかり深く頷いていたのだ。
口を挟むことすらできない雰囲気になっていき、キラはただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。
「たとえば。全身に火傷を負い、そのすぐ後に戦うことができますか。自らの意思で立ち上がり、敵を迎え撃つことができますか。――魔法を使えず、怪我を抱えたまま、一度に百の敵を相手取れますか」
騎士たちの答えは沈黙であり、セレナはため息をついた。
「仮に。幹部候補だからと、”西部騎士寮”所属だからと……これを敵が脅威だと思ったならば、その首を真っ先に狙うでしょう。立場や名が窮地を招くのです――半端は許されません」
セレナの断固とした説教は、反論をも圧し潰した。
もはや、騎士たちからあらゆる緩みが消えていた。己に対する過剰なまでの自信も、立場に対する優越感も、今ある環境への満足感も、全てが取り払われていた。
その分だけ空気が塊となり重くなった気がして……キラはヒリヒリとした空気感を肌で感じつつ、振り向いてきたセレナと目を合わせた。
「キラ様も、何か一言」
「……今の流れの後で?」
何という無茶振りかと絶句していると、とん、とリリィに背中を押された。それと同時に、心臓がわずかばかりに跳ねる。
やはり親子。その気遣いもタイミングも似通っていた。
それでもやはりさまざまな感情の入り混じる視線に晒されるのはなれず。キラは億劫な足を何とか動かしてセレナの隣に立った。
「あー……。何を言えば良いか……」
ちくちくと刺さるような視線に血の気すら引いた気がして……そこで、先ほどまでセレナに食ってかかっていた女性騎士がじっと見つめてきていた。
何かいいたげな顔つきをみて、キラは視線を合わせた。
「えっと……何かある?」
すると女性騎士は、ピンと背筋を伸ばして発言した。
「はい、さまざまありますが――一つだけよろしいでしょうか」
「うん。答えられることなら」
「では。なぜ、今更に模擬戦なのでしょうか」
「今更?」
「英雄殿は、伝え聞く噂以上の実力を有しているものと思われます。先程のセレナ元帥のお言葉然り、リリィ元帥の態度然り」
キラはチラリと隣をうかがい、そこでセレナがいないことに気がついた。振り向くと、リリィと一緒になって深くうなづいている。
なんという他人事な態度かとため息をつきつつ、女性騎士に向き直る。
「あの……。その前に、英雄殿っていうのはちょっと……」
「しかし……」
「英雄っていうのは、ランディさんみたいな人だから」
「――は。かしこまりました」
セレナと話していた時とは打って変わって素直な様子の騎士は、キビキビと続けた。
「では、キラ殿。『今更』と申しましたのは、先ほどもセレナ元帥が言及されていました通り、我々はお相手を務めるほど実力がありません」
「いきなり卑屈じゃん……」
「事実ですので。聞くところによれば、リリィ元帥と一対一で勝利したとか……」
「まあ、魔法なしの勝負だったし、リリィも本気出しきれてないところもあったし。でも、それが……?」
「我々は、光栄なことに元帥に直接指導をしていただく機会があるのですが……複数人でかかっても、一度たりとも窮地に追い込んだことさえありません」
確認のためにリリィの方へ振り向くと、彼女は何ともわかりやすい態度をとっていた。
胸の下で腕を組み、わずかに背中をそらして誇らしげにしている。簡素なワンピース姿から甲冑姿に着替えたとはいえ、その豊満な胸は主張してやまない。
子どもらしささえ残る様子に苦笑して、キラは騎士の方へ視線を戻した。
「まあ、僕も条件次第では太刀打ちできないし。そういうものだよ。――それに、今回の模擬戦は、自分の実力を図るためとか、リハビリのためとかじゃない」
「はあ。それでしたら、なにゆえ……?」
「最近、色々と気づきがあってね。特に――仲間っていうものが、どういうものかを知りたいんだよ。ちょっと前に協力して戦ったんだけど、ダメダメだったから」
「よくご無事でしたね……?」
「まあ、リリィがきてくれたし……それに、協力した人が異常に頑丈だったからね」
納得したようにうなづく女性騎士をみてから、キラは他の騎士たちの様子を伺った。みな、静かに闘気をみなぎらせ、今に手を挙げて立候補する勢いだった。
そんな騎士たちのやる気に、キラは少しばかり考えて……思いつきで提案した。
「じゃあ、模擬戦なんだけど。ここにいる中から二人、一番連携が取れていると思う人を選んでみてほしい。で、そのあとは――」
言葉を続けようとしたところ、背後の方から鋭い声が割り込んできた。
「ダメですわよ。一戦だけの約束のはずです」
「う……。リリィ、やっぱダメ?」
「当たり前です。それに、共闘というのがどういうものかは、外から見て気づくことも多いはず。――その後の戦いは、わたくしが引き継ぎますわ」
一瞬だけ、キラは空気がざわりと揺れ動いたのを感じ取った。
集まった騎士たちが、いきなり視線をきょろきょろと泳がし始めたのだ。その様はどこか逃げ場所を求めているかのようでもあり……リリィに聞かずにはいられなかった。
「なんかすごく怯えてるけど、大丈夫?」
「平気ですわよ。こんなことでへこたれる”幹部候補”でも”西部騎士寮所属”でもありませんもの――ねえ?」
的確に未熟なプライドを刺された騎士たちは、反論することすらせず……リリィの言葉に各自頷いてから、逃げるようにして輪になって代表二人を決める話し合いを始めた。




