177.3-11「刺激」
無事に議会が終わったことで、ラザラスはほっと息をつき……それから無意識にうなっていた。
「……いかがされましたか?」
学生三人に幾つかの注意点を告げていたへーラが、耳ざとく聞いてきた。うんざりとしたように頬がひくつく様は、ラザラスも何度も見た覚えのあるものだった。
「いや、な? もうちっと、こう……刺激が欲しかった」
「国の方針を定める場です。刺激は求めてません。誰も」
キッパリと答えるへーラに、円卓に集う者たちが苦笑する。
すると、それまで黙って議会の進行を見守っていたローラ三世が、先手を打って問いかけてきた。
「あの、もう議会はおしまいですよね? 何がご不満で……?」
「ああ、先程の議題にはなんら問題はない。だが――人間、こうもクソ真面目な話題だけでは息が詰まるとは思わんか?」
娘が可愛らしく首を傾げるのとは対照的に、へーラが顔つきをさらに恐ろしくしていた。
「言葉遣いを訂正し、もう一度おっしゃってください」
「つまり、だ。鬱屈とする会議の中にあっても、楽しみは必要ということだ」
「……して?」
「察しが悪い。帝国との同盟関係を結んだのだぞ――これを強固にすべく催し物でも考えるところだろう?」
「今の流れで?」
つい素に戻って突っ込んでしまったへーラは、一瞬後に恥ずかしそうに咳払いをし……しかし時すでに遅く、円卓を囲む代表者たちは頬を緩めていた。
へーラは一際大きく咳払いをしたのちに、ギラリとラザラスを睨みつけて言った。
「議会で進めるべき事案とは思えないのですが」
「何をいう! 先ほどヒース卿も申していたであろう。エマール領での事件は公表することはないが、人の口に戸は立てれんというし、疑心暗鬼を引き起こす可能性もある。――ならば! 一刻も早く帝国と親睦を深めるべきと思わんか? 帝国を敵としないためにも」
ラザラスが力説している間、へーラは胡散臭そうに顔を顰めていたが……しばらくすると、ハッとして神妙な顔つきをした。
そして、それまでとは打って変わって、至って真面目な態度で、
「そうですね。私も同感です」
と肯定した。
「何か壮大な勘違いをしておらんか?」
「はて……?」
「まあよい。――ここで一つ、ワシから良き案があるのだが」
言葉を切って、皆が乗り気になって耳を傾けるまで待ってから、言葉を続けた。
「現帝国皇帝ペトログラードと王都でパレードを開き練り歩く! 我ながらナイス案なのだが、どうだろうか」
ラザラスの突飛な発想は嵐を呼んだものの。
少しすると、円卓につく者皆が乗り気になって、三日間のうち最も白熱した議論が展開されることとなった。
〇 〇 〇
エグバート王城”ウラキ門”を潜ってから、キラはリリィと共に馬車をおりていた。
リーアムからは城内を案内すると聞いたのだが、そうはならなかったのである。
というのも……。
「あれ? 君は……」
美しい甲冑を身に纏った麗人が通りかかったのだ。彼女は馬車の存在に気づくや、リーアムに対して仰々しいほどの態度で挨拶を交わし、車内に向かってやはり礼儀正しく頭を下げた。
「そういえば、まだ自己紹介はしておりませんでしたね。クロエ・サーベラスと申します。以後、お見知り置きを」
「あ……どうも。えっと、キラ、です」
そうやってしどろもどろに挨拶をして、御者を務めてくれたリーアムへのお礼もそこそこに、去りゆく馬車をリリィとクロエと共に見送ったのである。
「珍しいですわね、クロエさん。わたくしが訪れる際は、いつもローラ様のおそばにいらしたのに」
「復職して、近衛騎士総隊長”補佐”と役職が変わりましたので。その影響です」
「補佐、ですか。では隊長は……もしや、ラザラス様?」
「はい……」
「苦労しますわね?」
「いつものことです。リリィ様こそ、珍しいですね? お会いする時は必ず剣を携えていましたが。……しかも、殿方と一緒に」
「ふふ。婚約者ですもの。デートに剣は無粋でしょう?」
「デート先にエグバート城を選ばれるとは。感服いたします」
言葉を交わすほどに、微笑む美女たちの間で何やら見えない火花が散りだした気がした。
キラは二人の声の調子や言葉の選び方に若干の変化を感じつつ、ヒヤリと汗を流しながら口を挟んだ。
「ま、まあ、今日はなんというか……僕のリハビリに付き添ってくれてる感じ、なんです。二人ともラフなのは、そういうわけもありまして……」
「下手ですね、敬語」
「う……。随分直球で……」
「私は気にしない方なので、硬くならないで大丈夫ですよ。……リリィ様に接するのと同じ感覚でお願いしたい」
「わかったよ……」
隣にピッタリと立つリリィの鋭い視線を感じながらも、クロエの脅迫めいた言葉には頷かざるを得なかった。
何やら妙なことになりつつあることを察知して、話題を変えてみる。
「それで……クロエは何を? 散歩……っていう格好じゃあないよね」
「訓練です」
「へえ……。……こんなとこで?」
キラは思わず辺りを見回した。
エグバート城を囲む高い塀の内側に足を踏み入れると、ずいぶんと殺風景なところに出る。というのも、王城は小高い丘の上に聳えているために、坂を上がらねばならないのである。
当然、ウラキ門近くには王城につながる石畳の坂しかなく、あとは厩舎へつながる砂利道が丘をぐるっと回り込むようにして敷かれているのみである。
言ってみれば、何もない。
「いえ、私ではなく。彼らです」
クロエが視線を向けたことで、ようやくキラも『訓練』の意味がわかった。
王城へつながる坂。その中腹付近で走る兵士たちがいたのだ。
「うわ……。暑……」
思わず漏らした自分の言葉で、燦々と降り注ぐ陽の光の暑さを思い出す。
男性兵士も女性兵士も一様にタンクトップにカーゴパンツを着用し、だらだらに汗を流しながらランニングしている。
普通に走るだけでも体力の削られる炎天下の中というのに、そこにさらに坂道という負担が加われば、そのしんどさを推し量るのも容易だった。
「ス、スパルタですわね」
世界一と言われる竜ノ騎士団で元帥の地位につくリリィも、頬をひくつかせていた。じとりと浮き出る汗を、思い出したかのようにさりげなく拭う。
「騎士軍名物『地獄坂シャトル』です。本来ならば一年に一度の恒例行事なのですが、彼ら自身が『どうしてもメニューに組み込んで欲しい』と頼み込んできたのです」
「はあ。それはまた、なぜでしょうか?」
「先日のラザラス様のご活躍にあります。お一人で王城を取り戻してしまいましたからね……私も含め、皆思うところがあるのです」
「ああ、なるほど……」
「ただ、一つ問題が……。新しく加入した兵士ほど、トレーニングに打ち込む傾向にありまして。天候や自分の体調も顧みずに無茶をしてしまうことがあるので、こうして私が見回っていないと医務室の病床が埋まってしまうことになるのです」
そこで、”地獄坂シャトル”に挑んでいた兵士たちがちょうどよく目の前にまで駆け降りて来て……皆、思い思いに脱力した。女性陣は膝に手をつく程度で収めているが、男性陣は地面にへばりつくようにして荒い呼吸を繰り返している。
そんな彼らへ、クロエがカツンと踵を鳴らして言った。
「何を休んでいるのです? 全員、まだ十周以上残っているはずですが」
容赦のない声音に、キラもリリィもビクッと肩を震わせて、思わず背筋を伸ばした。
しかし兵士たちにはそれ以上の緊張感と恐怖だったらしく、文句を言うこともなく、全員が一丸となって掛け声と共に坂道を登っていった。
「スパルタ……」
「ご冗談を、キラ殿。あなたの積んできた努力に比べれば、霞むほどでしょう」
「え……? いや、訓練したことない……っていうか、筋トレ始めたばっかりで……。リリィに見つかって怒られたけど」
「え?」
クロエにマジマジと見つめられて、キラは思わずリリィの方へ目をやった。
リリィも何かに迷って様子で幾度か口を開きかけ……やがて、青い瞳に決意を込めて、クロエに一歩近寄った。
ぼそ、と耳打ちされた内容は、近くにいるキラも判別することができなかった。
ただ……。
「記憶を……?」
その言葉だけで、リリィが何を伝えたかははっきりとわかった。
キラが彼女を見つめていると、リリィはクロエに小さく頷きながら言った。
「事前の確認もせずに申し訳ありません。ただ、やはり誰かの協力を仰がねばと思いまして」
「ああ、いや、別に気にしてないよ。僕も、なんとなくグリューンとかローランとかに話してたし。セドリックはまだだけど」
「そうでしたのっ?」
びっくりするリリィにキラもびっくりし、クロエもびっくりしていた。
三人で顔を合わせて、いかにも間抜けな出来事に、ため息をつきつつ笑うしかなかった。
「さっきも言ったけど、リリィたちのおかげであんまり気にしなくなったから」
「なんだか釈然としませんわ……」
むうっと顔を顰めるリリィに対して、クロエが同じようにして唸っていた。しかし、それは彼女のつぶやいた言葉に賛同したからではなく……。
「帝国と話をつけてしまうほどの強さを持つ人物……。それほどの傑物が国内にいたならば、私の耳に入っても可笑しくはないのですが……」
聞いてはいけない何かを聞いてしまったような気がして、キラは気まずさを押し隠しながら、クロエのボソボソとした声に気づかないふりをした。




