176.3-10「元来」
「とある由々しき事態が、戦争中に起こった。ある程度見通しが立つまでその詳細を公表することはできんが……相応の対応が必要でな。この事態に対する証言をしてくれるであろう証人が欲しかったのだ」
「この証人が、帝国にいたと言うわけですね」
へーラの合いの手に、ラザラスは頷いた。
「その証人の名が、ロキ。帝国”軍部”に属する腕利きの軍人……”五傑”と呼ばれていた者だ」
この発言に対する反応はさまざまだった。
顔をムッと顰めて鋭敏に反応する者もいれば、話の要領を掴めず小難しい顔をする者もいる。対して事実のみを汲み取ろうとして静かに傾聴する者も、自分なりにメモをまとめて静かに唸る者もいる。
学生三人は記録を取ることに集中して、湧き出てきた事実に反応する余裕もないようだった。
そしてヒース卿は、目立ってはいなかったものの、鋭敏ではあった。
「戦争が終了し、”英雄の再来”たるキラ殿によって和平も確約したということで、証人たるロキへの接触を図ったのだが……これを帝国”軍部”に断られた。”軍部”にも聞きたいことがあるからといってな」
話を続けると、今度は皆、それぞれの反応を消して真剣になってくれた。へーラやローラも……。
気づいて欲しいところに気づいてくれないとは。思わずラザラスはため息を吐きそうになったが、それも仕方のないこととして言葉を続けた。
「が、つい先日のこと。昨日も散々議論したエマール領にて、ロキが姿を表したのだ。帝国”軍部”が何やら聴取中というにもかかわらずな」
円卓につく全員がピクリと反応したのは言うまでもない。
「この報告を受け、わしも早速帝国へ向けて文を飛ばしたが……『事実関係を調査中』との返答があった。まあ、これが”帝国の嘘”のざっとした内容だな。何か聞きたいことは?」
やはりというか、皆反応が素早かった。学生たち三人も、ピリついていく雰囲気を感じながらも、そろそろと手を上げている。
ヒース卿の表情も含めて、円卓を囲む者たちの顔を見比べ……利発そうな若い淑女を指名した。
「”嘘”と断定されているようですが、そうではない可能性はないのでしょうか? つまり、”嘘”と決定した状態で、国としての動きを決めても大丈夫なほどの確信がおありなのでしょうか?」
「ロキは”授かりし者”であり、その力は”操りの神力”。どういうわけか、エマール領では複数人のロキが確認されている」
「では、帝国にももう一人のロキがいると考えられるのでは?」
「なくもないが、限りなく低い……といったところが、わしの見解だ」
「その根拠は?」
「インコだ」
”エグバート王国王立都市大学”で教鞭を振るう若き女教諭は、その凛々しい顔つきをぽかんとさせた。他の代表者たちが見惚れてしまうくらいの愛らしさだった。
ラザラスは大笑いしたいのを堪え、足らない言葉を付け足した。
「報告によれば、ロキはインコを連れていてな。”操りの神力”で代わりにしゃべらせているらしい。このインコを連れたロキが、エマール領に現れたのだ」
「そ、そうですか……。しかし根拠としては若干薄い気が……」
「確かにな。ただ、もう一つ……帝国”軍部”にはまだ”授かりし者”がいてなあ。ブラックという名前なのだが、彼もまたエマール領に現れたのだ。ロキを狙って」
「仲間割れ……なのでしょうか」
「詳細はとんとわからん。が、敵対していたのは明らか。付け加えると、そのブラックは要人殺害の容疑をかけられて帝国を追われておる――”軍部”の話ではな」
「何があったにせよ、元々仲間だったのですから、間違えようもありませんね」
ラザラスがうなずいて見せると、女教諭は深々と頭を下げた。
そして次に指名したのは、三人の息子が竜ノ騎士団に在籍している中年紳士。自身にも厳しそうな厳格な顔つきをした男が、ハキハキと物申した。
「お話を聞いている限り、どうやら帝国は手綱を握り損ねた様子。ロキとブラックでしたか――強力な力を持つ二人の”授かりし者”の心を射止められなかったことこそ、帝国の罪と私は思うのですが」
少しばかり先走ったとも言えない質問に、へーラが顔を顰めた。
憤慨する勢いに任せて発言したのが、中年紳士の顔つきからも態度の変化からもわかり……しかしラザラスは、口を開こうとするへーラを手を上げて押し留めた。
「それについてはワシも同感だ。だが……この件については、少しばかり先送りにさせて欲しい」
「何故、とお聞きしてもよろしいでしょうか」
「忘れておるようだが……此度の戦争は”和平”という形で終結した。勝ちも負けもない……貴殿の言う帝国の罪とやらに、わしら王国がずけずけ踏み込むわけにもいくまい」
「保留にせよと? 王国内で、仮にも帝国軍に所属していた者たちが暴れていたというのに――」
「だが、その一方では」
ラザラスは押さえつけるようにして声を太く張った。
「王都が帝国軍により占拠された折、帝国兵士たちによる被害は皆無だった。二人の”授かりし者”の暴挙を見逃せないなら、こちらにも着目せねばな? ――我々は、長く戦争を続けてきた者同士として、友として手を取るという選択をしたのだ……恨みつらみはお互い様よ」
中年紳士の顔つきや体の仕草から見ても、納得はしていないようだった。実際に口を開こうともしていたが、ついに言葉を出すことはなく、席に落ち着く。
彼も、平民たちの支持を得て議会に出席するに至った者なのだ。いかに直情的になろうとも、道理や理屈を捨ててしまうほど愚かではない。
ラザラスはホッと息をつき……目を鋭く尖らせた。
ブロア・ヒース卿が、動いたのだ。
「議長、発言をお許しください」
へーラが一瞬だけ目配せしてきたのを感じ取り、ラザラスは腕を組んだ。
あらかじめ決めておいた合図を読んだ彼女は、いつもの通り極めて冷静な声で言った。
「くれぐれも、進行の妨げにはならぬように」
「はい。――ラザラス様、少しばかり話が脱線してしまうのですが、先程のお話と似たところがあるので進言したく存じます」
見た目通りの優雅な振る舞いをするヒース卿。
巷では”公爵家に最も近い男”と称されているらしいが、まさにその通りだとラザラスは思った。兵士出身のシリウスよりもよほど立派に貴族している。
それだけではダメなのが、シリウスのいる立場なのだが。
「帝国には何らかのペナルティを与えるべきかと、私は考えます」
「ほう? 罰ではなく、ペナルティと?」
「はい。確かに、王国と帝国は二百年もの間戦争をしてきました。七年前の王と防衛戦でかの”王国一の剣士”を失ったのは大きな悲しみですが……たとえ誰の命でも同じでしょう」
「うむ、まことその通り。戦争である以上、双方ともに被害は尋常ではない。戦のために死んで行った兵士は、誰かの親であり友であり子であった。命の価値とやらは、誰にとっても等しく重い」
「ですから、ペナルティを科さねばならないのです」
「というと?」
「此度のエマール領での出来事……いえ、あえて事件と大袈裟に言いましょうか。この事件は、これから先必ず同盟関係にヒビを入れる事態を招きます」
「……ふむ?」
「ロキとブラック、二人の”授かりし者”が、今は帝国を離れているかどうかは関係ありません。問題は、同盟関係を結んだのちに、帝国が王国を攻撃をしたように見える……ということです」
ラザラスは腕を組み、目を閉じて逡巡する。
ヒース卿がいうところの意味は、既に分かっていた。
エマール領での事件は、見かけは『帝国が王国を攻撃した』となってしまい、同盟関係にヒビが入りかねない。この事件の詳細が世間に知れ渡ってしまえば、王国民は少なからず帝国に悪い印象を持ってしまう。
だが……。
「言っておくが、ワシは事件とやらを公表するつもりはない」
「それは……隠し通す、と考えてよろしいのでしょうか」
ざわつく議会室の中、ヒース卿も皆と同じように困惑していた。
ラザラスはその様子をじっと見つめ……肩の力を抜いた。しかしながら、組んだ腕を解くことはできないまま、はっきりと答える。
「隠す隠さないの問題ではない。民が本当に欲しているのは、『もう安心だ』という事実一点のみ。その証拠に、我々は戦争の推移を詳らかに公表したことはない――これがどれだけ皆の不安を掻き立ててしまうか知っている故に。この件も同じということだ」
「しかし、それでは万が一の場合には……」
「それも同じことよ。今ある安寧のみが、事件も問題も過去のものとする――貴殿のいう”万が一の時”に、同盟関係が崩れることなく平和なのであれば、それが唯一無二の証拠となろう」
ピリつく空気も収まり、誰も何も反論することなかった。
ヒース卿もハッとしたかのような顔をし、次の瞬間には居住まいを正していた。彼の目は、邪推を挟む余地もなく純粋な敬愛の眼差しを宿している。
ラザラスはなおも腕組みを解かず、言葉をつなげた。
「まあ、”帝国の嘘”に関しては、このまま継続して対応を練っていかねばなるまい。帝国側も『事実関係を調査中』とのことであるし、下手に政治介入でもすれば藪蛇を突きかねん」
「では、この件に関しては保留ということでよろしいでしょうか」
誰かの意見が入る前にへーラが口を挟み、ラザラスはうなずいて肯定の意を示す。
へーラは続けて皆の意思を問い、皆もまた反論しなかったことで、ローラ三世が”保留”の採決を下して議会の終わりを告げた。




