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~新世界の英雄譚~  作者: 宇良 やすまさ
第1章

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17.エマール公爵

 大きな揺れで、キラの意識は浮上した。瞼を突き抜ける日差しが眩しい。

 がたりがたりと絶えず揺れる不快感は、しかし地震ではなかった。かといって自然の香り溢れる草原でも、ましてや馬上に寝転がっているわけでもない。


 そこは、安らぐような心地よさがあった。

 体は硬い板に押し付けられているようだが、頭は柔らかくも弾力のある何かにフィットしている。髪は撫ぜられ、頬や額にも滑らかな感触がやどり……。

 リリィに膝枕されていると分かったのは、薄目でちらりと様子を確認したからだった。


「エヴァルト、といいましたか。わたくしや彼の服、馬の鞍など、他にも色々と……再度、お礼申し上げますわ」

 リリィは麻でできた外套で体を隠していた。フードを目深にかぶり、首元から束となったポニーテールがちらりとのぞいている。

 彼女は鎧を失ってしまったのだ。だからこそ、柔らかい感触が頬に何度も触れる。ぼんやりとする頭でそんなことを思いながら、キラは再びまぶたを閉じる。


「んなっはっは! 美人さんにそういうてもらえるんは気分エエなあ! せやけど、馬車止めるためだけに剣で脅すんはアカンで。盗賊や思うてビクぅってなったわ! しかも声かけても一晩中無視!」

 リリィの言葉に応えたのは、ひどくなまった男の声だった。

 終始冗談交じりに話してはいたが、それらはリリィの心にずけずけ刺さったらしい。


「申し訳ありませんでした。その、焦っておりましたから……」

 彼女の恥じらいのこもった詫びに、男はあっけらかんとして言う。

「ええよ、ええよ。そないに旦那さんが傷だらけやったら、そら誰でも焦るわ。気にしなさんな、からかっただけやし」

「旦那……っ!」

 またも男の言葉は、リリィの心に刺さったらしい。はぁっ、と息を呑み、声が若干上ずっている。


「うん? そうか、そうか! まだ婚前か。なにあったかしらんが、めでたいっちゅうのに、たいへんやったな?」

「キラとは、まだ恋人でもありません。……まだ、本当にっ」

「ほう?」

「それに……わたくしには、解決しなければならない婚約者の問題が……」

「複雑そうやなあ。貴族のご令嬢と、そっちは……騎士見習いの少年か? 王国は身分の差別はないが、区別はきっちりしよるもんなあ」

「棘がありますわね」

「いやいや、ただの感想よ」


 少し、ほんの少しだけ……ざわつく胸騒ぎに、キラは眉をしかめた。

 目を閉じたままの暗闇にいては悶々としてしまい、鼻から息を抜きながら、瞼を開く。そうして、いつの間にかかすれた声で問いかけていた。


「リリィ……婚約者、いるの?」

「いいえ――え、キラっ? 起きていましたの?」


 リリィと目が合うや、彼女はぶわっと涙をこぼし始めた。ぐすりぐすりと鼻を鳴らし、体全体で覆いかぶさってくる。

 あまりにも唐突な感情の高ぶりと彼女の温かな体温に戸惑いつつ、キラはその背中を撫でようとした。


 が、腕が動かない。それどころか、どこもかしこも、ピクリともしない。

 頭を動かすのでさえ気だるく感じ……すると、押し付けられるリリィの体温と柔らかさと一緒に、服の中で何かがずれる感触がした。

 体のいたる所に、包帯を巻かれているのだ。半袖でむき出しの腕も、横たわっている床板の感触が直接あるわけではない。


「もう起きたんかいな。少年、動けるか?」

「いや……あんまり」

「せやろな。常人やったら、三日は寝て過ごす大怪我やからなあ。正直、一晩寝ただけで起きるとは思わんかったわ」

「一晩……?」

「せやで。そこのお嬢さんに剣向けられてなあ。暗い中やったから、盗賊と勘違いしてもて。けんど、その怪我見せられて俺も慌ててな。で、気絶してるうちに全部処置済まして、包帯ぐるぐる巻きにしといたんよ。痛いとこはあるか?」


 キラはリリィに引き寄せられ抱きしめられつつ、男に向かって応えた。

「全然、です。昨日より、大丈夫な感じがします」

「俺、いろんな日用品を売り歩いとる商人やさかい、包帯やら止血剤やらアヘンチンキやら、色々あってな? いやあ、こういう時に持つもんは持っとくべきやなあ」

「ありがとう、ございます」

「服もズタズタやったから、丁度いいもん見繕って着させたんよ。お嬢ちゃんも、なんやソワソワしよったから、いくつか婦人服あげてな? けどスカートは嫌っちゅうんで、男もんを選んだっちゅうわけよ。セーター、似合っとるとおもわんか。ズボンも。なんせべっぴんさん! 何着ても映えるんよな〜」

「え? ええ、そう、ですね」


「そらそうと、敬語ヘッタクソやなあ! そんな堅苦しくせんでええで。お嬢ちゃんには断られてしもたけど!」

「へた……」

「ああ、そうそう! 自己紹介がまだやったな。俺はエヴァルト。商人兼傭兵でな。君は? あ、知っとるけど、君の口から聞きたいねん」

 コロコロと話が変わり、更にまくしたてるようなエヴァルトの明るい口調に、起きたばかりのキラは到底ついていくことが出来なかった。

 ついに言葉が喉に引っ掛かったところ、リリィが助け舟を出してくれる。


「それほどまくしたてられては、混乱してしまいますわよ。彼はキラ――それだけわかっていれば十分でしょう?」

「んー、ま、せやな! 堪忍な、少年!」

「……名前を呼びなさいな、せめて」


 唇を尖らせてぼやくリリィと、至近距離で目が合う。

 すると彼女は嬉しそうに頬を緩ませつつ、ぴとっとひっついてきた。

 やらかな頬が頬を揉むように押し付けられ……熱や湿気とは違う、爽やかながらもじんわりとする感覚に気がついた。


「リリィ……治癒の魔法、かけてくれてるの?」

「ええ。セレナも言っていましたが、たしかに治癒魔法が全くの無駄という感じもないので。当面の間、こうして治療を続けていきますわ。とはいっても、こうして密着状態でなければ効果がないようですので、我慢していただかなければなりませんが」

「それは良いんだけど……。もしかして、一晩中……?」

「そんな声なさらないでくださいな。こんな微量の魔力消費などなんともありません」

「でも、寝て――」

「もう。無粋なことはなしです。いいですね?」

「……ありがとう」




 なだらかな丘の連続する草原をゆく、行商馬車と一頭の白馬。

 青空から吹き付ける風が緑をなで、馬車の幌をはためかせ、白馬の尻尾をなびかせる。

 馬車の荷台に並んで歩く白馬のユニィが、そのスピードに合わせつつ、長い首を幌の中へ突っ込んでいた。


 ――もう無事みてえだな

「ユニィ」

 まるで子供に抱えられる熊の人形のように。リリィに背後から支えられて座っていたキラは、いきなり馬の生首が突き出したことにぎょっとした。


「あら、ユニィ。キラの心配をしていましたの?」

 ――んなんじゃねえよ!

 白馬の幻聴の聞こえないリリィは、その心中を察することも出来ず、緩やかに手を伸ばした。

 彼女は馬面の頬を優しくなで……それを甘んじて受け入れるユニィに、キラはジトッとした視線を送った。


 ――俺は男だ!

 知ってるよ。そうは思ったが、口に出すのをぐっとこらえ。怪しまれないように、キラもリリィに倣って白馬に手を伸ばした。

 すると、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向き、幌から顔を引っ込めてしまった。


「あらあら。気分屋ですわね」

「そうなのかな?」

 キラは苦笑いしつつ、伸ばした手を引っ込める。

 リリィが献身的に魔法をかけ続けていてくれたからか、ようやく体も動くようになっていた。痛みもきれいさっぱり消え去っている。

 眠気も吹っ飛んだ今、走り回りたいくらいの開放感が胸を満たしていた。


「ところでさ。リリィ、鎧はなくなったんだよね。どうせなら、それも――」

「しっ」

 言葉を続けようとしたところで、むぎゅっと頬を挟まれた。

 慌てて居たリリィだが、そのさまが面白かったのか、くすくすと笑いを漏らす。

 キラはむうっとして眉をひそめ、彼女の手をどけた。


「どうしたの?」

「エヴァルトには、まだわたくしたちの正体を明かしていません」

「そっか……リリィ、竜ノ騎士団の元帥だから。有名なんだ?」

「無論、顔は知られていないでしょうが、”紅の炎”は過去のドラゴンとの一戦で、その珍しさが噂になってしまいました。できれば王都までの道中、魔獣との戦いは傭兵であるエヴァルトに頼っていたいですわ」


「でも……なんで? リリィが公爵家で竜ノ騎士団だって話を通せば、すぐに協力してくれるんじゃ……」

「わたくしは、ランディ殿を迎えるこの重要な任務で、関係者以外の誰も信用することはありませんわ。キラだけは例外ですが」

「だから貴族のご令嬢ってことで通すの?」

「ええ」

「けど、エヴァルトに剣を向けたんでしょ? 無理があるような気が……」

「う……わたくしとしたことが。淑女らしいとは……?」

「僕に聞かれても」


 キラは御者席で馬を操るエヴァルトに目を向けた。

 この距離で、この小声で。到底聞こえたとは思えないが、彼が笑ったような気がした。その後のくしゃみは、どこかわざとらしかった。

「……多分、エヴァルトは信用してもいいと思う。リリィを知ってるなら、取り乱してた昨日が絶好のチャンスだったはずだよ」

「そうではありますが……とりあえず、まだ様子を見ます」


 すると、会話の合間を縫うように。エヴァルトが振り向きもせずに声をかけてきた。

「聞こう聞こう思うとったんやけど。あんたら、どこへ向かうつもりなんや」

 キラはリリィと至近距離で顔を見合わせた。間近で見ても整った顔つきをした彼女は、逡巡の後、きっぱりと言った。

「わたくしたちは、急ぎの用で王都ですわ」

「ほう? そらまた、難儀なとこやな」


 リリィとエヴァルトが話している間に、再びずぼっとユニィが顔をはやした。

 キラはまたもびくりとし、するとそれを面白がるような白馬の笑い声が頭の中で響く。


「難儀、とは?」

「うん? エマール領があるやん。王都に行くにはあそこ通り抜けたほうが早いけど……まあ、色々ややこしいっちゅう噂やし。迂回しようにも、三日で行けるところが一週間、下手すりゃ二週間もかかる」

「最悪……! よりによって、エマール領とは……」


 エマール。その聞き覚えのある名前に、キラは一生懸命に頭の中をひっくり返した。

 ――公爵の名前だな。王都が攻められてるって時に、進軍を提言した考えなしだ

 ユニィによる幻聴に思い出して納得し……そこで再び首を傾げた。

「あれ……? なんでリリィはそのエマールって公爵家を嫌ってるんだっけ」

「口にした覚えはありませんが……事実ですわね」

「あれ、そうだっけ? なんで?」

「色々ありますが……」

 リリィは言いづらそうにして、言葉を選んで続けた。


「一つあげるとするならば、その、エマール公爵の次男がわたくしの婚約者候補となっていることですわね」

「結婚、するの?」

「候補、ですわ。それに、結婚どころか、顔を見るつもりだってありません」

 きっぱりというリリィの口調は断固としたものであり、怒りさえ含まれている。

「お父様にも陛下にも申し上げたはずですのに……いつの間にか、婚約者の候補として取り沙汰されて。迷惑以外のなにものでもありませんわ」

「そう……そうなんだ」


 キラは相づちのようにつぶやくと、リリィはお腹に回した腕にわずかばかりに力を込め、ため息と一緒に背中に張り付いてくる。

 そんな彼女の様子に、モヤモヤとした気持ちが晴れ……正面にあるユニィの馬面がどこか面白そうに笑っているように見えて、そっぽを向いた。


「せやけど、公爵家っちゅうたら、もう王族みたいなもんやん。そないに邪険に扱ったらアカンやろ」

「別に。今に地に落ちますわよ、あんな一族」

「そらきついな」

「あなたがどこの出身のどんな人かは知りませんが。エマール家は七年前の”王都防衛戦”で帝国を手引し……王国を売ったと言っても過言ではありません。本人は否定していますが、実行犯が自首をしています――獄中で自殺しましたけれど」

「……ほう?」

「だというのに、エマール家に対する措置は資産凍結と領土縮小のみ。陛下が何を考えておられるのか……正直、測りかねます」


 キラはユニィのまんまるな黒目と目があい……ふと、いつもの幻聴がないにも関わらず、その気持ちが分かったような気がした。

 声を落とし、なおもぶつぶつと呟くリリィに、声を低めて口添えした。


「リリィが怒るのは分かるけど……でも、ランディさんが言ってたでしょ。王様はいつも突拍子もない事をするって。リリィの婚約も、王国の軍隊の進軍も、今言ってた措置も……全部、なにか考えてのことじゃないかな」

「それにしたって……」

「あの優しいランディさんが――記憶もない僕を拾ってくれた人が――言うことを一から十も聞きたくないって、言ってたんだよ」

「……確かに。では、一体何をお考えなのでしょう?」

「さあ、それは……全部終わってから聞くしかないよ」


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