171.3-5「頑として」
笑いを堪えるので必死なリリィをジト目で睨みつつ、紙袋を受け取った。
もやもやとしていた気持ちは、ふわふわと立ち上る芳しい蒸気でどこかへ行ってしまう。
キラはクゥと鳴る腹に従って、串で刺された焼き鳥を一つとってみる。タレのたっぷりとついた『ねぎま』で、焦げのついた肉とネギにまとわりつくテラテラとした輝きが、なんとも食欲をそそった。
ぱくっとひとつ食べてみて、眉を顰めながらぽそりとつぶやく。
「うまい……」
「ふふ。セリフと顔があっていませんわよ」
リリィもそう言いながら、同じく『ねぎま』を食していく。肉の旨みとタレのコクとの組み合わせに頬を緩ませる。
その可愛らしさと言ったら。思わず食べる手を止めてしまうほどだった。
「キラ、キラ? タレがっ」
「ん? ああ、っと……」
危ういところで垂れるのを回避し、続けて口に頬張っていく。
その間にも焼き鳥を食べ終えたリーアムが馬車を動かし、次なる店へ横付けする。
『ステキ屋』の名物『ステーキサンド』に加え、『コロコロステーキ』を注文し、じゅうじゅうと心地の良い音が響くのを耳にしつつ、焼き鳥を完食する。
するとちょうどよく、店番をしていた少女が紙袋を抱えて出てくる。
そうして二人で一緒に肉の脂のうまさに舌鼓を打ち、リーアムが「ついでに」と飴専門店に寄っている間に『コロコロステーキ』に夢中になる。さらにはフィッシュ・アンド・チップスとタマゴサンドも購入。
思わずゲップが出るほど腹が満たされたところで、出口付近で係にゴミ袋を渡し、”スルー商店街”を後にした。
「あのさ……。確かに前に図書館に行ってみたいとはいったけど……その……」
「わかってますわよ。まだ読み書きが完全ではないのでしょう?」
「い、一応できるはできるさ……。まともな習い方をしてないだけで」
「ラザラス様からの手紙を読めない時点で、まだまだですわよ。大丈夫です――今度、一緒に勉強しましょう? 一人で手紙を書くことはできましたもの。もう少しですわ」
「今度って……じゃあ、図書館には何しに? てっきり勉強とかするのかと……」
「単にキラと一緒に行ってみたいと言うのもありますが……調べ物を少ししておきたいのです」
リリィは、万一にもリーアムに聞こえないようにと、ぼそぼそと小さな声で続けた。
「ちょっと気になることがありましてね」
「気になること?」
「キラの記憶喪失のことですわ。所々常識が残っているものの、基本的には魔法や国については何も知らないようですし」
「うん、まあ……。それが?」
「引っ掛かるのは、キラが一切記憶を取り戻す気配がないことです。思い出せないのですから仕方ないとは思いますが……何か、こう、琴線に触れるような様子があまりにもないので」
「ああ、そういえば……。記憶を思い出しそうとか、引っ掛かるものがあるとか、そういうのはないかも……」
リリィに言われてみて、キラも初めて気がついた。何をみても、どんな経験をしても、ひとつたりとも過去を思い出すきっかけにすらならない。
「あ、でも……」
「何かありますの?」
「いや、そう言うわけじゃないけど……。時々、というか、『動かなきゃ』って僕が思う前に、体が動き出すことがあってさ。それはまた別なのかな?」
「身体に記憶が残っている……というような話でしょうか?」
「さあ……。ほとんど反射的に動き出して、僕も負けないように動いちゃうから、あんまりそういう感覚はないけど」
「もしかしたら、それがいつもキラが無茶をする原因なのでしょうか……?」
気遣わしげに見つめてくるリリィの青い瞳には、今までにない強い後悔の色があった。
これまで数々の説教をしてきたことを悔いているのだと直感的に悟り、キラは首を振った。
「いや。僕は”僕”に負けないように無茶してる」
「ダメじゃないですか」
的確なツッコミが入り、キラは吹き出しそうなところを堪えた。リリィが「冗談ではない」とばかりに目つきを鋭くしていたのだ。
「でも、身体に記憶が残るっていうのはありえるのかな?」
「それも含めて調べてみませんと。そうでなくとも……キラの行動から、”記憶を失う前のキラ”の人物像が浮かび上がってくるかもしれませんわ」
食い入るように見つめてくるリリィは盲信的で……キラはムッとしていった。
「僕は”前の僕”が嫌いなんだけど」
「あら。わたくしも好きだなんて申しておりませんわよ。ただ、深く貴方を知れると思えばこそ……調べねばなりません」
「……僕は興味ない」
「ふふ。頑固ですわね」
その言い方は全てを見透かしたようで、キラはやはり気に入らずにそっぽを向いた。
「で……。図書館ってどこにあるの?」
「東地区……”学寮地区”にありますわ」
「学寮……?」
「学区……つまるところ、魔法学校や騎士学校に通う方たちの居住区となりますわね。ここにある”王立都市大学”が図書館を運営していましてね。学生や教師以外でも入れる唯一の”学寮地区”なんですの。別名”学園の顔”」
「学校かあ……。リリィも通ったことあるの?」
「わたくしは家庭教師とお母様がいましたから。今は、たとえ公爵家でもそういったことはできないそうですが」
「家庭教師をつけてもらったから学校に行かなくてもいい、ってことにはならないってこと?」
「そう。明文化はされていませんが……貴族も平民も学校へ通うべきと、半ば義務化されていると聞きますわ」
「へえ……。っていうか、リリィっていつから騎士団に所属してたの? まさか、最初から元帥ってことはないよね?」
「わたくしは……たしか、九つの時から騎士団所属になったと思います」
「早いね……っていうか、騎士としてはまだ幼いね?」
「実は、竜ノ騎士団は年齢制限を設けてませんの。今こそ、学校卒業後に試験を受けるのが一般的となっていますが……雑用係からならば、試験もなしに入団できますわ」
「そうなんだ……。じゃあ、セドリックとドミニクにも、そこから入れてあげればよかったんじゃ……?」
リリィは苦笑して首を振った。
「年齢制限を撤廃しているのは、無職や浮浪者や孤児への救済の意味もありますの。セレナはこれで入団できたという経緯がありますわ。セドリックとドミニクも、わたくしたちとしては拒絶する理由もありませんが……二人はそうでもないでしょう?」
「ああ……そうかも。きっと、自分の力を示して竜ノ騎士団の騎士になりたいだろうね」
「でしょう? ……あ、言っておきますが。わたくしもセレナも、コネやお情けで元帥に成り上がったわけではありませんからね?」
「そんなことわかってるよ」
キラが苦笑しながらいうと、リリィはまるで褒められた子どものように破顔した。感極まってビタっと抱きついてきて、深く息をつく。
窓の外を見ようにも、彼女の抱きつく力は存外強く、じりじりとにじり寄ることさえもできない。
ただ、どうやら大きな川にかかる橋を渡ろうとしていたのは、チラリと見える景色から知ることができた。距離だけでなく横幅もある橋の向こう側に、巨大な時計も見えた。
「でっかい時計……」
「”王都時計塔”ですわね。定期的に鐘を鳴らして時間を伝えてくれるのですわ。……それと、広くは知られていないのですが、監獄兼処刑場でしてね。断末魔の声を遮るためにも、鐘の音とともに刑が執行される……ともっぱらの噂ですわ」
「う、噂か……。リリィもほんとのところは知らないの?」
「さあ、どうでしょう?」
どこか不気味な雰囲気を醸しながらニヤリとするリリィに、キラはブルリと震えた。
薄気味悪さにびびってしまったことを隠したくて、続け様に質問をする。
「さ、さっき騎士学校とか魔法学校とかって言ってたけどさ。王立……なんたらとは違うの?」
「”王立都市大学”ですわよ。わたくしも通ったことがありませんから、そう詳しくはないのですが……両校とも、”王立都市大学”に入学するために通うものと聞き及んでおりますわ。どちらかの卒業証明書がなければ、入学できないらしいですわよ」
「へえ。でもさ。魔法使いはなんとなくわかるけど……騎士が学校行って、大学まで入るんだね? ちょっと意外な気がする……」
「ふふ。そう思いますか?」
「ん? どういうこと?」
「キラの想像通りということですわ。騎士学校の卒業生の多くは、竜ノ騎士団か王国騎士軍の試験を受ける傾向にありますわね」
「ああ、やっぱり? でも……その言い方だと、大学に進学する人もいるみたいだね?」
「”王立都市大学”は専門的な授業を主としますからね。指導者や指揮官になりたいという方が進学するそうですわ」
「……気になったんだけどさ。僕はどうなんだろ? 学校に通う義務とか……もしかしてあるのかな?」
「うぅん……」
リリィにとっても難しい問題なのか、にこにことした顔を固まらせて首を傾げていた。
「地方にも教育の義務化が浸透しつつあるそうですから……。たとえば、”隠された村”でも、あのような事態が起こっていなければ例外にはならなかったはずです」
「う……。ごめん、やっぱ聞かなかったことにして」
「わたくしも、後で調べておきますわ」
「ちなみにさ。大学も卒業した後どこの職種が人気とかってあるのかな?」
「やっぱり王宮勤めでしょう。あとは王国騎士軍でしょうね」
「意外だね。竜ノ騎士団って言わないんだ?」
「元帥や師団長などの上層部はトップクラスの人気を誇っていると自負していますが……そこに至るまでの道のりは果てしないものと知れ渡っていますからね。そうなれば、やはり王城に勤める使用人や騎士の方がよほど映えるというものでしょう」
「強ければいいのにね?」
「……キラがそういうことを言ってしまえば、誰もが心折れますから。たとえばセドリックさんやドミニクさんには、くれぐれもそういうことは言わないようにお願いしますね?」
首を傾げるキラだったが、どこか圧迫感のあるリリィの問いかけ方に頷いていた。




