169.3-3「誘い」
出発しようとエルトリア邸を出たところ、ちょうど玄関をノックしようと腕を持ち上げていた人物と遭遇した。
「あら……。その胸の意匠は王家の……。当家に何か?」
腕を組んでるんるん気分だったリリィは、壮麗の執事と対面するや、『リリィ・エルトリア』という人物に早変わりした。
さりげなく絡みついていた腕を解いて、しかしながらぴたりと隣に立ったまま、表情を引き締める。変わり身の早さの中にも、デートへ向けたウキウキ気分が垣間見えた気がして、キラは吹き出しそうになるのをなんとか堪えていた。
「不躾ながら、キラ様にお手紙を、と」
「え……僕に?」
執事がにこりと微笑み、丁重に封筒を差し出してくる。
深紅の封蝋には、『バラとリンドウの二輪の花』の意匠がスタンプされ、隅の方に何やら達筆な文字でサインされている。
「文字読めないんだけどな……」
「……追伸が書かれていますわ」
「え……? 追伸って、手紙というか、本文の後に書くんじゃ……」
「この字はラザラス様のものでしょう。ローラ様の字は、もう少し柔らかで丁寧なものですわ」
リリィがチラリと執事を伺うと、彼は何も答えなかった。皺だらけの顔つきを苦笑で歪めたところを見ると、口にしてはいけないことを思っているらしかった。
「で、追伸にはなんて?」
「今度戦おう! と」
「……戦うの?」
「……さあ?」
二人して首を傾げ、ロマンスグレーな執事へ目を向けるも、やはり答えはわからず。そのおかしさに三人でクツクツと笑ってしまった。
そうしてリリィが手紙の封蝋を破り、便箋を取り出した。一通り目を通し……最後の一文字を読み終えたかと思うと、むうっと目を細めていた。
「何が書いてあったの?」
「内容自体は短いものでして……要は、王国騎士軍への勧誘ですわね。『一緒に飯を』だとか『一緒に酒を』だとか『一緒に訓練を』だとか……ラザラス様のわがままばっかり! わたくしだってまだまだですのに!」
「そこ?」
キラは苦笑し、ちらと執事の様子を目にしてギョッとした。壮麗なロマンスグレーな紳士は、至って真面目な顔つきでじっと見つめてきていたのだ。
答えを求めているのだと直感し、キラはリリィを気にしながらしどろもどろ言った。
「まあ、まだそういう予定はないというか……。僕自身、そういう勧誘を納得して受けるほど強くないし……」
「何をおっしゃいますか」
するとそこで執事が口を挟んだ。真面目に熱を入れて力説する。
「貴方様がどれほど偉大なことを成し遂げたか。かの”不死身の英雄”すら、『帝国との戦争は極力避けるべき』という結論が限界だったというのに。貴方様は、あろうことか戦争そのものを終わらせてしまいました」
「い、いや、それはタイミングが……。帝国内部でも色々と揉め事があったみたいなんで、別に僕じゃなくっても誰でも……」
「いいえ、断じて違います。帝国兵士をひとりたりとも殺さず、帝国皇帝のもとまで辿り着いたとの旨を聞き及んでおります。だからこそ可能となった和平と、私は考えているのです」
リリィもコクコクと頷いていては、そう否定することもできず……屈託のない賞賛に対して、ぼそぼそと礼を述べるほかなかった。
「では、こうしましょう」
執事の言葉を受けて上機嫌になったリリィが、意気揚々と提案する。
「将来的にどう転ぶにせよ、竜ノ騎士団も王国騎士団もどんなところか知る必要があると思うのです。ラザラス様からのお手紙も届いたことですし、まずはエグバート城へ向かって騎士軍を見学してみませんか?」
これに執事も便乗した。
「それは良きことかと。ラザラス様も『一度は招かねば格好がつかん』と申しておりましたし。これからであれば、私が王城まで案内いたします――実を言えば、そのために馬車を用意した次第でありまして」
リリィも名案とばかりに喜んで頷いていたが、少ししてハッとした顔つきとなった。
「しかし、それではキラとの王都巡りデートが……!」
「では、王城までのルートを変更致しましょう。お望みのままのデートプランを……。私はどのみち御者席に座りますので」
「ふふ、ではお言葉に甘えましょうか」
「おまかせを。――ああ、自己紹介が遅れていましたね。私はリーアムと申します」
キラも慌てて自己紹介を済ませ、リリィに手を引っ張られつつ、背中を向ける執事リーアムを追いかけ……ふと、首を傾げた。
王城に仕えるほどの執事であれば、貴族出身でもおかしくはないはず。
その証拠に、エルトリア邸の正門に横付けされた馬車まで案内する姿や、扉を開けて待機する姿などは、無駄なく洗練されていた。コルベール号にいたサガノフのように……。
しかしそんな疑問も、案内された車内に腰を下ろすと同時に吹っ飛んでしまった。革張りの座席は、今までに感じたことのないクッション性で体重を受け止めてくれたのである。
車内もかなり広い。リリィが隙なく密着して隣に座っているというのもあるが……二人がけの座席であっても、かなりの余裕を感じられた。天井は手を伸ばさねばならないほどに高く、足をだらしなく放り出してみても窮屈さがない。
キラは思わず感嘆の息をもらし……逆に、隣に座ったリリィは難しい顔をして首を傾げていた。
「どうしたの?」
「いえ……。少しばかり、疑問に思うところがありまして……」
リリィはチラリと前方を伺った。
ゆっくり揺れなく動き出す四輪馬車……二頭の馬が息を合わせて馬車を引く様子や、御者席に座る壮麗の執事の後ろ姿が、小さな窓からチラリと見える。
キラはリリィの視線がリーアムに注がれていることに気づいて、声を低めて問いかけた。
「疑問、って?」
「リーアムという名前……聞き覚えがありますの。苗字を名乗られなかったので、少し引っ掛かっていたのですが……」
「ああ、僕もちょっと気になってたんだよね。王城に勤めるって相当信頼のある人なはずだし、苗字がないのはありえないんじゃないかなって……」
「王都では平民の方々も苗字がありますからね。地方ではまだ根付かない文化ではありますが。――話がそれましたわ。わたくしが知る中で、リーアムという名前で、王城の執事を……それもラザラス様のお手紙を託されるほどの人物は一人しかいません」
「誰なの?」
「ラザラス様のお兄様……かつてはリーアム第二王子と呼ばれていた方ですわ。ラザラス様は三男ですから、兄がいるのは当然と言えば当然でしょうが」
「へ!」
キラが思わず素っ頓狂な声を出すと、リリィがびっくりするのはもちろん、御者席で声が聞こえないはずのリーアムがブフッと吹き出していた。
「もうっ、耳元で変な声出さないでくださいまし!」
「ご、ごめん……!」
キラは謝りつつ、リリィから体を離した。
昨日、シリウスにも話した通り、リリィはおそらく”魅了”にかかっている。『壁のようなものを感じない』と言ったのもそのためだろう。
その上、キラの内側にはエルトが眠っている。その正体は、未だ本人から直接聞いてはいないが、リリィの母親たるマリアその人であり……リリィも、このことに気付きはしないものの、無意識的に母親の存在を感じ取っているらしい。時折、親に甘えるような子どもの如くひっついてくるのがいい証拠である。
だからこそ、リリィはいつどんな時でも距離を詰めて密着し……その一方で、キラも彼女に対して遠慮がなくなってきていた。
一緒のベッドで寝ても違和感を覚えることもなく、治療の時にどれだけベタベタ触られても不快感がない。気づけば、馬車の車内で自ら体を寄せていく始末。
これが”魅了”の副作用とでもいうべきものなのかはわからないが……シリウスやエルトとも話した通り、気をつけなければならない。
そう思い、キラはリリィと一つ間を空けて座り直したのだが……。
「そういうことではありませんのっ」
”魅了”は想像以上に厄介らしく、リリィが間髪入れずひっついてきた。
どぐん、とひとりでに唸る心臓は叱責しているかのようで……だからといって離れるにも限界のある車内ではどうすることもできず、くっついてるほかなかった。
キラはうめき声を我慢しながら、ぼそぼそと問いかけた。
「ランディさんはラザラスさんのことしか話さなかったけど……やっぱ、血が繋がってるだけあって、突拍子もないのかな?」
「かも、しれませんわね」
それ以上は御者席のリーアムにも聞こえるかもしれないと、リリィは口をつぐんだ。




