166.2-6「無慈悲」
なるべく負荷をかけるように、というのがエルトの中での筋トレ方法らしく。腕立て伏せはもちろん、腹筋やスクワットも彼女の思う”一回”は途方もなく辛かった。
ひいこらと息つきながら……そしてたまに白馬のユニィに小馬鹿にされながら……十回を一セットとし、腕立て伏せと腹筋とスクワットを順繰りに回していく。
一通り回してみたものの、貧弱な筋肉で負荷に耐えるので必死で、到底呼吸法を意識する余裕などなかったが……。
〈最初のうちは休憩中に意識するのが吉!〉
ということで、胸を上下させて身体を休めているうちに、目的である”覇術”体得のために呼吸法を探っていく。
ようは、エルトもレオナルド同様スパルタだった。休憩と名はつくものの、その実態はがっつりとしたトレーニングであり……七巡目ほどで、キラもばててきていた。
〈はい、あと一回!〉
「う、んん……!」
腕を胸の前で組み、ぐっと深くひざを曲げて、スクワット。背筋はぴんと張ったまま、腰回りと脚に力を入れて、立ち上がる。
ゆったりとした動作で行わねばならないその”一回”は、大きな一回であり……頭の中でエルトの声が響くと同時に、キラは思わず絨毯に身を投げ出した。
「はっ……ハァ、ハァ……し、しんどい」
〈意外と耐えたといえば耐えたけど……まだまだだね〉
「ほんと……レオナルドと似てる」
〈そりゃそうだよ。あの人の訓練方法を真似たもん〉
「ほんと……!」
〈で、どうだった? 呼吸法のコツ、掴めた?〉
「全然……。”瞬間移動”の人形を倒した最後の一撃……あの時の居合術の感覚が”覇術”なんだと思うんだけど……。いまいちピンとこない」
〈ま、最初はそんなもんだよ。筋トレすらままならないんだから、そっちに集中しきれないのは当然だね〉
「もしかしたら、素振りの方が呼吸法を見つけやすいのかな?」
〈どーだろ……。たしか、あの時、かなり深く長く呼吸してた感じだったから……。ペースを早めないといけない素振りだったら、あんまり意味ないかも〉
「っていうか、何がどうなったら『これだ!』っていえる呼吸法が見つかるの? 予兆というか兆候というか、そういうのがあるものなの?」
〈え……? だって私、呼吸法だとまともに成功してないんだよ? だから、最期いろいろ大変だったわけで……〉
「……そうだった。でもさ、エルトは実際に”覇術”を使えるわけで……その感覚を握る感じって、どう言うものなの?」
〈……パッ、て感じ〉
「ユニィと一緒じゃん!」
〈一緒にしないでよ! 言葉に言い表せないことを聞くのが悪いんじゃん!〉
キラは頭の中に響くエルトの声に噛みつこうとして、
――テメェら馬鹿にしてんのか! ぶっ飛ばすぞ!
ユニィの怒号が何もかもを吹き飛ばしてしまった。
ギンギンと響く声にキラはくらりときて絨毯に突っ伏してしまい、エルトは「ひゃっ」と小さな悲鳴をあげると同時にどこへともなく消えてしまう。
「うぅ……。そんな大声出さなくても。エルトがどっかに行っちゃったじゃん」
――はっ、この程度で主導権を取り損ねんのが悪いんだ。練度が足りねぇんだよ
「ってことは、今怒鳴っただけで”覇術”使ったってこと?」
――ふん、そういうこともあらぁ
「全然反省してない……。無意識で使うって、それコントロールできてないも同じじゃ……」
――逆だっての。マリ……エルトのやつがまだコントロール不足だから、無意識下の”覇術”程度で押し流されてんだ。たまにしか顔出さねえのがいい証拠だ
「今うっかり本名言おうとしたでしょ」
――はんっ
珍しくユニィが鼻を鳴らして誤魔化したのを聞いて、キラは耐えきれなくなって吹き出してしまった。
――笑ってんじゃねえよ!
「いや、だって……! ユニィも一応気を遣ってんだって思ったら……!」
――けっ、”覇術”に関しちゃ責任の一端があるんだ。慎重にもならぁな
「……多分、エルトはそこら辺のほうは気にしてないと思うんだけど」
――んでテメェにわかるんだよ
「気にしてたら、そもそも僕に”覇術”なんて教えようって気にならないよ」
――鈍感クソ野郎が妙なところで鋭くなりやがって
「言い方!」
キラは思わず声を大きくして言ったことにはたとして気づき、口をつぐんだ。体を起こして、聞こえる物音に集中する。
足音のひとつもなく、聞こえてくるのは小さな雨粒が外で滴る音のみ。
そのことにホッと息をついて、今度はボソボソと声を潜めてユニィに問いかける。
「で。エルトを疑うわけじゃないんだけど、さっきやった筋トレってあってるの?」
――理には適ってる。地道にやるこったな
「そっか……。じゃあさ、本当ならどうやって”覇術”を身につけるの?」
――第三者に道筋つけてもらうんだよ
「”覇術”で”覇”を気づかせてくれるってこと? だったらユニィもランディさんも、エルトに教えることができたんじゃないの?」
――あいつが言ってただろ。色々とギリギリだったんだ……簡単に言えば、もう第三者が踏み込んでいい状態じゃなくなってた
それ以上言及するつもりがないことは、ユニィの声音からなんとなく察することができた。
キラは踏み込んで聞きたい気持ちを必死に抑えながら、頭を切り替える。
「じゃあ、僕の場合は? ユニィ、今まで”覇術”を教えてくれるなんてことなかったよね」
――テメェの二種類の”覇”が原因だよ。正直に言って、俺もどう扱えばいいかわからねえんだよ
「そんなに素直に言うってことは、かなりやばいんじゃ……」
――ああ
「う……。じゃあ、しのごの言わずに頑張らなきゃね」
キラは体に居座る疲労に気付きながらも、ふうっ、と息を吐いて腕立て伏せを始めた。
エルトの言葉を反芻しながら、深く長い”一回”を集中して継続する。
――テメェのその前向きさ加減はどっからくんだよ
「フゥ……。え?」
――挫けるっつう言葉を知らねえのかって聞いたんだ! ”グエストの村”でも最初っからそうだったよな
「そう、なのかな……」
腕立て伏せを一回終えて、再び口を開く。
「これ、ローランにも言ったんだけどさ……」
――あん? あのクソ頑丈野郎か
「言葉悪……」
もう一回、腕立てを挟む。
「記憶を無くす”前の僕”って言うのは……勝手に記憶をすっ飛ばした、わけじゃん」
――あ?
「そのくせ、誰かがピンチになると勝手に飛び出そうとするんだ……」
だんだんと腹が立ってきて、ぷるぷると震える腕をも押さえつけて、負荷をかけ続ける。
「ユースの時も、グリューンの時も、リリィの時も……全部。僕も同じ気持ちなのに、体が先に動こうとするんだよ……!」
怒りをぶつけるように力を込めるも、突然筋肉量が跳ね上がるわけでもなく……その一回だけが、ほんのわずかに楽になった程度だった。
「だから……僕が先に動くんだ。置いてかれないように……追いつけるように……追い越せるように。でしゃばり続ける”前の僕”に負けたりなんかしたら――また僕は、僕が何者か分からなくなってしまう……! 」
腕の筋肉を酷使したために次の一回がひどく辛かったが――キラは、体を絨毯につけることなく、もう一度体を浮かしてみせた。
――負けず嫌いかよ
「まあね。だから、エルトにはああ言ったけど――次にガイアに会ったら完勝したい」
――はっ、へなちょこが言うじゃねえか
「ユニィもエルトも、なんでそういうとこで似てるかな……!」
響く幻聴に腹を立てながらも、キラはトレーニングを続けていった。残り五回の腕立て伏せをこなして、次には立ち上がって十回のスクワット。
エルトの代わりというように監督に就いたユニィに小馬鹿にされながらも、それまでのゆったりとしたテンポで深く長く筋肉に追い討ちをかけていく。
そうして次に腹筋に入り、一巡目を回ったところで五分ほど休憩を取る。
荒ぶる息を押さえつけ、”瞬間移動”の人形と戦った時のことを意識しながら呼吸をし……しかし、一つとしてピンとくるものがなく、二巡目へ突入する。
頭の中で鳴り響くユニィの罵声やら嘲笑やらへの反骨心か、時間も忘れてダラダラと汗が噴き出るほどにがむしゃらに続ける。
その結果……。
「この汗臭さ……。トレーニングをしていましたね」
「え」
メイド長にバレた。
「絨毯の様子から考えるに、腕立てとスクワットと腹筋でしょうか」
「え」
「残念ながら。リリィお嬢様とセレナに伝えなければなりません」
「え」
「それでは、業務に戻りますので」
淡々とした口調と一緒にその恰幅の良い姿が扉の向こう側に消えてしまい……キラはぱちりぱちりと瞬きをしたのちに、額を伝う汗が頬まで流れるのを如実に感じ取った。
「これ、もしかしてまた……」
――どやされんだろうなあ
「くっ……! メイド長にも”魅了”が効いたらよかったのに。全然なんにも反応しないじゃん……!」
数時間後。
見事に仕事を果たしたメイド長により。
リリィとセレナによる二十四時間の監視体制が敷かれることになった。




