162.2-2「起因」
「では、先程の話をつなげると……」
シスは少しばかり考えてから、言葉を続けた。
「七年前から、エマールに脅迫をされていたということですね?」
「うむ。王都防衛戦の前からな」
「前から……? ああ、なるほど」
クロエは同じように頷いていたが、ローラは一人だけ首を傾げていた。やがて不満そうに唇を尖らせ、ぱっとクロエの方を見る。
「”王家の血筋”の秘密が、エグバート王家に大打撃を与える……エマールがそう考えていることが、今回の戦争でよくわかりました。ともすれば、国盗りをも可能にすると妄想していたのでしょう」
「それで……?」
「となれば、七年前の王都防衛戦の時にも当てはまることができます。王国を揺るがす大ごとになると、勝手に想像していたのです」
「……?」
「つまり。帝国など必要はないと思いませんか?」
「あ……! 確かに!」
ローラは年齢相応に目を見開いて驚き、そんな様子にクロエがくすりと笑った。
「あれ? でも……」
「いかがされましたか?」
「なら、今回もエマールは特に帝国を必要としなかったのでは……? 七年前も、今回も、”秘密を暴露する”という目的があるならば」
これにはクロエも言葉を詰まらせ、シスもはてと首を傾げた。
誰もがハテナを浮かべる中、ラザラスが答えをもたらした。
「だから、ワシも確信に至ったのだ。エマールは、七年前の王都防衛戦にも……そして”エマール内乱”にも関与しておらんとな」
「”エマール内乱”も、ですか」
シスは思わず口を出していたが、その瞬間には既に答えが出ていた。
”エマール内乱”とは、エマールを擁護する者たちと彼らを糾弾する者達との争いである。
”エマール派”と”反エマール派”の争いは激化する一方であり、やがて王国騎士軍がエマール領へ進軍する事態にも発展した。
この隙を帝国軍に突かれたことにより、王都防衛戦が勃発。帝国軍にとってはあまりにタイミングの良い内乱の発生であり、誰もがエマールが帝国軍を手引きするために仕掛けたものと信じて疑わなかった。
だが……。
「前回も今回も、エマールは”王家の秘密”という情報の武器を持っていた」
ラザラスがいう。
「この武器を持って、エマールは王国にとどめをさせると信じていた。実際、ワシにも脅迫を仕掛けてきた。……ここで、わざわざ帝国と手を組んで、戦争を仕掛ける必要などありはせん。情報を晒して仕舞えばそれで終わりというのに」
ラザラスに続けて、シスもぶつぶつと付け足す。
「誰かが、エマールを出汁にしてけしかけた……ということですね」
「うむ。七年前の王都防衛戦の前後で、シーザー・J・エマール本人が帝国となんらかの取引を行なったという報告は上がっておらん。エマールの部下とやらが暗躍していた、という取調べはあるがな。なれば……」
「シーザー・J・エマールが戦争を主導したという可能性は低くなりますね。そうすると、あのタイミングで起きた”エマール内乱”も別の誰かが引き起こした……といえます」
「そして今回。その誰かが、シーザー・J・エマールに帝国軍という軍力をわざわざ持たせた。何がしたかったかは知らんが……やってくれるものよ」
組んだ腕を膨らませるラザラスに、ローラが恐る恐る聞いた。
「やってくれる……とは?」
「……この”知恵者”は、今回も前回も王国にいたということよ」
ラザラスの遠回しの言い方に、やはりローラは首を傾げていた。だが、彼女の父はそれ以上は続けることなく、張っていた肩から力を抜くや、ガラリと話題を変えた。
「我が娘よ。それよりも、ワシに聞きたいことがあるのではなかったか?」
「え……? あ……」
ローラは自分が何を言いたかったのか思い至り、気まずそうに俯き気味になった。
しかしラザラスは話を逸らすことなく、どっしりと構えて娘の言葉を待つ。
そうして、ついにローラが重い口を開いた。
「その……。エマール家のことを七年前から怪しいと踏んでいたならば……エマール領に住む民のことはどのように考えていたのかな、と」
そこでシスは、クロエの突き刺さんばかりの視線を感じて、ため息をつきそうになった。
エマール領は、公爵家たるシーザー・J・エマールによる権限のもとで運営されていた。法律こそ捻じ曲げられなかったが、数々の税金は領民の生活に直撃した。
良かれと思って、エマール領の惨状について詳しく書いた報告書も机の上に広げていたのだが……悪いことに、ローラが一番見やすいところで一番に目立っていたのだ。
これに、ローラに関して超の付くほど過保護になるクロエが目くじらを立て……今に貫きそうなほど圧力のある視線を向けてきているのである。
シスはじっと耐えつつ、ラザラスの返答を待った。少しでも鋭い視線が緩むように願って。
「国王は、大局を見なければならん。小さいところまで注意はしてられん」
ラザラスが総前置きしたことで、クロエの視線がますます痛くなり、シスは思わず呻きながら吐息した。
「だがその一方で、全ての国民へ平等な責任を持つのも王の務め。ワシもいくつか手を打とうとしたんだが……有体に言えば、先を越されてしもうた」
気に食わない感情を全面にだしてラザラスがそう言ったことで、シスはようやくクロエの無言の圧力から逃れることができた。
「先を越された、とは?」
驚きをあらわにしてローラが聞く。クロエも、興味津々にして傾聴している――が、じろりと睨んでくるのを見て、シスは落ち着くことができなかった。
「今から六年ほど前か……。エマール領内の様子を探るために密偵を出してな。すると、なかなかの惨状に向かいつつあるという報告があったんだが……同時に、とある子どもに出会い、説得されたというのだ」
「説得、とは?」
「五年間待ってほしい、と。街も領内も必ず良き方向へもっていくから、干渉しないで待っていて欲しい、と。密偵によれば、ワシの使いであるとバレた上で交渉を持ちかけられたというのでな……その聡明さに泥を塗ることはできんかった」
「そのようなことを子どもが……? どのような方なのでしょう?」
「シェイク……エマール領内の中心都市リモンの”労働街”で市長についた男だ」
「本当に街を左右できる存在に……! 凄い方ですね」
「ぬ……。まあ、ワシより、ほんの少しな」
娘の尊敬の矛先を横取りされたのが嫌だったのか、ラザラスは珍しくもぼかしていった。
「確か、十五歳で市長に就任されたという話ですよね」
シスは世間話気分でそう付け足して……またも選択をミスしたことに気づいた。
ローラとクロエが驚く中、ラザラスが「余計なことを……!」とギリギリ歯を食いしばりながら呟いている。
シスは慌てて足らない言葉を付け足した。
「ミテリア・カンパニーを招いて、”貴族街”にバレないようにこっそりと領内の改善を目指していたようですが……。これはラザラス様の手引きでは?」
「……創設者という立場を存分に利用して手引きしてやろうと思った頃には、すでに”労働街”にとりいっておったわ」
「うーん……」
慰めに失敗し、シスはうめくしかなかった。
しかし、そこでラザラスも己の嫉妬があまりに馬鹿らしいことに気づいたのか、首を振ってから元の口調で続けた。
「手引きをしようとロジャーをこっそり呼びつけた時に聞いたんだがな。すでにその時には、ミテリア・カンパニーに向けて救援要請があったという」
「なるほど。それがシェイク市長からだった、と?」
「うむ。ただ、ミテリア・カンパニーは”食の王国”として、例外的にエグバート王国を商談の対象外としている。何かがなければ、王国に対して働きかけることはない」
「そういえば、少し不思議ですね。救援要請があったから、エマール領だけは特別視したということでしょうか」
「ロジャーとしてはそれで良かったらしいがな」
「では、ボス以外は基本的には反対だったということですか?」
「その可能性が高い、とは話しておった。――ところで、先に話した救援要請は、一つだけではなかったという。もう一つ、エマール領内から助けを求める声があったのだ。その声の持ち主の名は……ミレーヌ、といっておったか」
誰だろう、とシスは少しばかり首を傾げて、はっとした。
”隠された村”で、一人だけ、少しばかり浮いた名前の人物がいた。ニコラの妻で、エリックの母親で……その名がミレーヌ。
「なるほど……! 確かに”隠された村”の中でも、一人だけ本格的に魔法を扱えていました。それに名前も少しばかり雰囲気が違いましたし」
「事実上の王国援助をあまり好ましく思わない者たちへの対策として、ミレーヌとやらが昔ミテリア・カンパニーの一員だったことを利用したらしい。彼女と親しかった者達に声をかけて、エマール領の調査を向かわせ……あとは言わずとも分かる通り、”労働街”の市長との取引を開始したそうだ」
「上手くまとめあげたものですね」
「まっこと。――シェイクとやらも、随分なやり手だ。たびたび使いをやってリモン”労働街”の様子を報告させたのだが、その度に街の様子が変わっていた。ゆえに、信用することにしたのだ。どのみち、”知恵者”の存在がちらついては、エマール相手にワシも自由には動けんかったからなあ」
鼻から息を抜き、組んでいる腕を掴む手に力を入れ……元国王ラザラスは、言葉に後悔を詰め込んでいた。
すると、いつもの豪快さを失ってしまった父へ、娘が声をかけた。
「お父様にとって、シェイクという方は”仲間”だったのですね?」
しばらくの間、滅多に見ることのないぽかんとした顔つきを見せていたラザラスだったが……次第に頬が緩み、涙が出るほどに大声をあげて笑った。
「はっは! ああ、そうだ――姿形が見えずとも、志が同じであれば見えぬ絆で繋がった”仲間”! 覚えておくが良いぞ、我が娘、ローラ三世よ」
「はい」
「一つの理想が全てを救い、一人の執念が全てを覆す。だから……”仲間”は偉大なのだと」
ローラは少しの間不思議そうな顔つきをしていたが、やがてハッとした顔つきとなって、頷いた。




