161.2-1「対応」
壁の如くどっしりとした堅牢さを持ち合わせながらも、いくつもの尖塔をバランスよく配置され繊細さも併せ持つエグバート王城。
地平線の向こう側から覗き始める太陽に真っ先に照らされ、王都に巨大な影を落とし始める。
これから王城に勤める者たちが起き始める……そんな朝早い時間から、エグバート王国女王ローラ三世の執務室で、一つの机を囲んで四人が頭を突き合わせていた。
「ああ……眠いです」
そう呟いたのは、中でも最年少のローラだった。
「この情報整理が終わり次第、仮眠をとっていただきますので。今しばらくご辛抱を」
小さな女王を励ますのは、その隣に座るクロエ。
「わっはっは! 気の抜けた顔!」
寝起きの娘をからかうのは、対面のソファにドカリと座るラザラス。
「まあ、こういうことは慣れていくしかありませんからね」
そしてシスは、隣に座るガタイのいい老人に圧迫感感じつつも、女王ローラのフォローに入った。
現エグバート王国国王に、近衛騎士総隊長補佐に、国王特別補佐官。
肩書きだけに目を向ければ、これほど肩身の狭くなる空間はない。それだけに、竜ノ騎士団諜報部隊”ノンブル”の一員でしかない人間が同席していることに、シスは不思議さすら感じていた。
「さて……」
シスは何故だか吹き出してしまいそうなのを、自分から切り出すことでなんとか抑えた。
他の三人の注目を集めたところで、言葉を続ける。
「昨日の議会は特に何事もなくスムーズに進行した……と考えてよろしいので?」
これに真っ先に頷いたローラだったが、言葉にして答えたのはその父のラザラスだった。
「もちろん! やはり我が娘なだけはあるなっ」
昨日から開かれている王国議会。
その議題として挙げられるのが、『エマール家の処遇』と『”帝国の嘘”への対処』についてである。
どちらとも、一刻も早い対応を求められる事態ではあったのだが……最終的な方針の決定権を持つ女王ローラ三世は、即位してからまだ間も無い。公務の経験も浅い上、”遅咲きの国王”として名を馳せたラザラスとは違い弱冠十四歳。
そういうわけもあって昨日の議会は『初日』と称して、議題内容の確認や、ローラ三世のこれからの公務についての打ち合わせなどに焦点を絞って終わった。
ただ、本番は『二日目』と『三日目』。
今日と明日の二日間、己一人の判断で国の動き方を決めなければならないローラのために、こうして朝早くから情報の整理を行なっているのである。
「しかし陛下――」
「む、わしは今や国王特別補佐官……一般人よ。間違えるで無いぞ、シス」
「こんなに威厳のある一般人がいては、どうにも困ってしまうものですが……まあ、言及しないでおきましょう。情報の整理をする前に、ひとつ確認してもいいでしょうか」
「なんだ?」
「『三日目』の議題が『”帝国の嘘”への対処』についてなのですが……。これには、帝国人の参考人も交えるものと考えても?」
シスの問いかけに敏感に反応したのは、ローラだった。少しばかり身じろぎをして、しかし何も言わずにじっと父親の答えを待っている。
クロエにしても、何かいいたげな顔つきをしていたものの、じっと静寂を保っていた。
「いや……。『三日目』については、あらかじめサーベラス議長とちょいと話し合っていてな。どう転ぶにせよ、帝国へどう対処するかは”保留”という形を取ることとなっている」
「ふむ。なかなか異例ですね?」
「議会に参加する貴族達も、国政を担う一員である前に、一人の王国国民。終戦したとは言え、これまでずっと敵対していた帝国への感情が何もなしというのはなかろう。むしろ、同盟という形で終戦を認めたわしらエグバート王家が異常なだけでな」
「ご自分を例外と称するとは。今までになかった成長ですね?」
「わっはっは! 面白いことを言う!」
「いえいえ。冗談ではなく」
「……傷つく」
豪快に笑っていたラザラスが、わざとらしくもしゅんと肩を落とす。
その様がツボに入ったらしく、ローラがクロエの影に隠れるようにしてくすくすと笑っていた。
目に見えていた緊張や硬さが取れたようで、シスはクロエと一緒になってホッとし……ラザラスが話を続けるのに合わせて、ぴしりと背を伸ばした。
「ともかく、『三日目』は、わしらを含めたエグバート王国上層部の意思を確認するにとどめる」
「では、エヴァルトさんや、かのグリューンという少年の意見は王国議会においては参考にすることはない、と?」
「うむ。彼らに出向いてもらうのはそのあとよ。別な会議を設けるのでな」
「なるほど。そういう腹づもりでしたか」
ラザラスの顔つきからまた碌でもないことを考えていると感じて、シスはそれ以上は踏み込まないでおいた。
何かうずうずと言いたそうな視線を無視して、机の上に広がった資料へ目をやる。
ラザラスの突拍子のなさの一番二番の被害者であるローラとクロエも、話を広げる様子もなく、机に向き合った。
「さて、まずは『二日目』の議題についてですね」
シスがそう言うと、クロエが間髪入れずに続けた。うずうずなラザラスを寄せ付けもしない、いつもの堅い雰囲気と口調でいう。
「エマールの処遇について、ですね。ローラ様は、この議題について、何か率直な意見などはありますでしょうか?」
「正直に言って、何があったのかをあまり把握していないのです……。お父様ったら、突飛なことばっかりで……それでいて、この件に関しては秘密主義ですから」
「確かに。私も、事実関係の曖昧な箇所が多々あります」
ローラも、クロエとの見事な連携プレイで横槍を阻止する。
流石のラザラスも、悪戯好きな悪ガキのような顔つきを仕方なさそうにひっこめた。咳払いなどして腕組みをし、威厳たっぷりに話し始める。
「エマール家の処遇を決める上で重要なのは、やはり直近の開戦に際するエマールの進軍だろう。旗を掲げたこと然り、先陣を切ったことしかり、そして一時的に王城の占拠に至ったこと然り……議論する余地もなく謀反だろうよ」
「それは……私も心得ていますが……」
ローラは頷きつつも、何やら言い淀んだ。
その意図を汲み取ったかのように、ラザラスが話を続けた。
「エマールに目をつけたのは、七年前。王都防衛戦からしばらく経ってからのこと……実は、ワシはあの防衛戦が引き起こされた裏には何かがあると踏んでてなあ」
ラザラスのその言い方にシスは引っ掛かりを覚えた。クロエもローラも、その顔つきを見る限り、同じ思いでいるらしかった。
クロエとローラを順に盗み見て、二人とも何かに気がついたはいいものの、どう聞けばいいのかわからないと言ったふうに言い淀んでいる。
そこで、先立ってシスが元国王へ質問を投げかけた。
「裏がある、とは……七年前、エマールが扇動して戦争が起きたのではない、と? 何か、確たる証拠があるような言い方にも聞こえましたが」
「うむ。――王家の血筋についての脅迫は、今に始まったのではない」
すると、今度こそクロエが真っ先に反応した。
「騎士団のエマ殿が話されていました。『エマールにちょいと前から脅されててな!』と」
「本当に、ワシのモノマネが上手いなあ……!」
「からかわないでください! ――おほん。ラザラス様が脅迫されていたことは、そこで初めて知りました。そして、その脅迫の内容が”王家の血筋”に関してということも、容易に察しがつきます。しかし……今に始まった事ではないとは、いったいどういうことですか?」
いつも冷静沈着なクロエが、少しではあるが、感情的になっていた。机に手をつきはしないものの、前のめりになりつつある。
ローラもその言葉の裏に隠された意図に気づいて、段々と表情を歪めていく。
そんな二人を目の当たりにして……ラザラスは笑い飛ばした。
「わっはっは! 娘と娘のような子に心配されるとは、これほどに気持ちがいいものとは! 知らなんだ!」
「お父様! 何こんな時に冗談を……!」
「これしきのことで、ワシが心を病むとでも思っておるか? ローラよ、おまえに話して聞かせたワシは、そんなに弱かったか?」
「心配をしているという話なのです! 一人で抱え込まないでくださいと、そう言いたいのです! 私も、クロエさんも!」
「ふっふ……。脅迫された、脅されたとは言ったが……誰かと一緒に抱え込まねばならんほど、重大なことではない。大体、時期を見計らって公表しようと思ってたくらいだ」
ローラもクロエも、ぽかんとしてラザラスを見やった。
シスも同じようにして、つぶやくように問いかける。
「しかし、エマールは”王家の血筋”について随分と自信たっぷりに暴いたというふうに聞きましたが……?」
「どこで知ったかは想像もつかんが、エマールの勘違いだ。確かに秘密ではあったが、何がなんでも隠さねばならんというものではない。むしろ、”王家の血筋”の正体をいかにして皆に知らせるか……そればっかり考えて生きてきたと言っても過言ではない。公開処刑という場は、なかなかスリリングだった……!」
もはや、ドン引きするしかなかった。
つまるところ。エマールが王家をも脅迫できると思っていた”秘密”は、ラザラスにとっては明かされても痛くも痒くもないことだったのだ。
このために、エマールは帝国と裏で手を取り合って戦争を仕掛けたのであり……。哀れという他ない。
「まあ、ちゃんとした秘密は他にあるんだがな。どうやら、エマールのやり方ではそっちは見抜けんかったらしい」




