151.伝う
「なあ……」
いつの間にやら、セドリックとドミニクの凸凹カップルがこそこそと近寄ってきていた。
「あのさ。俺ら、ちょっと話が見えなくなってきててさ。あの超すげえレーヴァってひとが……げんすい、だとかなんとかって呼んでたけど……」
「その人、何者? 前、馬車の中で喧嘩してた奥さん……っていうのはわかる」
キラはどう答えたものかと迷い、リリィの方を見た。
彼女も困ったように眉を曲げて微笑み……するとそこで、重傷のローランの様子を見てきたニコラが、助け舟を出してくれた。
「あのリリィ・エルトリア殿さ。竜ノ騎士団のトップスリー――単騎で軍と渡り合うとされる”最強”を冠する元帥の一人」
ニコラがどこか誇らしげに言い放ったが、その場にいる誰もの反応が薄かった。
どうやら……。
「バカな俺でも聞いたことあんぞ……」
「奇遇だな……。オレは伝説上の話だと思ってた」
「騎士団の師団長の戦いっぷりを見れただけでも幸運と思ったのに……!」
「すごーい……」
「やばーい……」
オーウェンもベルもメアリもルイーズもエミリーも、ただただ、驚いて吃驚して驚嘆していた。ニコラの話が耳に入った反乱軍の面々も、足を止めて停止してしまっている。
セドリックとドミニクなどは、もはや呼吸すらも忘れてピシリと固まっていた。
「あれ? ニコラさんは知ってたんですか?」
「”貴族街”の闘技場で色々と見たからな。君たちの”宣言”も」
「う……」
にこりとして言われて、キラは思わず視線を外した。目線の先にはリリィが映り、彼女は満更でもなさそうに頬を赤らめていた。
「ま、まあ、それはともかく。結局、エリックはどうなったんですか? 見る限り、ここにはいないみたいですけど……」
少しばかり、皆の雰囲気が変わった気がした。
オーウェンたちはとっさに反乱軍の皆の様子を伺い、そばにいたセドリックとドミニクは思い出したかのように意気消沈し、ニコラが慌てて近寄ってくる。
キラは彼らの様子で何かあったのだと悟り、リリィもまた緩んでいた顔を引き締めていた。彼女の表情の変わりようは見もので、どこか怒っている風でもあった。
「まだ、限られた人数しか知らないことだ。……どうか、まだ黙っていて欲しい」
「何か、あったんですね?」
キラの問いかけに答えたのは、セドリックの悔しそうな声だった。
「俺が……。止められなかったんだ……」
「止められなかった?」
「絶対、なにか訳があるはずなんだ……。なのに、それを聞くこともできずに――みすみすエマールと一緒にいかせてしまった……!」
「エマールと……?」
キラが困惑していると、リリィがため息をついたのちにぶつぶつとつぶやくように言った。
「つまりは、あの少年がエマール側へついたために、”隠された村”の場所が割れ……キラが無茶をおして戦うことになった、というわけですわね」
何でもない状況整理のように思えたが、リリィの言葉にはどこか棘があった。
これには二コラも、息子のエリックに関することだけあって、敏感にならざるをえないようだった。
「エルトリア殿……。今回のことは申し訳ないと思っている。息子の身勝手で、あろうことか重体だったキラ殿に無茶をさせた」
「ええ、本当に」
「しかし――誓って。考えなしに先走り、叱っても曲がることのない頑固者ではあるが、エリックは今も間違ったことをしているわけではない。そのことだけは、どうか……」
「父親であるあなたが息子を信じていなければ、容赦無く断罪していたところですわ」
つんとして言い放つリリィの言葉は、どうやらニコラに重くのしかかる塊を少しばかりほぐしたらしい。深く俯いて隠れてしまったが、彼の顔は苦渋に歪みながらも、わずかばかりの緩みも混ざり始めていた。
「それで。あの少年の失踪を、どうしたいのでしょうか?」
そこでキラは、ちらりとセドリックを伺った。
リリィのセリフは、捉えようによっては『追いかけたい?』と問いかけているようでもあった。
実際、ドミニクはうずうずとして恋人の方を伺っていたが……セドリックは、なにやら唇をかみしめて明後日の方向へ視線を飛ばすばかりで、何も発言しようとしない。
そんな様子が気がかりではあったが、彼に問いかけるよりも先にニコラの声が耳に入ってきた。
「身勝手であるのも迷惑を振りまいたのも事実だが……エリックに批判の矛先が向かうようなことは避けたい」
「……ではこうしましょう。エマールは、どうやってか、”預かり傭兵”という人を人形の如く操る術を得ています。これにより、エリックは”隠された村”を人質に取られ、やむなくエマールと共に姿を消した……竜ノ騎士団として、こうした見解を出しましょう。わたくしたちとしても、エマールの捜索隊を出さねばなりませんから」
「ありがたい……! ぜひそうしていただけると助かる」
「では、今からでも反乱軍の皆にそう伝えてくださいな。既に注目されているようですから、この件について話し合っていたのだと付け加えて」
ニコラは地面につきそうなほどに頭を下げ、つと立ち上がった。その時には、既に悔しさも悩みも吹っ切れており、いつもの厳しい表情を取り戻していた。
結局、セドリックの様子のおかしさに気づきながらも、キラは触れることができなかった。
声をかけようとしたタイミングで、ローランが復活したのである。
曰く、
『ぐっすり寝たから大丈夫!』
だそう。
これにはキラも口出ししないわけにはいかず、リリィがどれだけ頑張って治癒してくれたかを懇々と説明し……ローランが突き抜けた明るさで礼をする頃には、皆で”隠された村”へ出立するところだった。
そうしてセドリックはドミニクと相乗りをして先に行ってしまい。追いかけようにもリリィがそれを許してくれず。さらにはユニィまで服を噛んで阻止してくる始末。
白馬がいうには、
――面倒押し付けやがって! ちったぁ感謝すらされねェ俺の身にもなってみろ!
どうやらずっとローランのそばにいたのは、何か容体に異変があった場合に備えて、”覇術”で落ち着かせるつもりだったらしい。
陰ながらローラン復活に尽力してくれたユニィの愚痴を、聞いてやらないわけにはいかず……キラはリリィと相乗りをしつつ、頭の中に響く幻聴にも意識を傾けていた。
――しかしなんだ、あのクソ割れアゴ野郎!
ひどい言い草にキラは吹き出しそうになるのを堪え、白馬の首元を撫でて相槌を打ってやる。
――てめえよりも頑丈じゃねえか! ンで起きて一瞬で走れるんだ! クソが!
どこに何の文句を垂れているのか。わからなくなりながらも、キラは懸命に白馬の立髪を撫でてやった。
――この俺様の背中に乗るのを拒否しやがって!
かつてグリューンを『馬なめんな!』と言って乗馬拒否したことを忘れているらしい。甚だ矛盾はしているが……それだけローランのことを認めているのだとしたら、不思議でもあった。
――あげく、クソの役にも立たねえような馬を選ぶとはなぁ!
すっかり元気を取り戻したローランは、白馬の苦労も愚痴も知らず、乗馬を楽しんでいる。皆の間を駆けながら、何やら歌を口ずさんでいる。
最初は、反乱軍の皆も呆れて鬱陶しそうにしていた。エマール領解放に至ったは良いものの、肝心のエマールを取り逃し、さらに”隠された村”を守るためにエリックが姿を消してしまったとニコラに知らされたのだ。
誰も彼もが意気消沈していたが……そんな皆の心情を知ってか知らずか、ローランは尚も気持ち良さげに歌っていた。
その余りのしつこさに根負けしたのが、オーウェンだった。知っている歌だったのか、自らも口ずさみ始め、するとメアリが続く。
ベルが、ルイーズが、エミリーが、ニコラまでもが口ずさみ……やがて、森の中をゆく大合唱団が出来上がった。
いつの間にか、皆に覆い被さっていた沈鬱な空気がなくなり、ただただ今この瞬間を喜ぶようになっていた。
「キラが必死になって助けたいというのも、わかる気がしてきましたわ。あの殿方は、とても気配り上手なのですね」
ローランに影響されて、先ほどから小難しそうにため息をついていたリリィが、くすくすと笑みをこぼしていた。
後ろから抱きしめてくる彼女は心底楽しそうで、それがどれくらいのものか、腹に回された腕の力で容易に知ることができた。
あいも変わらず背中に感じる甲冑の胸当ての硬さを、どこか懐かしく思いながら、キラは苦笑してみせた。
「う〜ん……意外と何も考えてない気がするけど。でも、あんなに突き抜けて楽しそうなところ見てると、落ち込んでるのがバカらしくなるよね」
「……ちょっとした例外はあるようですけどね」
リリィの言葉が意味するところは、キラにもすぐに把握できた。
まばらに並ぶ馬や人の合間に見えるその背中……先頭近くにいるセドリックとドミニクだけは、他の皆と同じ気持ちにはなれないでいるようだった。
「友達なのですから。あとでお声がけしてみてはいかがですか?」
「そうだね。……っていっても、何か言えるわけじゃないけど」
「そうであってもそうでなくても、声をかけられるのが友というものですわ」
キラは遠くに見える凸凹な恋人たちの背中を見つめて、小さく頷いた。
「そういえば。ユニィが持ってきたお手紙、びっくりしましたわよ」
「あ……。あれ、ね……」
思わず。セドリックたちから視線を外して、背後を振り向こうとした。
すると、本調子でないこともあって、体が傾き……そこを、リリィが何なく抱き止めてくれた。いつかのように、首筋に鼻息がかかる。
「……今回はそれほどですわね」
「な、何が?」
「いいえ、何でも。――で、キラ、字が書けたのですね?」
「え? ああ、それは……」
キラは言葉を繋げようとしたところで、またがる白馬がことさらうるさく鼻を鳴らしたのに気がついた。
ハッとして、出かけた言葉を虚空へ散らす。
文字が書けたのも、手紙を綴ったのも、全てはユニィに教えてもらったため。
が、それを正直に言おうものならば、白馬のユニィの不可思議さ加減に拍車をかけることになり――”覇”にまつわる全てのことを話さなければ、到底納得してくれないという事態になる。
キラは一瞬にしてリスクの高さを感知し、別の方向へ話をつなげた。
「レオナルドが、さ。修行の合間に教えてくれて……ね」
「なるほど。どうりであんなに……」
そこでリリィがハッとして口をつぐんだのを感じて、キラは首を傾げた。
「あんなに……何?」
「その、独創的で」
「……つまり字が下手だって?」
「だ、だって! キラからの手紙とわかるのに、ちょっと時間がかかりましたもの」
「ぐ……上出来だと思ったのに……」
――だから言ったじゃねぇか。これでいいのか、って
キラは耳の奥の方でボソッとつぶやく幻聴にイラッとしつつも、ぶつぶつと言い訳を試みた。
「いや、だって……。初めての手紙で、しかも他に羊皮紙はないっていうから緊張してさ……。しかも、包帯で書きにくいし、そのまえに火傷で痛むし……」
「そんなに拗ねなくても、今度からはわたくしがきちんとみてあげますわよ」
「むう……」
「それにしても……噂通り、変わった方なのですね、”奇才”レオナルド」
「え、それは、まあ……」
キラは頭の中にレオナルドの姿を思い浮かべ、思わず苦笑した。
何しろ、最初に顔を合わせた時以外、ほとんど麻袋を頭にかぶっていたのだ。対策だとかなんだと言ってはいたが、その方法が見た目にも変であることは確かだった。
「でも、何が? 僕は手紙書いただけだけど……」
実際にはユニィに教えてもらいながら、だが。
心の中でそう付け加えると、とくん、と心臓が一人でに高鳴った。
そこでキラは、チラリと上空へ視線を飛ばした。”結界”のせいで薄気味悪い雰囲気の漂う森であるが、木々の隙間から僅かに見える空は晴天そのもの。
そもそも、この”反乱計画”に加わってからというもの、曇り空すらみていない。
だからこそ、心臓が変に唸ることはなく、エヴァルトの協力が必要となったのだが……このタイミングで心臓が唸り始めたのは、他でもないエルトのせいだといえた。
しかし、心臓がビキビキとうめいたのはその一度きりだった。キラは不思議に思いつつリリィの言葉に耳を傾けた。
「だって、あの言葉遣い。『候』だとか『たまへ』だとか、わたくしも家の古文書でしかみたことのない古い言葉遣いでしたわよ」
「へ……?」
「セレナと一緒になって、何とか解読できましたけど……そこら辺は、何か聞いていませんの?」
「い、いや、何も……」
キラは白馬のユニィの後頭部を見つめたが、いつもは余計なタイミングで茶々を入れてくる幻聴が聞こえてくることはなかった。
「そう……残念ですわね」
「なにが?」
「先ほども言いました古文書、いくつかありますの。誰かの日記なのはわかっているのですが、いまいち解読できない場所も多くて……何かの参考になればと思っただけですわ」
「へえ……日記」
その気、キラは無意識に白馬の耳の様子に注目し……頭の中に幻聴が響かないまでも、ユニィが話の内容を全て聞いていたのはわかった。




