147.旗手
エマール領をめぐる戦いは、まだ何も終わっていないのである。
シスが戦い、エヴァルトが戦い……そして、キラもまた”隠された村”のために戦っていると、セドリックは確信できた。
「気づいてるくせにー」
「クソガキが……! 今すぐぶっ飛ばしてやらぁ!」
ロキの間伸びた話し方は、ともすれば余裕の表れのようにも思えた。
どれだけ策を弄しても”授かりし者”を欺くことなど出来はしない、と。
その意図を敏感に汲み取ったベルが飛び出そうとし、しかしそれをニコラが止めた。
「なんで――っ」
「馬鹿者! 状況を考えろ……! 突っかかるより先に、すべきことがある」
皆、もうすでに戦える状態ではなかった。
誰一人かけることなく、今回は戦場を駆け抜けた――文字通りに、言葉通りに。
”授かりし者”たちが繰り広げる光景に慄いては走り、その余波に怯えながらも駆け抜け、結局エマールの姿を見ることもなく引き返した。
こんな間抜けな顛末を、反乱軍の誰も思い描いていなかった。
”反乱計画”の第一段階では、奇襲によって傭兵たちの数を減らしていき。第二段階では、調べに動き出したものたちを引き続き襲っていき。第三段階で、本格的に反撃に出た傭兵たちを迎え撃った。
驚くほどにことがうまく運んでいき……だからこそ、こんな顛末に挫けていた。
事実、セドリックも思ってしまっていた――エヴァルトやシスやキラといった強者たちの介入がなければ、何もできなかったのではないかと。
しかし、同時に……。
「状況も何も――まだ戦いは終わってない――俺らは何もやってねえんだから、ここでかちこむ以外にないでしょうよ!」
エマール領の外の人間であるキラたちに、「何もできなかったのは仕方がない」と慰められたくなかった。
それで終わっては、反乱軍として集った意味がない。
自分が死んでも、誰かを無理やり前へ進ませる。
その覚悟を持って戦場に来たのである。
「俺らは、勝ち取りに来たんだ!」
ニコラの制止を振り切って、ベルがイエロウ派騎士たちに向かって突っ込む。
「っしゃ! チビにばっかいい格好させらんねえだろ、なあ、みんな!」
続けてオーウェンも長剣を携え、ベルの後を追う。
オーウェンの掛け声につられて、反乱軍戦士たちはまばらに腰を浮かし始め……しゃにむに駆け出す。
みんなの背中を見て、セドリックも沸き立つものを感じた。胸の中に掬っていた塊が、その熱で徐々にほぐれていく。
「ドミニク、俺たちもいくぞ。――ニコラさんも」
「ああ、そうだな……」
そう応えるニコラは、一つも動く素振りを見せなかった。
ただし、それはロキやイエロウ派騎士たちに恐れているからではなく……。
「――確かに、そうだ。それでは、散っていった仲間達が何のために命を落としたのか……わからなくなる」
セドリックはドミニクと一緒になってうなずき、駆け出した。
ニコラも足並み揃えて走り始め……そこで、ロキの間の抜けた声が妙に耳元でとどろいた。
「立ち向かうとかー。愚かー」
ベルとオーウェンがイエロウ派騎士たちと交戦する――その直前で、ぐらりと地面が揺れた。
岩の柱が突如として地面から生えて、二人のいく手を阻む。かと思うと、ぼこぼこと音を立てながら成長していき、巨大なゴーレムへと変貌した。
「死んじゃえー。ぺち、っと」
「だったら仲間ごとやってほしいもんだな!」
「やれるもんならな!」
ベルもオーウェンも、判断が早かった。ゴーレムの出来上がる寸前で塔のような岩柱を回り込み、いち早く敵陣へ潜り込む。
だが、ロキも。
「じゃー、こっちー」
標的を素早く変えた。
出来上がった巨人にその腕を、ベルとオーウェンに続く反乱戦士たちへ向けさせる。
「くそ、”貴族街”のをここでやられたら――」
セドリックの脳裏に浮かぶのは、”城ゴーレム”の凄まじい戦い方だった。
立ち塞がったゴーレムは、大きさこそ劣るものの、そんなものは関係なく巨大だった。大砲のように”指”や”腕”を放たれてしまえば……。
セドリックは巨人の動きから目を離さず、打開の方法をぐるぐると考え――。
「やっちゃえー」
そうしているうちに、巨人から”手”が撃ち放たれた。
皆に注意を促すことも、叫び出すこともできず、セドリックは徐々に近づく巨岩を見つめ――目を見開いた。
今に降りかかろうとした脅威が、不自然に弾かれた。
まるで横から殴りつけられたかのように、軌道を急激に変えたのである。結果、反乱軍に落ちることなく、あらぬところでごろごろと転がっていく。
「――セドリック、足を止めるな! 今のうちだ!」
ニコラの声と引っ張るドミニクの手で、セドリックは立ち止まっていたことを自覚した。
一体何が起こったのか。そんなことを考えることもなく、次の不可思議な現象が起きた。
ドンッ、と。轟音と衝撃波とが入り混じって空気を揺らしたかと思うと、巨大ゴーレムの上半身がはじけ飛んでいた。
再度反乱軍へ腕を向けようとしていた巨人は、突如として下半身を残して静止する。
そこでようやく、”手”や巨大ゴーレムに何が起こったのかを理解した。
「よォ、糞餓鬼。また会ったな」
立ち尽くすばかりのゴーレムの下半身に、人がいたのだ。
風でたなびく長い赤髪に、スリットの入った修道士のような真っ黒な服。
のぞく褐色肌が艶やかなその女性こそが、どうやってか”授かりし者”の力に対抗したらしかった。
「あの人は……?」
セドリックは、再び走る足を緩めた。今度はドミニクもニコラも一緒になって立ち止まり、彼女を見上げた。
「”反乱軍”! 悪いが、この糞餓鬼はアタシの獲物だ。――おい、そこのリーダー!」
振り向きもせずに指をさされたニコラは、びくりと体を震わせた。珍しく動揺を隠せなかったようで、ろくに言葉を出すこともできていない。
「人の上に立つときャ、ちゃんと自分の言葉も守るこった――止まってんじゃねェ!」
「それは――いや、そんなことより、あなたは……」
「あん? そういや言ってなかったか。竜ノ騎士団”第二師団”師団長、レーヴァ」
呆れるほどに口の悪い修道女は、腰に手を当て胸を張っていった。
「どうせ死ぬときゃ死ぬんだ! だったら全力出せ――神様にも失礼のねェようにな!」
竜ノ騎士団。言わずと知れた、エグバート王国最強の騎士団である。
”トップスリー”と称される元帥たちがそれぞれ”最強クラス”と呼ばれるほどの実力者であるのはもちろんだが、実を言えば騎士団の屋台骨となっているのは十二人の師団長たちである。
彼ら彼女らが、王国各地で師団の指揮を取り、時に実力で街を守ったりしているからこそ、王国の平穏が保たれている。
エマール領という場所にあっても、唄や物語として子供たちにも情熱的に伝わっていた。
セドリックもこれに感化されたうちの一人であり――今までに聞いてきた話が誇張も脚色もされていないことを、肌で感じ取った。
それほどに、”第二師団”師団長レーヴァは凄まじかった。
彼女の姿が見えないのだ。いきなりゴーレムの足が弾け飛んだり、いきなり放たれた”手”や”腕”があらぬ方向へ吹っ飛ばされたり。
巨大ゴーレムの脅威から反乱軍を守りつつ、”授かりし者”ロキを相手取っているのである。
おそらく、彼女に守るものさえなければ、ゴーレムも”イエロウ騎士団”もまとめて仕留めているところだろう。
少しだけ、気後する。
また守られながら戦っている、と。
もしかしたらいない方がいいのでは、と。
だが、そんなことを思う暇のないくらいに、セドリックは戦いに打ち込んだ。
「ドミニク、任せた!」
「――”穿て、風の槍よ”!」
向かってくる敵を真っ向から受け止めては、幾度か切り結んだのちに、パッと横っ飛びに避ける。そうすることで、詠唱の時間を稼ぎつつ、魔法を確実に当てられるよう誘導する。
ドミニクとの連携攻撃は、思いの外うまくはまっていた。
セドリックはニッとしてドミニクと視線を交わしながらも、少しばかりの違和感を持っていた。
周りを見れば、皆善戦している。どころか、着々と相手騎士たちを打ち倒してもいる。
「なんか鈍い? ――っと!」
よそ見をした隙をつくかのように、黄色いマントをひらめかせる騎士が斬りかかってきた。
セドリックは寸前のところで反応し、刃を刃で防ぐ。
そこで、ますます違和感が強くなった。
騎士たちには、力が足りなかった。戦いが溢れる中でも気の緩みを見逃さず、そこへ的確に付け入る技術も持っているというのに、押し切る力がない。
今も、本当ならばもっと押し込まれて然るべきだったが、セドリックはほぼ力技だけで逆に抑え込むことすらできていた。
「ぐ、ぅぅ……!」
何かに耐えるような騎士の呻き声を聞いて、はたと気づく。
騎士の脇腹あたりから、血が滴り出ていた。強烈な斬撃を受けて鎧もろとも掻っ切られたのが、その惨状でよくわかる。
しかも、ところどころに黒い煤がつき、フルフェイスの隙間から見える肌も真っ赤になっていた。
セドリックは思わず後退したい気持ちをグッと堪えて、思いっきり蹴飛ばす。
すると、騎士は呆気なく後ろへ倒れ込み、そのままうずくまって動かなくなってしまった。
「これって、まさか……」
もう一度、戦場を見渡す。
セドリックの想像通り、イエロウ派騎士たちの誰もが手負いだった。
ある騎士は腕が動かないほどの切り傷を負い、ある騎士は切られた足を何とかカバーしつつ戦い続けている。
一体、彼らの身に何が起こったというのか。
当然、反乱軍の仕業ではない。足首や太ももの内側や脇腹や肩といった、鎧の隙間をつく剣の腕を持つものは誰一人としていない。
となれば。
彼らがロキと共に姿を表した方向を考えれば、誰が彼らを襲ったのかは明白だった。
「”その英雄。一人、理不尽を振り払う”」
かつて”流浪の民”が唄っていた”予言の詩”……。その一節が、またもかの少年とかぶっていた。
セドリックは、唄の一幕を垣間見たような気がして――ブルリと震えるとともに、奮い立った。
おそらくは、この戦場にいる反乱軍戦士の誰もが、イエロウ派騎士たちの異変に気づいている。彼らの身に何が起こったかも。
だからこそ、それほど時間もかからず戦いを制することができた。
ただ……。
「逃げんのか、糞餓鬼!」
「煽ってもむだー。戦略的てったーい」
怒涛の勢いで攻めていたはずのレーヴァが、ロキを取り逃してしまった。
彼女の動きは目に見えないほどに速いものだったが、ゴーレムの生成あるいは再生させるスピードも尋常ではなかった。
しかも、レーヴァは反乱軍を守りながら戦っていたのだ。むしろ、よくその戦況でロキを捕まえようとしたのかと感心するほどだった。
「ちっ……まァ、捕虜ができただけまだマシか」
すたっ、とすぐ目の前に着地したレーヴァに、セドリックは気を取られた。
彼女が整った顔立ちだからでも、スリットの入った褐色の生脚が気になるからでもない。
「あの……」
「お? 報告にあったセドリックだな?」
「え? あ……そうっすけど……なんでわかったんすか?」
「そりゃ、見りゃわかる」
「いや、そうじゃなくって……目にも止まらないスピードで飛び回ってたのに……」
「毎日飛び跳ねてっからな――目がイイんだ。唯一魔法を使えるチビな恋人と一緒に戦ってた。だろ?」
「すげえ……じゃなくって。俺もあんな戦い方したい……あんなふうに、俺もみんなを――」
つい勢いこんで一歩踏み込むと、ビンッ、とデコピンをされた。
尋常ではない強さにのけぞり、だけでなく、ゴロンと後ろ向きに倒れてしまう。
セドリックはドミニクに助け起こされつつ、やれやれとばかりに首を振るうレーヴァを見上げた。
「お前、よく『影響されやすい』だとか言われねェか? んなこっただめだ――いくら筋がよくともな」
「でも俺は……!」
「見た感じ――この糞腹立つ”イエロウ派”どもは、随分と憔悴しきってんじゃねェか」
レーヴァの脈絡のない話に首を傾げながらも、セドリックは言った。
「それは……多分、キラが……。”隠された村”に残った中で戦えるのはあいつだけなんで……」
「ほォ……ざっと二百はいる。――しかし戦場に出ずに『残った』ってこたァ、相当な怪我を負ってんだろ。しかも聞いたところによれば、”治癒の魔法”が効かねェ」
「それが、何か……?」
「芯がなきゃあ、出来ねェ芸当だ。アタシもたかが百や二百、どうとでも対処できるが……おんなじ条件でやれるかって言われりゃあ、また別だ。セドリック、お前は?」
「俺は……」
できる、とは口が裂けても言えない気がした。
大火傷を負った状態で、”治癒の魔法”にも頼れない中、これほどの敵が攻め行ってきたら……考えるだけで、頭が真っ白になった。
「戦い続けるには意志が必要だ。怪我をし、なお戦うには根性が必要だ。――『あんなふうになりたい』『こんな風になりたい』だなんて妄想だけじゃ、支えきれねェほど重い」
「……」
「まァ、気楽に行け。不屈の精神ってやつは、”今も折れることのねェ奴”が持つもんだ。いつの間にかついてくる」
キラが初めて”隠された村”にきてくれたとき。村から姿を消したエリックを追うために、セドリックは決闘を挑んだ。
――そして今回は、エリック自身に戦いを挑んだ。
結果は言うまでもない。
戦うまでもなかったのだ。
キラに負けたのも、エリックに負けたのも、知らなかったからだった。
いやだ、だめだと、叫ぶだけでは足りない――折れることなく、どんな戦いにだって挑んでいける”芯”を持っていなければならないのだ。
「俺は……」
キラに負けた時、悔やみたくないのだと剣を握り直した。
「俺は……?」
だがエリックに負けて、わからなくなってしまった。
それが”芯”となりうるのか、と。レーヴァの言葉を前に、自問自答してしまう。
少なくとも――地下通路で対峙したエリックは、それほどに自己中心的な剣を振るってはいなかった。
○ ○ ○




