冷たい婚約者の呪いを解く方法
婚約者が寄生樹に魅入られたと聞いたのは、奇しくもセシリアの17歳の誕生日当日だった。父から聞かされた事実に目の前が真っ暗になった。
寄生樹というのは宿主の生命力を奪って花咲かせ、実を結ばせる、魔力を持った植物だ。寄生樹は宿主の生命力を奪いやすいようにその人物の理想の姿になる。つまり、愛するものの姿に擬態するのだ。
12歳の時に2人の婚約は決まった。当たり前のように政略結婚だった。初めて会った時ははにかんで手を差し出してくれた少年は時が経つにつれてセシリアに冷たく当たるようになった。セシリアもそんな彼のことを疎ましく思った。こんな関係で結婚をして子を成せるとは到底思えなかった。
最後に彼に言われた言葉は、君はもう昔のようには笑わないんだなというものだった。淑女教育の賜物でセシリアは完璧な笑顔を身に付けた。社交に出ても恥ずかしくない立派な淑女になった。マナーもダンスも、政治も流行も一生懸命勉強した。そうして自分の価値を限界まで高めた。
伯爵家の娘として誇りを持って生きていけるように血の滲むような努力をした。それなのに、婚約者が寄生樹に魅入られるなんて運が悪い。寄生樹から逃れるためには宿主の本当に愛する相手との証がいる。証を確認すると生殖が出来ないと判断して寄生樹は枯れるのだ。
愛の証、それさえあれば彼は助かる。だけど、あんなに冷たい婚約者の呪いを自分が解けるとはとても思えなかった。もしかすると他に想いを寄せる相手がいたのかもしれない。それならばあの態度にも納得がいった。
それでも一応婚約者なのでセシリアはジョシュアの見舞いに行くことにした。途中で彼の好きだった茶葉をお土産に購入した。過去形なのは今の彼の好きなものがセシリアにはわからなかったからだ。
久々に訪れたパルヴァー侯爵家はどんよりと空気が澱んでいた。寄生樹の影響かはわからないが使用人たちも疲労の色が濃かった。彼らはセシリアを見て何か言いたそうな顔をしていたがすぐに諦めて散り散りになった。
応接室で待っていると侯爵と夫人がやって来た。彼らはとても申し訳なさそうな顔をしていた。きっと、ジョシュアとセシリアのこれからについての話があるだろう。例えば、婚約破棄とかそういった類のものだ。
死んでしまうよりは愛する相手と結ばれて生きる方が絶対に良い。だから、婚約を破棄すると言われても受け入れる気つもりだ。この年齢でまた婚約者を探し始めるのはきっと一筋縄ではいかないけれど、もしかしたら侯爵も新しい相手を紹介するくらいはしてくれるかもしれない。侯爵は何度か躊躇ってから話し始めた。
「セシリア、まずは君に謝罪をしたい。まさかジョシュアが寄生樹に魅入られるとは思わなかった。それと、これからの事だが君にはたくさんの我慢を強いることになる。だが、どうか私たちを、パルヴァー侯爵家を助けて欲しい」
「侯爵様、顔を上げてください。大丈夫です。ちゃんとわかっております。ジョシュア様がわたくしのことをどう思っていたかなんて誰が見ても明らかでした。だからそんなに謝らないでください。わたくしは大丈夫です、だからお気になさらないでください」
「違うんだセシリア、君とジョシュアの婚約は継続する。いや、口で説明するよりも見たほうが早い。一緒にジョシュアの部屋に行こう」
「はい、侯爵様がそう仰るのでしたら」
セシリアは内心疑問でいっぱいだったがそれを悟られないように優雅な足取りで彼らの後をついて行った。すれ違うたびに使用人たちの視線が刺さるような気がした。確かにしばらくこの屋敷には訪れていなかったが何かがおかしい、と感じた。
ジョシュアの部屋の扉をノックしても返事はなかった。仕方なく侯爵が扉を開けるとそこにはジョシュアにしなだれかかる寄生樹がいた。その姿は緑色をしているということを除けばセシリアに瓜二つだった。むせ返るような甘い匂いの中、彼はその寄生樹の髪を梳かしながら愛おしそうな顔で見つめていた。
「愛してるわ、ジョシュ。大好きよ」
寄生樹が囁くとジョシュアは嬉しそうに微笑んだ。寄生樹の頬にキスをして愛していると言った。
何か悪い夢を見ているんじゃないかとセシリアは思った。自分にそっくりの寄生樹は甘えた声で彼を愛称で呼んで彼に抱きついていた。
そんな2人だけの甘い空気に侯爵と夫人とセシリアはなんとも言えない顔をした。つまり、ジョシュアを救うためには彼女との愛の証がいるのだ。元々婚約者であるし将来的にはそうなるものであったが嫌われているとばかり思っていたのでこんな展開になるとは予想もしていなかった。
「ジョシュア様、お見舞いに来ました。あなたの好きな紅茶を持って来ましたよ」
「セシリア…?どうしてセシリアが2人いるんだ?」
「ジョシュア様、わたくしが本物のセシリアです」
「ジョシュ、わたしが本物のセシリアよ」
甘えるようにジョシュアにしがみつく寄生樹を見てセシリアは強い怒りを覚えた。格上の家に嫁ぐために必死で努力をしてきたのにあれが彼の理想だというのか。他に愛する相手がいた方がまだましだと思えた。
幼児のように舌足らずに彼に甘える寄生樹に吐き気がした。とにかく、この場にいたくなくてセシリアは立ち上がった。それが失礼なことだとわかっていたけれどこれ以上はもう見ていられなかった。
「気分がすぐれないので失礼させていただきます。ジョシュア様、ごきげんよう」
「ああ、セシリア。気をつけて」
もう何年も無視をしてきた彼がセシリアを心配してきたので素直に驚いた。寄生樹の影響だろうか、セシリアは顔を上げて彼の顔を見た。久しぶりに目が合って、本当に心配しているように見えた。
「ねぇ、ジョシュ、わたしのことを忘れてなぁい?」
「ああ、セシリア、こんなところにいたのか。寂しい思いをさせてすまない」
膝の上に乗った寄生樹の頬をジョシュアは優しく撫でた。セシリアはもうこれ以上は見ていられないと思い、ジョシュアの部屋を後にした。冷静になるために目を閉じて、深呼吸をした。それを見た侯爵と夫人はとても気の毒そうな顔をした。
「セシリア、君にはとても申し訳なく思っている。でも、私たちはどうしてもジョシュアを助けたい。だから、この家に住んでジョシュアと過ごし、愛の証を作って欲しい」
「はい、承知いたしました。ですが、一度家に帰らせてください。まだ、自分の気持ちさえ受け止めきれていないのです」
「ああ、わかった。ウォルトン伯爵にもよろしく伝えて欲しい。セシリア、君だけがジョシュアを救える。君は私たち家族にとって希望の光なんだ」
「セシリアさん、ごめんなさい。まさかこんなことになってしまうなんて、本当に申し訳なく思っているわ。あなたの部屋は整えてあるから、必要なものがあれば何でも言ってね。私にできることであれば何でもするわ。だから、どうかジョシュアを助けてください」
セシリアは小さくはい、と答えるのがやっとだった。愛の証というのはつまり、子どものことだ。婚約者とはいえ未婚の男女が子を成すことを勧められるのは異常な状況だと言える。ジョシュアが助かればすぐに婚姻届を出すのだろうか、もし、彼が助からない場合はセシリアにとっては取り返しのつかない醜聞になる。それでも、あんなに必死に頼み込まれて断ることはセシリアにはできなかった。
帰宅すると父が出迎えてくれた。きっと、侯爵から話は聞いているのだろう。いつも朗らかな人だがその顔は暗い。
「セシリア、きっと今とても戸惑っていると思う。私も最初は信じられなかった。でも、ジョシュア様を、ひいてはパルヴァー侯爵家とウォルトン伯爵家を救うためにもお前には努力をして欲しい」
「努力と言われてもわたくしはどうすればジョシュア様の心がこちらに向くかなんて全然わからないのです」
「セシリア、私は今までずっと淑女教育を受けるお前を見てきた。その苦労はわかっていると思う。だが、今日からはそれを全て捨ててジョシュア様の望む姿を演じて欲しい」
「わたくしの今までの努力は全て無駄でしたのね」
「そんなことはない、セシリア、お前は何も悪くないんだ。ただ、運が悪かっただけだ。後はジョシュア様が寄生樹に殺されてしまう前に愛の証を残すんだ。大丈夫、婚姻届はすぐに受理される。それに、思い合っている相手とならきっと乗り越えていけるよ」
セシリアの方はジョシュアのことを別に愛しているわけではなかった。幼い頃は彼のことを好ましく思っていたが、冷たい扱いをされるごとにその気持ちは薄れていった。彼もきっと自分と同じで決められた婚約者に対して愛などないのだと今日までは思っていた。
寄生樹にキスをする彼はとても幸せそうだった。あんな目で見つめられたことはセシリアにはなかったはずだ。明日からは今まで学んだことを全て捨てる。わたくし、ではなくわたし、ジョシュア様ではなくジョシュと呼ばなければならない。まるで幼い頃のように。そのことを考えると頭が酷く痛み、息が苦しくなった。夜中に何度も目が覚めて、その度に吐き気がした。そして疲れ果てて気を失うように眠った。
翌朝、必要なものだけ纏めてセシリアは自宅を後にした。まだ、少し頭痛がした。愛の証と言ってもそんなに簡単に結実するものではないとセシリアは知っている。寄生樹が先か、セシリアが先かわからない。それでも時期侯爵を守るためならセシリアはこの身を捧げてそれを遂行するしか選択肢はなかった。見送りに来た母がセシリアに瓶に入った赤い液体を手渡した。
「これは柘榴を煮詰めたシロップです。子を授かるにはこれが1番です。私もこれであなたを授かりました。定期的に送りますから朝起きたらこれを水で薄めたものを飲みなさい。あと、お腹は冷やさないように腹巻きをするのよ」
「はい、ありがとうございます。お母様」
「きっと役目を果たしてくれると信じているわ。あなたに女神の加護がありますように」
そう言うと母はセシリアを抱きしめた。久しぶりに触れた母の身体は薄く軽くなっていて、何だかそれがとても悲しかった。
◇◇◇◇
侯爵家へ着くとセシリアは用意された部屋へと移った。豪華な調度品はセシリアの心を少しだけ慰めてくれた。水槽の中の青と黄色の小さな魚がまるで自分のようだと思った。母から渡された瓶をナイトテーブルの上に置き、これからすることに対して覚悟を決めた。
「わたしはできる、わたしはできる、ジョシュを愛している。大丈夫、できるわ」
ぶつぶつと呟くセシリアの顔には表情というものが全くなかった。しかし、次の瞬間には子どものような無邪気な笑顔を浮かべた。
ジョシュアの部屋にノックをしてから入ると寄生樹とピッタリと重なるジョシュアの姿があった。彼のシャツははだけ、その瞳は潤んでいた。その意味がわからないほど子どもではない、むしろ、これから自分もその行為をするのだ。セシリアは深呼吸をしてからジョシュアを睨んだ。
「ジョシュ、どうしてわたし以外の女の子と一緒にいるの?わたし、とっても悲しいわ」
「セシリア、どうしたんだ?」
「だって、ジョシュが知らない女の子といるんだもの。もうどうすれば良いかわからないわ。ジョシュなんて嫌い、大嫌いよ」
ジョシュアは慌てて寄生樹から離れてセシリアのもとへ向かうと彼女の顔を心配そうに見つめた。
「セシリア、どうして泣いているんだい?何か悲しいことでもあったのか」
「ひどいわ、ジョシュ、前みたいにセスって呼んでくれなきゃ嫌よ」
「ごめんよセス、何だかずっと夢を見ているような気がするんだ。優しい君と、冷たい君がいて戸惑ってしまって。君は僕のセスだよね?」
「ええそうよ、あなたのセスよ。だから、あの女の子を早く追い出して」
幼い頃のセシリアはそれはもう我儘でお転婆だった。強気の彼女にジョシュアはいつも振り回されながらも嬉しそうだった。昨日、何度目かの頭痛の後に思い出したのだ。彼がセスと呼んでいたこと、彼女が大嫌いと言うと何でも許してくれたこと。恥ずかしそうにスズランの花束を渡してくれたことを。
セシリアが甘えて我儘を言うとジョシュアは喜んだ。彼が喜ぶのが嬉しくて更に我儘を言った。どうしてそんな大事なことを忘れていたんだろう。幼い頃のことはいつもぼんやりと霞みがかったようだったのに昨日の夜からまるで水がコップから溢れるように思い出したのだ。
最初に冷たくしたのはセシリアの方だった。彼が喜ぶ我儘も言わなくなった。彼に何かをしてあげたいと思えなくなった。寂しそうな目をするジョシュアをセシリアは疎んで無視をした。そんな小さな綻びがいつしか2人の間の決定的な溝になっていた。
「セス、やっと戻ってきてくれたんだね。良かった、また君に会えた」
「ジョシュ?何を言っているの?」
「良いんだ、わからなくても。もう会えないと思っていたから本当に嬉しい。そこの寄生樹はきちんと仕事をしたね」
「ジョシュ?あなたにも寄生樹の本当の姿が見えているの?」
「ああ、でももう要らない。君が戻ってきてくれたから。君の呪いを解くためにはあれが必要だったんだ」
「呪い…?何のこと?だって、呪われているのはジョシュのはずでしょう」
「いいや、君は幼い頃に呪いに掛けられて愛と記憶をなくしたんだ。僕はそれをどうにかしたくてずっと研究をしていた。寄生樹が愛を乞う時に出す成分が君の呪いに効くと思ったんだ」
「そんなことのためにわざと寄生樹に魅入られたの?」
「そんなことじゃない。1番大切なことだ。君の愛の為なら僕は何だってできる。呪いにかけられた君は僕を無視した。最初はそれがとても辛かったけど、呪いの内容が愛と愛するものの記憶を失うと知った時、何をしてでもそれを取り戻そうと決めたんだ」
「ジョシュ、わたしはあなたに何もしてあげられなかったわ。酷いことばかりして」
「そんなことはないよ。君がいるだけで良かった。何度も君の呪いを解く実験をしたけどいつも失敗ばかりだった。だから、昔の僕たちのことを思い出してくれただけでも本当に嬉しいんだ」
「ごめんなさい」
「良いんだ、でもひとつだけお願いがある。僕はまだ寄生樹に呪われたままだ。だから、君との愛の証で僕を救って欲しい」
「それって」
「ねぇ、セス、元々そのつもりでここに来たんだよね。大丈夫、優しくするしきっと上手くいくよ。本物の君にキスをするのは初めてだね。さぁ、目を閉じて」
ジョシュアの顔が近付いて来たのでセシリアは目を閉じた。呪いが解けて愛を取り戻せたのならこの人を愛せるかもしれない。なくしたのはジョシュアへの想いだったのかもしれないと思うとすんなりと彼を受け入れることができた。セス、と愛おしそうに名前を呼ばれる度にじんわりと胸の奥が温かくなった。セシリアは彼の呪いが解けますようにと女神に祈った。
◇◇◇◇
半年後、セシリアとジョシュアは小さな教会で結婚式を挙げた。新婦は眩い笑顔で少し膨らんだ自分のお腹を撫でた。新郎の横にはもう寄生樹はなく、ウエディングドレス姿の新婦をうっとりと見つめてからその頬にキスをした。両家の親族たちも大喜びで新しい命と若い2人の門出を祝ったのだった。
読んでくださってありがとうございます!評価やブックマーク、感想を頂けるととても嬉しいです。
下に今連載している「助けた老婆の魔法で美人になったら、初対面の伯爵様にプロポーズされま(以下略)」のリンクを掲載しています。