第四話 娘とのキスはパパの大事なお役目です
デレッデッデーデデッ♪
「やったーっ! ボクらの勝ち~っ♪」
「ぐぬぬ……」
テレビからファンファーレ音が鳴ると、翔子がバンザイし、巴がくちびるを噛んだ。
ちょうど、ゲームも一区切りの様子。
「えっ、もう終わったのっ?」
巴と組んでいた凛は、よく分からないうちに負けたようだ。
「……くいくい」
再び巴に袖を引っ張られる。
「ほら……残念賞のキス……」
そう言って、自らの丸いほっぺたを指差す巴。
指で押さえられたところが、ぷにっとへこむ。
俺はひざまずき、小さな姫の仰せのまま、たまごプリンのような頬に口づけた。
「ん……♪」
巴は、くすぐったそうにしながらも、満足げに口元を歪める。
そして、小さな手を俺の首に回して、頬にキスを返してくれた。
帰宅後、二度目のキス。
巴の眼鏡が、顔に少し当たる。
巴は大人びているようで、まだまだ甘えんぼうだ。
「巴ったらいいな~っ! じゃあ美貴はぁ、がんばって勝ったごほうびに、キスしてもらっちゃお♡」
ソファから飛び降りた美貴が、俺にまとわりつく。
どうやら、ゲームに勝っても負けても、キスはするようだ。
「さっきしたじゃないか」
相変わらずハイテンションな美貴に、思わず突っ込んでしまうが、即座に反論される。
「あれは、美貴がしただけじゃないっ! ダーリンからのキスは、まだもらってないと思うんだケドなぁ~?」
「そういうこと……。それに……一度したから……二度目はいらない……というのは……意識が低すぎる……。隙あらば……何度だってすべき……♪」
巴も美貴に賛成した。
「ああ、そうだな。ごめんよ」
娘たちのこだわりは尊重すべきなので、おとなしく従おう。
はやくはやくっ、と背伸びをしながら突き出される美貴の頬に、そっと口づける。
こんなことで喜んでもらえるなら、いくらだってしてあげたい。
しかし――。
「きゃっ♡ ダーリンのクチビルったら、ちょっとカサカサしちゃって、カワイイ~♪ うふっ、ダーリン、ダーリン、ダ~リ~ンっ♡」
ダーリンと連呼されるのは、なかなかに恥ずかしい。
この間、美貴は、両手で俺の片手を握り、ぶんぶん振っている。
昔は美貴もパパと呼んでくれていたのだが、最近になって、こんな呼び方をされるようになってしまった。
実の父親をダーリンと呼ぶ娘なんて、俺は聞いたことがない。
「それ、外では言わないでくれよ?」
「わかってま~すっ! だから今、たくさん言ってるの♪ ダ~リンっ♡」
「うそ。今日もたくさんの友だちの前で、言っていたじゃない。それ、私もやめてほしいんだけれど。私まで、“お家では、あんな風によんでるの?”って、クラスで聞かれたりするのよ?」
ここで凛から衝撃的な真実が告げられた。
美貴、やっぱり学校でも言っているのか……。
「じゃあ、凛姉さんも、よべばいいじゃない」
「ぜったいやだ」
「パパのことを、“あんた”とか“この人”ってよぶほうがメンドーじゃない? そんなだから、凛姉さんはヨッキューフマンになるんだわ」
「なってない」
「でも、“あんた”って、“あなた”みたいなカンジだし――ダーリンってよぶより、およめさんっぽい? そう思うと、ダーリンと凛姉さんって、あんがいジュクネンフーフらしいカモ♪」
「なんでそうなるのよ!」
凛と美貴は、もはや俺を置き去りにして、楽しげな(?)言い合いを始めている。
「――――んっ」
ふと、背中にぬくもりと吐息を感じた。
ゲームを一旦片付けた翔子が、俺にしがみついてきたのだ。
「今のうちに、とーちゃんゲット♪ ……じゃあ、とーちゃん。ボクにもしてよ」
そして、少し背伸びをし、耳元でささやく。
「いいよ」
俺は、翔子の形のいい鼻の頭へ、軽くキスをする。
「へへっ、とーちゃんに、ちゅーされちゃった……♡」
翔子は、くちびるの触れた箇所をこすり、頬を染めながら笑った。
さっぱりした性格なのだが、時折こうした照れを見せる。
「よしっ! 次は凛の番だねっ!」
「そもそも美貴は――って、何?」
はにかむのも束の間、翔子は元気よく凛の肩を叩く。
すっかり美貴との言い合いに熱中していた凛は、急に話を振られ驚いた。
「何って、とーちゃんと、ちゅーするんだよ」
「そそそそそそんなこと、私がするわけないでしょっ!?」
あっけらかんと言う翔子と、盛大に取り乱す凛。
「そんなコト言って、けっきょく毎日してるくせに」
そこへ追い打ちをかける美貴。
「ん……すぅ……」
いつの間にか俺の手を握り、うとうとし始めている巴。
やや混沌としつつも、我が家ではありがちな平和な光景。
しかし、凛にとっては悩ましい状況なのだろう。
「それは……みんなが無理やり……させるから……」
凛は、俺の方をちらちら見つつ、小声で言う。
「ほら、ダーリンも待ってるよ? 凛姉さんと、キスしたいって」
「……そうなの……?」
――こんなとき、どう言えばいいのだろう。
凛とキスすることが嬉しいか否かと問われれば、それは間違いなく嬉しい。
しかし、凛が嫌ならば、無理にそんなことはしなくていい。
我が家の娘たちはみんな、俺と触れ合うことを好んでくれていて、それはありがたいことだ。
子を愛する親として、冥利に尽きる。
でも、みんながそうだからといって、凛も合わせる必要はないのだ。
俺が娘たちから懐かれることよりも、娘たちがそれぞれに楽しくのびのび過ごすことのほうが、遥かに大事なのだから。
「いいや、凛が嫌なら、無理することはないよ」
考えた末、俺はそう言った。
「ほら、あんなこと言う……」
すると凛は、なぜだかいじけた様子で、俺を指差しながら美貴に言った。
「も~う、ダーリンったら……」
美貴もあきれた様子。
今の発言は失敗だったか?
確かにあれでは、凛に興味がないように聞こえてしまったかもしれない。
例え鬱陶しがられても、凛への愛情を強く表しておくべきだったか?
できるかぎり触れ合いたいと、素直に伝えるべきだったか?
いや、それでは、こちらの気持ちが凛へのプレッシャーになり、逆に苦しめてしまうかも……。
難しい、実に難しい!
「いいから早く……凛姉さんを……つかまえなさい……。全ての責任は……私が取る……」
人知れず悩む俺の耳に、巴のか細くもはっきりとした声が届く。
驚いて巴を見ると――。
「んにゃ……」
よだれを垂らしていた。
寝言なのかもしれない。
だが、巴の言う通りだ。
迷うことなんてない。
今までも、娘たちへの接し方に悩むことは何度もあった。
けれど、そんなときはいつだって、愛情に素直になることで解決できた。
巴の手も、いつしか俺を解放している。
「うーん、やっぱりパパは、凛にただいまのキス、したいかな」
言いながら、俺は凛に近付いていく。
凛が本当に嫌なら、いつでも逃げられるくらいに、ゆっくりと。
凛は固い表情で、身動きひとつしない――。
とうとう俺は、華奢な体を抱きしめる――。
「凛、いいか」
耳元で問いかける。
「あんたが、いいなら……勝手にしてよ……」
応じる凛は、耳まで真っ赤だ。
凛の悩みを長引かせないように、俺は素早く、その白い頬にキスをした。
恥ずかしさを堪え、受け入れてくれた凛が愛おしい……!
目を伏せ、何かを噛みしめるような顔をしていた凛が、複雑な感情を乗せた目で、俺を見つめ返す。
そして――。
「凛ねえさま、いいなぁ! 華弥もお父さまとキスする……♡」
「愛もよ!」
「ゆいも!」
一旦、自分たちの部屋へ引っ込んでいたらしい三人が、ドヤドヤと再登場してきた。
「りんちゃん、よかったねぇ! ちゅー、うれしいねぇ♡」
優結が本当に嬉しそうに、ぱちぱち手を叩きながら凛へまとわりつく。
「べ、別に……そんなことないわ――っ!」
恥ずかしさが限界を超えたらしい凛は、やたらと距離近く密着してくる優結を柔らかく避け、逃げていった。
……いや、単に逃げたのではなく、食器の用意をしている理沙の手伝いへ向かったようだ。
俺も手伝いにいこうとすると――。
「お父さま……華弥たち、わすれないで……。おかえりになってから、まだキスしてないよ……?」
華弥にズボンを引っ張られた。
少し泣きそうな顔をしている。
「んっ、んっ」
さらに華弥は、背伸びをして、何とか俺の顔に近付こうとしている。
「ああ、ごめんね。お父さんも、華弥たちとちゅーしたかったよ」
姉たちばかりとキスしているのはフェアじゃない。
華弥の健気な姿を見ていると、一刻も早くちゅーしてあげないといけない気になってくる。
俺がしゃがむと、華弥は途端に顔を輝かせた。
その笑顔のほっぺたに口づけ、華弥からもお返しをもらう。
「つぎ、ゆい!」
しゅばっと両手を挙げてアピールする優結とも、ちゅーの交換をした。
……いや、優結からは、ちゅーされたというより、鼻や頬を舐め回された。
そんなやり取りの中、愛は妙におとなしい。
どうしたのかなと思って、愛を見ると――。
「ふっふっふっふ……!」
腕を組んで、不敵に笑っていた。
「愛、どうしたの?」
俺も笑って尋ねる。
「パパ、愛のおなかに、キスしなさーいっ!」
愛はそう言って、服をぺろんとめくり、まあるいおなかをさらした。
可愛いおへその辺りを親指で示し、“ふふんっ♪”と何やら勝ち誇っている。
みんなとは、少し違うことをしたいのかもしれない。
「は~い!」
俺は素直にご主人さまのご命令を聞き、甘いにおいのするおなかにキスをした。
「きゃぅっ♪」
くすぐったそうに喜ぶ愛は、今度は俺の顔を両手で挟んで、物色し始める。
耳やうなじを興味深そうに眺めた後、あごの下にキスしてくれた。
結局、あまりおもしろそうなところが見つからなかったようだ。
そうこうしていると――。
「ご飯ですよ~」
理沙の澄んだ声が、夕餉の合図を告げた。
「「「「はーい!」」」」
俺は優結たちといっしょに手を挙げ、元気に返事をした。
キスの様子を眺めていた翔子、スプーンを並べる凛、凛についていっていた美貴、ソファでむにゃむにゃ言っている巴も、同じく返事をする。
――そして、家族十人そろっての夕食が始まった。
【三女・凛のウワサ 1】
ヒミツにしているつもりのことは大体、パパ以外のみんなにバレているらしい。