第二話 フライデー・ナイト・フィーバー
「華弥ちゃん! 愛がいちばんに、パパにおかえりなさいしたよ♡ パパ~ってよんで、とっしん! マジカル愛あたーっく☆」
「愛ったら、いっつも、ひとりで、はしっちゃうもの。いっしょにいこって、いったのに……」
「ごめんね! つぎは華弥ちゃんが、パパにとっしん! していいよ」
「華弥は、そんなことしないもん……。お父さまは、おつかれだし、もっとやさしくするの……♡」
愛と話しながら、俺へくっついてくるのは、幼くも麗しき少女。
この子は、我が家の六女、華弥だ。
愛や優結に比べると長く伸びた黒髪、少し困っているようにも見える下がり気味の眉。
今は幼稚園の年長組だが、すでに大和撫子的な美しさと気品を纏っている。
今日は、清楚なワンピース姿だ。
「みんな、お父さんにまっしぐらですね♡ でも、そんなにくっついたら、お父さんが動けないよ」
先ほどまで華弥と手をつないでいた、落ち着いた印象の少女が、優しく声をかけつつ、俺にまとわりついていた三人を少し離れさせる。
華弥たちよりずっとお姉さんのこの少女は、我が家の長女、理沙。
現在、小学六年生だ。
眼鏡をかけており、髪は、うっとりするほど、きれいに伸ばされている。
その奥ゆかしくも暖かな笑顔と声は、いつも俺の心に安らぎを満ち溢れさせる。
理沙は三人の小さな妹を連れて、この最寄駅まで俺を迎えに来てくれたのだ。
電車の中で、俺が妻から受け取ったメッセージは、この最高のお出迎えの連絡だった。
しかし、あの元気な愛と優結が、おとなしく理沙についてくるとは思えない。
きっと駅に着く頃には、二人とも理沙の手をすり抜け、駆け出してしまったのだろう。
そのときの様子が目に浮かぶようだ。
「優結、愛、華弥、理沙。迎えに来てくれてありがとう。パパはとっても嬉しいよ!」
四人それぞれと目を合わせながら、喜びを伝える。
「理沙、大変だったろう」
少し小声になって、理沙を労う。
「いいえ。みんないい子だし、大じょうぶですよ。お父さんに近付いたら、ちょっと元気になりすぎたみたいだけれど♪ それも仕方がないですよね。私だって、お父さんに、少しでも早く会いたかったですから……♡」
理沙は、はにかむような笑顔を浮かべ、眼鏡の下の頬を赤らめつつ、涙が出るような言葉をかけてくれる。
しかし、ここで泣いていては、ウチの娘たちの父親は務まらない。
なぜなら娘たちはみんな、このような嬉しい言葉を、息をするように、かけてくれるのだから。
「そうだ、お父さん。今日の晩ご飯は、オムライスですよ♪」
理沙が人差し指を立てながら、今晩のメニューを教えてくれる。
「そうだよ!」
「おむらー!」
「お母さまの、あったかごはんです♪」
愛、優結、華弥も嬉しそうな声で付け足してくれた。
「それはおいしそうだな!」
妻の手料理は、長年連れ添った今でも、食べるたびに感極まってくるほど美味だ。
温かい、ふわとろなオムライスを想像しただけで、腹の虫が鳴りそうなる。
「それではお父さん、かばんをお持ちしますね」
想像の中のオムライスによだれをこらえていると、通勤かばんを持っている俺の右手に、理沙が自分の手を重ねてきた。
「これくらい自分で持てるから、大丈夫だよ」
今日のかばんは軽く、理沙が持っても負担にはならないだろうが、こんなところまで甘えるわけにはいかない。
「私に持たせてください♡ 代わりに、お父さんは――こちらをお願いします♪」
理沙はそう言って、優結たちを示す。
「なるほど、そうだな。じゃあ、かばんはお願いするよ。ありがとう」
一瞬で説得された俺は、おとなしく理沙にかばんを差し出した。
――ぎゅ。
理沙がかばんを受け取る間に、すでに優結は、俺の左手にしがみついていた。
家に着くまでに、指を何本舐められるかな……と思ううち、愛に右手をつかまれ――。
華弥が、それを見ていた。
「あっ」
華弥が小さく声を上げる。
思わず声を漏らしてしまったという様子だ。
そして、とぼとぼと理沙のほうへ寄っていく。
すると愛が、何かに気付いたように、ぱっと俺の手を放し――。
「いいよ、華弥ちゃん。パパと、おててつないで! 愛はもう、パパにとっしん! したもん。つぎは、華弥ちゃんのばん!」
「いいの……?」
「いいよ!」
華弥に譲った。
そんなわけで、俺の右手は、華弥の左手とつながれることになった。
冴え渡る愛の気遣いに、俺は感心する。
いつもは、わがままを言って大騒ぎをすることも多いのに、不思議なものだ……。
「ええへ――♡ お父さまのおてて、おっきくて、きもちいい……♡ 愛、ありがと……!」
小さな指を絡め、俺の手の甲に頬ずりする華弥は、とても嬉しそうだ。
花がほころぶような笑顔を見ていると、こちらもつられて、頬が緩んでしまう。
一方、愛は――。
「理沙おねーちゃーんっ!」
理沙に駆け寄り、軽くジャンプし――。
「わふっ♪」
「あんっ」
胸に顔を埋めていた。
「う~ん、ふかふか~♡ 理沙おねえちゃん、ママみたいにふかふかよ。いーきもち♪ こんなにやらかいの、ママと理沙おねえちゃんだけよ♡」
「ち、ちょっと、愛ちゃん……。お父さんが見てるよ……」
「愛、甘えるのは、お家に帰ってから、いっぱいしような」
両手にとびきりの花状態の俺が言葉で促すと、愛はふかふかから顔を放し、理沙の手を取った。
このまま五人で、際限なくイチャつき続けてしまいそうな空気を一旦落ち着け、家へ向かって歩き出す。
「みんなで~かえるよ~っ♪」
「パパも!」
「おうちに~かえるよ~っ♪」
「ゆいもっ!」
スキップしながら歌う愛に、優結が合いの手を入れる。
「ふ~ん、ふふんふふ~ん♪」
賑やかなセッションに、華弥も控えめなハミングを添えた。
娘たちが集まれば、人気の少ない夜の駅ですら、にぎやかなダンスホールと化す。
「お母さまは、ばんごはんをつくっていますよ」
「お家に着くころには、ちょうど出来ると思います。私も、下準備をお手伝いしました♪」
「そうか、ますます楽しみだな!」
「おむら~、むらら~♪ ららむら、おむら~♪ けちょっぷ、たまごん! おむごはん~♪」
「優結ちゃんのお歌も上手だね♪」
「愛も、かばんもつわ!」
「愛ちゃんが持ったら、地面にすれちゃうよ」
「他のみんなは何しているの?」
「翔子ねえさまたちは、ゲームをしていました」
「愛もやったよ!」
「ゆいも!」
「本当はみんなでおむかえに来たかったのですが、手がはなせないところみたいで」
「最初に連絡した時間より、早く着いちゃったからな。タイミングが合わなくても仕方ないよ」
「華弥、もっとまたなきゃっておもってたから、うれしかった……♡」
「そうだね♪ ……“行きたいケド、今のイイ流れも止めたくないし、どうしよ!”って、翔子ちゃんたちは、なやんでいましたよ。でも、すぐ近くだし、四人だけで来ちゃいました」
「ふふっ、そんなに気にしなくていいのに。みんなで来ると、大騒ぎになっちゃうしな」
「それでも、やっぱり残念だったと思いますよ。みんな、お父さんのお帰りを、いつも待っているんですから……♡」
「かえったら、パパもゲームしよ! 愛、おうえんするよ!」
「ゆいもー!」
そんなことを話しながら、家までのわずかな距離を五人で歩く。
――こんな一瞬にも、幸せが満ちている。
その実感と、両の手のひらから伝わる、柔らかくも確かな熱を噛みしめていると、すぐに、愛しい我が家が見えてきた。
短い道中を照らす街灯の光が暖かかった。
【長女・理沙のウワサ 1】
目標は、“お母さん”らしい。