第三話 キスから始まる新世界 ~高校生・中学生篇~
娘たちと、くちづけを交わす。それを俺が望んでいるか。娘たちの望みではなく、俺の気持ちはどうなのか。
……そんなこと、考えられない。
俺の気持ちなんてどうだっていいくらい、娘たちが好きだ。
娘たちを幸せにしたい。そのためなら何だってする。キスでもなんでも、やってみせる!
「好きだ……」
「「えっ……?」」
思わず声が漏れ、娘たちが戸惑う。
「……みんなが、好きだ」
「つまり……?」
美貴が首を傾げ、聞く。
「キスをするよ」
はっきりと宣言する。その必要がある。
照れそうになる心を引き締める。恥ずかしがっている場合ではない。そんな弛みは許されない。
「やったー!」
「よっっっし!!」
「当然よね」
武者震いか、気を弛めると歯が鳴る。
父親以外に恋人を作ったことはなく、ファーストキスもしていない。この娘たちは皆そうなのだと、美貴などから何度も聞かされている。……そんな娘たちの初めての相手を、務めてもいいものか。
――そうした畏れを押さえ込む。決めたことだ。
「本当に、いいんですか……?」
理沙が問う。
「今までずっと、しなかったのに……。お父さんのすることはいつも正しいから、それにもワケがあるって、わかっています。だったら、私たちも、我慢しないといけないのかもしれません……」
「いつも正しくなんかないよ。今だって、正しくないかもしれない。それでも、考えて、したいと思ったからするんだ。みんながいいなら」
「もちろんです……!」
「今更よ」
「よーく言ったわ!」
理沙、凛、愛――次々に返答が挙がる。
華弥は両手で口を押さえて泣き、優結に抱きしめられていた。
「そうと決まれば、すぐに始めなきゃ! 一秒でも早いほうがいいもん。それじゃあまずは、理沙姉さんから!」
美貴が理沙に向け、手を広げる。
「え、いいの――」
「もちろんだよ!」
「まずは理沙姉さんにしてもらわなきゃ、誰もできないわ。ま、決めるのはこの人だけれど」
翔子、凛――みんなも肯定する。
理沙のおずおずとした視線に、俺も笑顔でうなずいた。
「俺も、そうしたい。いいかな?」
「――はい」
「えーえー、失礼……。今後、順番は……パパに一任する……。娘サイドは……どうなっても異論ない……。確認は不要なので……てきぱきとよろしく……」
巴がピンマイクでアナウンスする。
「あはは、巴ったらムードないー」
「でも、こうりつ的だわ!」
美貴と愛が言った。
俺からも一つ。
「ごめん。その前にちょっと……歯を磨かせて」
娘たちは交代で済ませていたらしいが、俺はまだ奥歯にコーンが残っている。
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――庭へ戻り、理沙と向き合う。
夜目にも艶やかな黒髪、絹のような肌と薄桃に染まる頬、眼鏡越しの潤んだ瞳が、至近距離の高解像度で焼き付く。今年で十七歳の長女の顔。それに重なるように――くしゃくしゃの顔で元気いっぱいに泣き叫ぶ、愛らしい赤ちゃんの顔が浮かんだ。この世に産まれたそのときから美しかった理沙。その産声を聞いたとき、俺の生涯を捧げたいことが何か、はっきりとわかったんだ。
十七年前と比べ、随分と存在の強度を増したその肩に、手を置く。
「いくぞ…………あっ」
「あっ、ごめんなさいっ!」
顔を寄せると……胸が、俺の胸板に当たった。思わず互いに身を離す。
一瞬の接触で俺の胸部が読み取ってしまった情報について、脳で処理することを意識的に避ける。
「じゃあ、あらためて……」
テイクツー。ここで二人とも、胸部の接触を避けてキスをすることの難しさを悟り、割り切った。次は止まらない。
「――んっ」
くちびるが触れる。一度目はすぐに離れた。
「――――」
二度目。今度は長い。俺が引いても離れない。
刹那の息継ぎ。三度目。呼吸が持たない。
強めに肩を押すと、四度目の前で止まった。
――あとでな。目で伝える。
「――はいっ♪」
我に返った様子の理沙は、頬を染めて頷いてくれた。
お互い、ここで留まれてよかった――。
気付けば周囲が騒がしい。他の娘たちが、きゃあきゃあと盛り上がっていた。
今まで耳に入らないほど、集中していたのか……。
次は、翔子の前に立つ。
「――ボクでいいの?」
「もちろん。――どうした?」
緊張しているようにも見えた翔子だが、深呼吸する俺を前に、にやにやしだした。
「んふふ~っ♪ とうとうここまできたんだな、って♪」
「ここまでって?」
「とーちゃんと……こんなことするまで」
言うやいなや、俺が構える前にくちづけを繰り出した。
「いただきっ!」
……!?
まだ衝撃から立ち直れていない俺を、翔子は抱きしめる。
「ボク、こんな気持ちになるなんて思ってなかった。とーちゃんと初めて会ったときは」
「そうだろうな……」
赤ちゃんだったからな。
「でも、今は。とーちゃんが好き。こんなに――ドキドキするくらい!」
二度目のキス。こちらも応える。
引き締まった身体を強く抱くと、香水に交じってかすかに汗の香りがした。
野原を駆ける幼い翔子を追いかけ、ともに冒険した日々が蘇る。元気いっぱいで、楽しいことが大好き。誰とでもすぐ仲良くなれて、近所の子どもたちのリーダーだった。
そんな翔子が、恋人になって、俺の胸に、鼓動を伝えている――。
「んっ……これ、すごいね……!」
ゆっくりと落ち着いたキス。日頃から俺相手に、「恥ずかしいことを我慢する」ことに取り組んでいるためか、意外と冷静な様子。
だが、その顔は真っ赤だ。そろそろ限界かもしれない。
「えへへ……止まんなくなりそうだけど。とーちゃんは次があるもんね。行ってあげて!」
俺が近付くと、髪を弄っていた凛は目を閉じ、くちびるを尖らせた。
ここで、ふと思う。
「……このまま進めてしまっていいのか? こんな、順繰りの流れで――」
「いいのよ。どうせこれから、何回だってするんでしょ。そうよね……?」
大きくうなずく。
「だったら、いいの。はじめてだからって、気にすることはないわ。それとも、あんた……父さんは、もっとムードがあったほうがいいの……?」
「いや、大丈夫だ。じゃあ始めようか」
こくり。凛もうなずく。
「あんたにとっては、いきなりでも。私たちにとっては、ずっと待ってたことなんだから。どうやったって、ムードは出るわよ……」
凛の想いを聞きながら肩を掴む。そのまま背中へ手を回し、少し髪をすく。
顔を近付けると――凛がくちびるに食らいついた。そうとしか表現できない勢いだった。
「ん、ん、ん――」
俺は、言葉も動きも封じられる。噛みつくような苛烈なキスは、何の反応も返せないうちに、三度終わった。
「凛……」
凛はくちびるをぬぐいかけてやめ、目をそらす。
「……ごめんなさい。ずっと我慢してたから。五年くらい」
「そうか」
凛の様々な思いを感じ、頭を撫でた。
「まだ、こんなものじゃ許さないから」
昔の凛を思い出す、鋭い視線を向けられる。だが、その口元は笑みを隠せていない。
あまりに凛らしくて、俺も笑顔になった。
いつの間にか照明が復活していた。
レーザー光に照らされる美貴の前に立つと、俺は父親でも恋人でもなく、中学生アイドルの一ファンになってしまいそうだ。
「ダーリン、美貴ね、さくらんぼのへたをお口で結ぶ練習ばっかりして、飽きちゃった。ちょっと、待たせすぎだよ……。いくら誘っても、お願いしても、ダメなんだもん。十三歳になってもファーストキスがまだなんて、想像してなかったな……」
美貴はそう言うが、現役アイドル相手に……いいのだろうか。
「ファンのみんなも喜ぶな。早くキスしろ~って、いつも言われてるもの♪」
……確かに、美貴のファンならそう言うだろう。美貴と同年代の層が特に多く、みんな美貴の恋を応援しているという。「困難な恋に挑み続けるその姿は多くの人々に勇気を与え、今や恋愛に限らず様々な分野のマイノリティにとってのアイコンになりつつある」と雑誌に紹介されたことを思い出す。
「……そうか。なら、期待に応えないとな」
「そうよ、答えなきゃ♡ ……はむっ」
声もにおいも甘い美貴は、くちびるも甘かった。アイドル活動時等、特別なときしか使わないリップグロスが塗られていることにも気付く。……そのくちづけは、たどたどしい。
「えっ、あれ」
三人の姉より遥かにぎこちない動きは、数度試しても変わらず、美貴も戸惑っている。
「こんなはずじゃなかったのに……」
「パパは楽しかったよ。可愛くて」
リードすることも忘れてしまうほどだ。
「もう。あとでたくさん練習するから、絶対付き合ってよね!」
「それは楽しみだな」
長いレッスンになりそうだ。
「次は――」
巴、華弥、愛、優結。小学生の四人が集まる前で腰を落とし、目線を合わせる。
「……っ!」
四人を見渡すと、少し怯んだ。
気を取り直して巴と向き合うが、眼鏡を乗せたその童顔をまじまじと見て、固まってしまう。
……幼い。何せ小学生だ。日頃から、ランドセルを背負って登校する姿も見ている。巴は四人の中では一番お姉さんだが、小柄で、その容姿は年齢以上に幼く見える。
本当に、キスするのか……? 決めたことなのに、動きが止まる。
「?」
感情を読みづらい無表情で、巴が首を傾げる。
こめかみを伝う汗を感じる――。
【四女・美貴のウワサ 2】
ライブの観客はほぼ女の子なので、パパはとても目立つらしい。




