見ず知らずの女が、記憶再生機に僕と一緒に暮らす姿を映し出す
夜中。
自宅で記憶再生機――脳波から記憶のイメージを取得し、敵対的生成ネットワーク(深層学習の1手法)を用いて記憶から画像イメージを生成するプログラム――の発表論文を仕上げている最中、インターホンが鳴らされた。
宅配便かなと思いながら扉を開けると、妖しげな見ず知らずの女性が立っていた。
「お願いします、私の記憶を再生させてください」
彼女の必死な願いを見て、どこで研究内容を知ったのか等の疑問を抱かずに、家に招いた。
「ありがとうございます。昔から探している人が居まして、でもどうしても姿が思い出せないんです。助かります」
一礼する彼女を、自宅の研究室に案内する。
書籍で埋もれる布団の上に彼女を座らせ、脳波検査用ヘルメットを装着させた。
「あの、本当に記憶の再生、出来るんですか?」
「今のところはほぼ出来ています。大丈夫だと思います」
身内以外で初めて行う記憶再生。
こみ上げる緊張感から、自分に言い聞かせるように彼女を励ました。
PC上で展開される、記憶再生プログラム。
ヘルメットの装着を確認し、「実行可能」のアラートをディスプレイに映す。
「僕が実行させたら、とにかく、思い出したい人のことだけ考えて下さい」
「はい、分かりました」
彼女の返答を合図に、マウスをクリックし、記憶再生プログラムを実行した。
ファンが高鳴り、HDDがカリカリと音を立てた。
「思い出したい人に関して、具体的な記憶は思いつきませんか?」
「小学生の頃のものなら、思い出せます」
「小学生の頃ですね。その頃の関係性などは、思い出せますか?」
「はい。男の幼馴染で、常に登下校していました」
ディスプレイ上にぼんやりと、小学生の男女の姿が生成された。
「特に印象に残ったエピソードはありませんか?」
「彼に、ずっと一緒に居たいって言われた事があります」
彼女の記憶が徐々に思い出され、ディスプレイに生成されるイメージが繊細になる。
「そう言われた時、どんな気持ちになりましたか?」
「幸せでした。自分が満たされて、彼と一緒になった気分になりました」
「また、あの頃に戻りたいですか?」
「はい」
一連の会話を終えた後に、プログラムが出力完了の合図を鳴らした。
ディスプレイを確認した。過去の実験を超えるほど精密な、小学生の男女が裸で獣のように抱き合う画像が出力されていた。
出力画像上で、男が女の耳元で何かしらの言葉を囁き、女が満足げに受け入れていた。
あまり他人の記憶に指図はしたくないが、気持ちの良いものではなかった。
「こちらが、先程得られた画像イメージですね」
生成画像から逃げるように彼女を見つめながら、ディスプレイを確認するよう促す。
「わあ、凄いです。そうです。……この時に、確か「一緒に居たい」って言ってくれたんですよね」
「そうなんですね」
「そうです。……それと、もし私が嘘の記憶を思い出した場合でも、画像はちゃんと生成されますか?」
「一度試してみましたが、ぼんやりとした画像になりました。今回ははっきりしていますので、本当の記憶だと思います」
「ありがとうございます。やっぱり、本当だったんだ……」
生成された画像を見ながら、彼女が虚ろな笑みを浮かべる。
幼馴染の間に何があったのだろうか。想像しただけで背筋に寒気が走った。
「すみません、この画像、後で頂けませんか。……それと、他にも2つほど、思い出したい記憶があるんです。ついでにお願いしてもいいですか?」
「はい、分かりました」
彼女に促されるように画像を保存し、記憶再生プログラムを再起動した。
二度目の記憶再生プログラムを起動し、彼女の記憶再生を促した。
「今度はいつ頃の記憶ですか?」
「高校生の頃です」
「先程と同じ人ですか?」
「そうです」
彼女はイメージの方法に慣れたのか、先程より生成のスピードが上がっていた。
「分かりました。……印象に残ったエピソードはありませんか?」
「『結婚したい』って約束してくれました」
「どこで、約束しましたか?」
「ベッドの上です」
「分かりました。言われた時、幸せでしたか?」
「はい、とても幸せでした。ずっと、この人と一緒に居られると思うだけで、心が何度も飛び上がりました」
出力完了のビープ音が鳴り、互いがディスプレイを確認した。
先程と、男女の成長以外は何一つ変わらない、裸で求め合う画像が出力されていた。
相変わらず悪趣味だが、異様に繊細だった。
「やはり、私の記憶は間違ってなかったのですね。……すみません、一つ聞いて欲しい事があるのですが、お願いできませんか?」
「はい、いいですよ」
「実は、私と彼は婚約者だったのですが、双方記憶喪失になってしまって……。
彼も私も、相手のことを完全に忘れてしまったのです。
そこに、最近ようやく彼を見つけ、私は思い出しました。
しかし、彼は私を全然覚えていないみたいで、見向きもしてくれません。
教えてください。……彼は、私との記憶を信じてくれますか?」
彼女は、藁に縋るかのように、必死の形相で僕に問いかけた。
「彼との関係について、僕からは何も言えません」
「では、もし彼が貴方だとしたら、信じられますか?」
「分かりませんが、開発者という立場上、信じられないとは口が裂けても言えません」
「ありがとうございます」
彼女の口から笑みが溢れた。
「二枚の画像で、私が嘘をついてない事は解ってくれると思います。
最後に……、これは本当に信じてもらう為のものなのですが、彼の姿を生成して欲しいです」
「はい、分かりました」
画像を保存し、記憶再生プログラムを再起動し、最後の生成を行った。
「記憶を失う前の、彼の姿は思い出せますか?」
「曖昧ですが、なんとか……」
「彼の顔に特徴はありますか?」
「特に無いです」
「髪型とかは?」
「普通の男性の髪型です」
ぼんやりした会話と比べて、画像イメージの生成は妙に秩序立って動いていた。
顔の輪郭が定まり、目が作られていく。
「すみません、彼が今、どこに居るのかだけ話してもいいですか?」
「はい、いいですよ」
「信じてくれますか?」
「はい」
「彼は、今、私をじっと見つめています。私は、彼をずっと見ています。
彼は信じていませんが、私は確かに覚えています。
私たちは確かに婚約していたし、思い出せば、すぐあの頃に戻れると」
『私をじっと見つめている』という言葉から抱く嫌な予感を振り払いながら、生成途中の画像を確認した。
僕が映っていた。
「思い出しましたか? 私たち、婚約していたんですよ?」
彼女がゆったりとヘルメットを外しながら、ほくそ笑み、僕を凝視する。
「い、いや、ただの記憶違いだと思いますが」
後ずさる僕を捉えるかのように、彼女が僕の首筋に腕を回した。
「さっき、信じてくれるって言いましたよね?」
脅迫するように囁かれる。
冗談じゃない。彼女と関わった記憶なんて僕の記憶には一切ない。
そもそも女性と話した経験すら全くないのだから。
「いや、こんなに長く関わってきた異性の記憶が丸々と抜け落ちるなんて、ありえない」
「でも、信じてくれるって」
彼女は勝利を確信するかのように、僕の体にしがみつき、耳元でそっと囁いた。
僕は必死に抵抗した。
「信じるとは言ったが、まさか僕相手だとは思わなかったから」
見苦しい言い訳。
「信じないとは言えないって」
悦に浸った彼女には、僕の言葉が耳元にすら入らないようだ。
「愛してるよ。ずっと一緒に居ようね」
彼女が、必死で僕を引っ張ろうとする。
必死で彼女を拒もうと虚しい抵抗を繰り広げるが、力で及ばず、体が引っ張られ、ベッドに倒される。
書籍の出っ張りが背中を刺激し、痛覚が走る。
馬乗りになった彼女は、虚ろな瞳で僕を見つめながら、首を掴んだ。
「これ以上、私を困らせないで欲しいな。君は、私と婚約していたし、信じてくれるって言った。ずっと一緒だよ」
「なんで、君は記憶喪失したのに、過去の婚約者を僕だって信じるの?」
「例え本当に君じゃなくても、私は確かに君だと思うんだから、問題ないよね?」
彼女の言葉に、僕は抵抗を諦めながら悟った。
記憶はとても曖昧なものだし、再生しようとしても、ろくなことにならないこともある。
それと、記憶再生機は、少なくとも実用化していい類のものでは無いと。
何故ならば、虚偽のイメージを抱くものの妄想を、先鋭化させてしまうから。
SFかつ心理学かつ性癖。
SF要素がちょっと少ないかも。