悪魔と池沼とキリギリス
童話ファンに喧嘩を売っていくスタイル。本当に申し訳ございませんでした。
僕の住んでいるこの一帯に、こんな言葉があった。
『困った時には、黒蟻を頼りなさい』
……この言葉を残して逝ったマヌケなバカは、死した後でも罪に問われるレベルのバカだと思った。
僕はキリギリス。その中でも高い知能があり賢いとキリギリス界でも有名なキリギリスだ。はっきり言って何の強みにもならない範囲で頭がいいと言われても、頭が痛くなるだけだ。
因みにリキトリアの家に生まれ、名前をスリギと言う。
ふざけた名前だと思う。こんなことに頭を使うならもっと身を守る為に使って欲しいと僕は常々思っている。
そんな僕はあるキリギリスと仲が良かった。彼は頭はよくなかったけれどとても良い奴だった。
しかし、彼は死んだ。ある罪を残して。
彼が残した罪状は『同胞殺し』であった。彼は死ぬまでその罪に悶え苦しんでいた。
キリギリス界の汚点である彼は、一時は例年以上の降雪量を誇った年の冬を、昆虫界のハイエナ、暴力団『黒蟻』の居城で過ごし、見事生還を果たした異端の存在、神として崇められていた。
だがしかし、この話には続きがあった。
これはのちに彼から聞いた話だ。暴力団員が、彼をそのまま返す筈もなく、一冬中彼はずっと個室に監禁され、手と足などをを縛られていたそうだ。
そして黒蟻集団はそんな彼に無理やり栄養補給をし、延命させていた。黒蟻にとってはキリギリスの体液の方が栄養になる為、その延命した彼の体液を冬の間蛇口から出てくる水を容赦なく飲むようにゴクゴクと飲んでいたらしい。
つまり、黒蟻たちによって彼は便利な『ジュースサーバー』と化してしまったのだ……!
そして冬が終わり、彼を軒並み飲み干す直前、黒蟻集団はある提案をした。
「今からお前、自分ちに戻って『黒蟻に命を救われた、黒蟻はいい奴だ、困った時は黒蟻を頼れ』と言ってこい。そうすればお前の命は取らないでおいてやるよ」
ニヤリと笑った黒蟻は、まるで悪魔のようであったと彼はのちに記述した。語彙力も危うい。
そして彼は言われるがままに自分の国へ戻り、その事を伝えた。彼は神のごとく慕われ、キリギリス達は途端に怠惰になっていった。
「冬になれば黒蟻のところへ行けばいい」
「「「そうしよう!」」」
……あぁ、同胞とはいえ嘆かわしい。僕は人間に生まれてみたかった。
まぁそんなこんなで、毎年毎年マヌケなキリギリスどもは、冬になると黒蟻の居城に向かってのたのたと死にに行くようになったと言うわけだ。
今頃黒蟻達は美味しいジュースを冬の間ゴクゴクと飲んでいるんでしょうな。自分の体液をジュースと表すのはいかんせんヤバイ気もするけど。
もともと頭のよくない我々には、疑うと言う行為が難しい。楽な道があればそちらに向かってしまうし、嫌ならいつだって逃げ出したいと思う。
だからこそ黒蟻の作戦は我々を完全に落とし入れることに成功したわけだ。頭いいなぁ畜生……。
そして罪の意識に耐えられなくなった哀れな神様は罪を僕に自白し、自殺した。彼の強い希望によって、この事は彼から聞いた話ではなく、僕が気づいた話にして欲しいと言われ、僕自身もこの話は誰にもしていない。
彼は、伝説のまま死ぬ事ができた。でも正直に話した方が、きっともっと、楽に死ねたんじゃないかと僕は思った。
これで、彼の物語はおしまいだ、ここからは、『僕』の物語となる。
「……よし」
僕達は今、黒蟻の居城の手前にいる。徒歩約五分。お隣さんだ。
強い吹雪が体温を奪う。積もった雪は僕たちキリギリスには深すぎて、前に進むことも、飛ぶことも困難だった。
だがここに来てようやく暴力団特有の負のオーラのようなものを感じ取れるようになってきた。肌がピリピリする。
僕には愛するキリギリスがいた。
僕の愛する存在は、一言で言ってしまうとアホの子だった。
何と彼女は自分のことを神話の存在である『ニンゲン』だと自負していた。罰当たりにもほどがある。昔から言われているのだ、聖書にも書かれている。『ニンゲンの前で飛ぶ虫あらばはたき落とされん』と。
馬鹿な人だ、でも僕彼女のそんな純粋さ、優しさに惹かれ、恋をした。彼女はバイオリンがとても得意で、聴くもの全てを魅了した。
そんな彼女は……一昨日、雪の中あの汚点の話を信じて、黒蟻の居城へ乗り込んでしまった。
毎年毎年、馬鹿なキリギリスが黒蟻の居城に吸い込まれていってる。そのせいか、行方不明で帰ってこない連中もまたその数いる。
もし、彼女がその一人になってしまったら、僕はもう、後ろ足で飛ぶことも出来ないだろう。
彼女を救う、彼女のいない生活など僕にはもう耐えられない。
死んでも、彼女だけは殺させない。その想いが、僕をここまで運ばせた。
無謀だ、やめろ、賢いお前らしくない。
何度もそう言ってキリギリスの連中は僕を止めた。
僕は彼女に狂わされた、結構だ、所詮は知能のないキリギリスの一員に過ぎない。
僕は進んだ。雪をかきわけ、居城へと向かった。
「テメェナニシニハイッテキヤガッタァ!?」
捕まった。
五秒前の僕の足を切り落としてでも止めてやりたい。
まさか入った途端に働きアリに見つかってしまうなんて思わなかったのだ。キリギリスの思考の限界だったのだ。
一瞬にして足に噛みつかれ、僕は生け捕りにされてしまった。物量でも負け、速さでも負けた。キリギリスの生きる意味を見失いそうだった。
わっさわっさと黒蟻集団に運ばれていく。深く深く、光届かぬ深淵まで。
「あ、あの、僕いったいこれからどうなるんですか?」
恐怖のあまり、声が震える。ジュースのサスペンダーになるかカロリーメイトになるかきょうのばんごはんになるか……。どちらにしろ死しか頭の中に出てこない。
「……それは、お楽しみだ」
ニヤリと笑っていた、まるで悪魔のようだった。
ぞくりと寒気がした。これで僕のキリギリス生は終わってしまうだろう。
あぁ、全てはあの汚点の彼が、悪いのだ……。
「よし、ついたぞ、ここだ」
黒蟻達に連れてこられた部屋は大きく「コンサート会場」と書かれていた。僕は一瞬思考を停止しそうになった。
目の前の文字が読める、ただ読めた文字の意味が分からない。
僕は今からボスのところに連れてこられて殺されるのではないのか?
その部屋の向こうからは何か音が聞こえてくる。どうやら黒蟻の文化の進行速度を我々はナメくさっていたようだ。そろそろ時代が来てもおかしくはない。神話の巨獣である『ニンゲン』すら越えるかもしれない。
「さぁ入れ! モタモタするな!」
「うわっ!?」
蟻達に背中を蹴り飛ばされ、奥に進んでしまう。
バランスを崩した体制を立て直すために足元を確認しながら足を運ぶ。
安定したと確信して、ゆっくりと顔を上げた。そこには、光が灯されて─────。
「イエーイ!! 蟻どもー!! 元気ー!?」
「「元気でーーーす!!!」」
「あなた達みたいなチンケな虫共には過ぎた曲、でもあなた達がいたからこそできたデビュー曲! 行っくわよー!!」
「「待ってましたァァーー!!!」」
「それじゃあ触覚震わせてから心に刻め!『アリとキリギリス』!!!」
「……は?」
突っ込みたいところは色々あった。
なんでここだけ電気通ってんだとか、なんでペンライト握ってんだとか、なんで行方不明のキリギリスがいるんだとか、なんでステージの上に僕の彼女がいるんだとか本当に色々ありすぎた。
でも、一番ツッコミたいのは。
「……アンタら人間になれるよ」
あまりにも進みすぎた文明だ。
「ふふふ……お前もこれが見たかったんだろ?」
「え? それってどう言う……?」
「とぼけてもいいことないぜ? このいつもは冬公演のハズなんだけど、特別にこの時期に開いたキリギリスちゃんのスペシャルライブ、見に来たんだろう?」
「…………はぁ!?」
全てにおいて何もかも理解ができない、いや、理解をしようとしていないだけかもしれない。そもそも思い出してみれば、彼女と付き合い始めたのは今から約一ヶ月前ぐらいの話で互いのことをまだ何も知っていなかった。
まさか、地下アイドルをやっていたなんて……!
そして、さっきこの黒蟻が言っていた事を思い出してみると、僕の中にある一つの考えが浮かんだ。それはあまりにも無能なキリギリスとはいえど、なぜこうホイホイと釣られていくのかの理由だ。
「あの……このライブって、一体いつ頃から開かれてましたか?」
「いつ頃っていうと……何年前、ってことか?」
コクリと頷き、肯定を示す。これでとある年月を上回ればキリギリス界の全ての事柄をひっくり返す事案になりうるかもしれないのだ。
「うーん……結構前だなぁ。妙に冬にキリギリスどもが来るようになった前の年からだからなぁ……」
「……」
なるほどな。全て理解した。
ここまでくればどの生き物でも察しがついただろう。結論から先に言わせてもらうと、キリギリスはやはりバカなのだ。
「あれ? す、スリギくん!?」
「よ、よぉ……」
ライブ? のようなものが終わり、彼女と話す時間をようやく得ることができた。本当なら感動の再会になるはずなのに、僕の心の片隅にある疑惑がそれを許してくれなかった。
彼女には、書きたいことが山ほどあった。そして今では山ほどがエベレスト山ほど出来てしまった。
「なぁ……もしかしてさ、最近、キリギリスが、黒蟻のところに出向いてる理由ってさ……」
「あ、あのバカな神様のおかげじゃないの?」
あわてた表情で、言葉を遮るように彼女はそう言った。
そんな顔で言われたら、疑うべき嘘の可能性も疑いの余地をなくしてしまう。
そしてまず……。
「その話を、奴がバカである理由を……誰から聞いた?」
「ッ!?」
その話は、友人である俺にしかした事はないと、彼自身が言っていた。
彼女が知っているはずがないのだ。例えば、僕を超えるほどの関係を持っているなら話は別だが。
「僕は、少しだけ他のキリギリスより頭がいい。だから、あんまり普通のキリギリスの考えが理解できない……だから、普通のキリギリス気取りの君に聞いて見たい。
キリギリスは、行方不明になると分かっている冬に、備蓄の溜まっているはずの状態でも、ノコノコと出歩くほど馬鹿なのか!?」
「くっ……!!」
彼女の表情が激しく歪む。これでもうがっちりはまった。
知りたくないし知っても得しないことを知ってしまった。この世界の真実を知ってしまった。
「君は……君は!」
「もう……いいわ……」
彼女が僕を手で制した。彼女はうつむいて、表情がよく見えない。
「本当に、厄介な存在……まるで私みたいな、いいわ、教えてあげる。……全てを」
顔を上げたそれは、ニヤリと笑ってそう言った。悪魔のようだった。
✖︎✖︎
「た……たすけて……!」
ガタガタと足が震えている。脳が恐怖を発信し、腹部を伝わり足に伝わる。
どうしてこうなったのだろう。私はただ、バイオリンを弾いていただけなのに。暴力団にケンカを売る行為なんてしたことすらないのに。
本当にろくなことがない。
全ての始まりは前世からだ。私は急に目の前に飛んできたキリギリスに驚き、顔を思いっきり晒した先に硬式野球の場外ホームランボールが直撃し、そのまま即死という形で18という早い人生を終えた。
その後私は天界へと赴き、自分の死因を神を名乗る奴らに笑われ、『死に様もまさにキリギリスwww』と馬鹿にされた。硬式ボールが当たり、倒れた私に潰されて死んだキリギリスも隣で飛翔していて、多分ケタケタ笑ってた。
そんな死に方をした私に与えられた次の命は『キリギリス』だった。一瞬耳を疑って12回ほど書き直したが最終的にしっかりと一言一句ボードに記入され、疑い余地を無くされた。
そして私はキリギリスとしてのギリギリス生を歩むことになった。
でも思ったより悪くはない生活だった。人間の時のように同族嫌悪は決して無く。美貌かなんて私からしたら全然わからないけど、オスから見たら絶世の美女であるらしいルックスのおかげで、男が毎日餌を貢いでくれたから、楽に生活ができた。
男どもが贈ってくれたプレゼントの中で一番嬉しかったのが、バイオリンだった。
生前習っていたから、というのはキリギリスの手のせいであまり通用しなかったけど、暇なときには練習を重ね、どんどんと上達していった。
遂に人に聞かせるレベルまで達したと思った私は、駅前とかでギター弾いてる人とかに人間時代憧れていたことを思い出し、やってみることにした。
そして、今に至ったというわけだ。
「おいあんた……あの音色を奏でてたのはあんたで間違いねぇんだな?」
「ひゃ……ひゃいい!」
震えた口でうまく言葉を発せない、涙も流れてきた、自分よりはるかにチンケな黒蟻達に恐怖するのが虫社会だった。
これからどうなってしまうのだろう。バラバラにされてキノコの養分にでもされてしまうのだろうか。
この私の美貌が童貞を刺激しすぎてあんなことやこんなこともされておねショタルートになってしまうのだろうか、想像しただけでエロ同人だった。
もしかしてアリとキリギリスの間にある暗黙の了解を犯してしまったのだろうか、食べ物はオスが運んできてくれていたから、家から出ない一種の『姫状態』出会った私は、外のことをあまり知らなかった。
「……頼む!! 俺たちの巣穴で、一曲弾いてはくれないか!!?」
「……え?」
そう、姫だから、私は黒蟻の真の姿を知らなかったのだ。そして知っていた萌え要素も思い出した。
『不良が実はそこそこいいやつ』
「ありがとう、君のお陰で女王様の機嫌も治り、俺たちも和やかな気分になれた。感謝の証だ、持っていけ」
私の演奏が終わり、黒蟻達は私に多くの食物を譲ってくれた。
「その場で一口食べて見てくれ。そしてもしこの食材、好みじゃないなら言ってくれ、別のものと取り替えよう」
本当に紳士のような真摯な対応に私の興味も深々だ。掴んで離された心臓というのは、こうも元気よく動くのか。と思うほど今の私は多分生き生きしてる。
黒蟻に従って、一口頂いてみる。
見たことのない食べ物だったから、恐る恐る食べる。
パリッ
「こっこれは……!!?」
な、なんだ! この口当たりの良さと食感は!?
いつも草ばかり食べていたから長い間忘れていたこの肉質! ジューシーな味わい! 肉汁が口の中を駆け巡り、幸せを身体全体に浸透させてくるッ!
感動した……キリギリスになって初めて、食事に感動を得た!
「ありがとう蟻さん!! とても美味しいです! 本当にこれ頂いてもいいのですか!?」
「ええ、構いませんよ。なんならもっといりますか?」
鏡はないけれど、私の目は多分星のように輝いていると思う。黒蟻の提案に私は強く頷き了承した。
しかし、一体どんな食べ物なのだろう。あんなに体に元気が満ち溢れる食べ物、知ってしまったからには自分で取れるようになりたいものだ。
「ねぇ蟻さん、その食べ物、どこで取れるんですか?」
……今思うと、この質問が、私の生活を変えてしまったのかもしれない。
でも、しなきゃよかったとも、思わない。
「これか? これは、近くの草原あたりでよく取れるな」
近くの草原!? 私の家の前じゃん! 今度オスたちをこき使って取って来させよ!
そのためには名前が必要だよね、オス達は私と違っていろいろなことを知ってるから詳しいはず!
「それじゃあ……」
「その」
「食べ物の」
「名前を教えて?」
×××
「察しは……つかなかったのか?」
僕がここまで彼女の話を鮮明に聞いて、まず出た言葉がそれだった。
聞いたことのない単語ばかりが続き、混乱の中で唯一キリギリスが疑問に思える内容が、それだけだったからだ。
もし彼女が本当に『ニンゲン』なのだとしたら、知能なんてキリギリスと比べるレベルじゃないはず、キリギリスが察せることの出来た結末を、何故あなたが読めない!?
「……その時には、多分なかったんだと思う。あの時は本当に感動してて、頭が何も回らなかったから」
×××
「え……?」
私は今度も何を言っているのか分からなくなった。
どうか聞き違いであって欲しいと、先ほど以上に心から願う。
お腹から何かがせり上がってくる。これはキリギリス特有の感覚ではない、私自身、人間の頃から何度も体験してきた。
「全く……キリギリスのくせに耳が悪い。足を綺麗にしてよく聞きな。キリギリスだよ」
間違いなかった。先ほどまでの食欲は消えさり、吐き気が代わりに出現する。
「わ、私はど、同類を……!?」
想像しただけで気持ちが悪くなっていった。あれが昔生きて動いていたキリギリスだったと思うと、本当に思い出しただけで胃液が逆流しかける。
でも、何故か、それとは違った、別の心が私の中にあった。
その正体は、まだ私には分からない。
「なんだ……君はメスなのに、同類の捕食をしたことがないのか?」
そういえば、とても昔、どこかの虫の本で読んだことがある。カマキリやオオクワガタのメスは産卵にすごいエネルギーを使うため、その補給に一番優れたオスを捕食するのだと。
でも、それは人が人を食べるのと同じ行為だ。グールじゃあるまいし。
「も、もういいです、いりません。さようなら!」
私は恐怖に駆られ逃げるように黒蟻の巣から逃げ出した。
お腹の中はあいも変わらず気持ち悪かったけど、口の中だけは、あの味を覚えていた。
美味しさが、記憶から抜けてくれなかった。
「また、聞かせてくださいね、あの音色を」
「はぁ、はぁ、はぁ……!!」
家に帰って来れて、数日が経過した。
脳裏に焼き付いて離れないあの味と食感。気持ち悪いと言う思いは既に次を求める欲求と化していた。
食べたい、キリギリスを食べてやりたい、貪り尽くしてしまいたい。
もう草なんかでは、満足することなんて出来ない。
この時点で、私の別の思いの正体がわかっていた。あの時、私は『キリギリス』としての喜びを得ていたんだ。
人としての知性が気持ち悪いとそう言っていたが、キリギリスとしての私は、それを確実に求めていた。
人間世界の、麻薬のようなものだと思った。一度口にしたら最後、もう二度と記憶から消えてくれない。
キリギリスなら話は別だ、でも私は人間だったから、無駄な知識があったせいで、この味を永遠に覚えててしまう。
頭が、口が、喉が、疼いて疼いて仕方ない。
キリギリスになっている。単純に本能のまま動くキリギリスになりかけている。
我慢も限界に近くなってきた。私は家から抜け出して吹雪の中に身を投じた。
「だれか……! 誰か助けて!!」
悲痛な叫びも、吹雪の中に掻き消された。
轟音と、突風で体が粉々になりそうだ。凍える体を抱えて、私は一人雪原に佇む。
「……私は、なんでこんなに苦しんでいるのだろう」
この世界で、人間の摂理なんて関係ないじゃないか。
むしろ私は当たり前の行為をしていたに過ぎない。
キリギリスが嫌いだ。
キリギリスが嫌いだ。
キリギリスが嫌いだ!!
そもそも私がキリギリスになったのだって元を辿ればキリギリスが原因なんだ。そのキリギリスに復讐をして何が悪い。殺し返して何が悪い! 寧ろ殺し返してないだけありがたいと思え!
心は決まった。もはや私はキリギリスなどではない。
私はキリギリスを殺すキリギリス。なんかキリギリスって言いすぎてキリギリスがゲシュタルト崩壊しそうだけどそれは名前が悪いと言うことで。
私はもう自分の巣へは戻らない。この望みを叶えるために必要な場所は、ここではない。
ここから徒歩5分。黒蟻の居城だ!
×××
「……そして私は、『永遠に安らぎを与える演奏をする』と言う条件で、アリの巣に居候させてもらうことにしたんだ」
……どうやら、僕。スリギ・リキトリアは『ニンゲン』と言う存在をあまりに過大評価しすぎてしまっていたらしい。
ニンゲンもまた、変な方向へ進む生き物だ。しかも巨大な分、その歩みがまた大きい。
ニンゲンは強い生き物じゃない。厄介な化け物だ。
一言で言うと、やはり悪魔なのだ。
「まだあるはずだ。黒蟻がそんな程度で条件を飲むわけがない。あの黒蟻があんたを停めるメリットが半端すぎる。何かしら、追加のメリットが必要だ」
「ふふふ……あなた人間に生まれてたら大物になれたかもね、YouTube rとかに」
聞いたことない言葉だ。でも文節的に褒められているのだろう。YouTuberになれるのか。それは多分嬉しいことだと思う。
「えぇそうよ、そもそも演奏だけの理由じゃ私は笑あの目的が果たせないじゃない。だから私はメリットをもう一つ追加したの。両者の、ね。あなたは察しがついているんでしょう?」
投げかけられた。察しがついていないといえば嘘になる。
黒蟻にした質問の返答で、僕はすでにこの考えには至っていた。
もし当たっていたら……キリギリス界を変える真実になる。
「そう、私は────」
「君は────」
「「自ら『撒き餌』になった」」
僕と彼女の台詞が一致し、彼女は口元を歪ませる。そして続けた。
「……その通りよ、そしてそれは、1匹だけでよかった。その1匹を誰にするかを考えるべく。私はこの美貌を利用し、男どもを探した」
「おそらく君が探していた存在のあるべき条件、それは、できるだけ怠惰で、池沼で、臆病者であること」
「えぇ、そのキリギリスは簡単に見つけることが出来たわ。夏の日に呑気に下手なバイオリンを奏でていた間抜けなキリギリスさんをね」
全てはひとつの糸になりかけている。彼と彼女が繋がった瞬間だった。
「……そして君は、彼をたぶらかした。君は、彼の昔の彼女だったというわけだ」
「その通り。そしてその時既に私はこのコンサート会場を設立し、蟻たちに作戦のすべてを話していた」
「あとは、彼を無理やり蟻の巣に引きずり込むだけ。その後は、彼にはジュースサーバーになってもらったわ」
ここからは、彼から直接聞いた話と同じだろう。至るまでの過程が違っていただけだ。やられたことはそう違いはない。
これが、これが真実。アリとキリギリスの真実か。
だが、分からないことが幾つかある。
「なぜ、コンサートを開く必要があった? 引きずり込むだけ引きずり込んで、喰らい尽くせばいいだろうに」
「……抵抗して逃げられでもしたら、それこそ私の命はない。噂を流され、私は『撒き餌』としての役割を失い、蟻に喰われておしまいよ」
……なるほど、どうやら長々と話をしていたから希望はあると思ったけれど、僕もちゃんと殺されてしまうらしいな。
「コンサートを開けば、みんな私の歌に魅了される。そのスキを蟻が突く。と言った形を取らせて貰っていたの」
「じゃあなぜ、彼にコンサートをしているという噂を流させなかった? 黒蟻たちはいい奴らなんで回りくどい事言わずに、そういったほうがいいんじゃないのか?」
「まだまだキリギリスね。頭の中で想像してみなさい? 蟻の巣の中でキリギリスがコンサートをしている……しかもそれはキリギリスの中で最も美しい私よ? 暴動、起きそうでしょう? 貴方達なら尚更ね」
さすがニンゲンと感心せざるを得ない頭の回転の良さだ。もしこの計画を僕がやっていたらすぐに黒蟻の餌にされてしまっていただろう。
「……そう、全ては順調に事が運んでいた。一つの異物を除いてはね」
彼女にジロリと見つめられた。同じキリギリスだと言うのに、蛇にでも狙いを定められたかのような恐怖が襲った。
「私は、あの池沼には友達がいないとばかり思っていたの。馬鹿だし怠け者だし、嫌われるために必要なものをがっちり兼ね備えていたから。でもなぜかね、ふしぎなことにその男には友達がいた。それも似ても似つかぬ頭のいい存在が」
誰のことを言っているのか、考えなくてもわかった。理由は二つ。キリギリスのほとんどがあの汚点レベルに頭が悪い。ということと、あの汚点には俺以外に友達がいなかったということだ。
「だから、私はあなたに近づいた。私にとっては最大級の危険分子だったからね。全力で馬鹿になりきり、警戒を解ききることに成功し……」
「ッ!?」
次の言葉が出るよりも先に、一歩後ずさる。虫の知らせがニンゲンの攻撃を察知した。
「今! あんたをここに呼び寄せることに成功したのよ!!」
さっきまでの諭すような女のキリギリスのような声であったのに、この言葉は重みが違う。本当に、ニンゲンなのか、僕には彼女が呪いを纏う悪魔にしか見えない。
黒蟻の居城の前で感じたオーラは、彼女が生み出したものだったのか……!
「貴方はキリギリス界最後の希望! 貴方を失えばキリギリスどもは脳を失ったのと同じ! 消えた同類にすら気がつくことはない!
私は勝った! これからこの一帯のキリギリスを私が捕食し、復讐を成し遂げてみせる! 知能の高いキリギリス! 私のプランの礎になるがいい!!」
「……」
彼女は、勤勉だ。
己の復讐を成し遂げるために、完璧な策を弄し、敵を罠に嵌め、己の思うがままにことを運んだ。
はっきり言って、僕はここで喰われてしまっても仕方ないと思っていた。勤勉なものは救われるべきだ。彼女の話を聞く限り、彼女は納得する生き方ができず、キリギリスになった。
ならば、救われてもいいはずじゃないか。
キリギリスとなって、復讐を成し遂げる。
そのために彼女はちゃんと苦労した。
だから、報われていいと、思った。
「……でも、君は、大きな失敗を犯した」
「は? キリギリス風情が、何を言っているの?」
そう、それだ。
確かにキリギリスは馬鹿でマヌケで頭も悪い。だからこそだ。見たこと聞いたことすべてを信じ、悪と思った存在は考える前に叩きのめす。
よく考えさえすれば、死しかないこの状況を。キリギリスは読む事ができない。
「彼らは僕みたいに悠長じゃないぞ?」
「え?」
そう、同胞を殺すことは、罪である。罪であるから耐えきれず僕の友人は死んだのだ。
その罪が許されるのは、メスが産卵の際にエネルギーを欲した時または両者の同意を得られた場合。
キリギリス界でのタブーを彼女は犯し、堂々と発言した。
そしてキリギリスは本能に従い、考える間も無く体が動く!
「「「……罪キリギリスだぁぁぁぁぁぁぁ!!」」」
「え……えぇ!?」
会場で僕たちの話を聞き耳立てて聞いていたファン達が。
「「「犯罪キリギリスがいるぞオォォォ!!!」」」
今、だらけるために蟻の居城は入り込んだキリギリス達が怒り狂って彼女に向かって走っていった。
SPのような黒蟻達が彼女を守るために壁隣立ちはだかるが、キリギリスと蟻では大きさ体重が比べ物にならない。10匹程度で同じぐらいいるキリギリスは絶対に倒せない。
「やめて、やめて!!!! 食べないで! なんで!? なんで私ばっかり、こんな目に遭うのよ……!? ごぷっ!?」
彼女の叫びが聞こえた。醜い、寂しい声がこだまする。
同情なんてできやしない。そもそも僕は彼女を救うために来たんだ。でも、今の彼女の話を聞いて、一緒に暮らしたいなんて思わない。他のキリギリスに噛み付かれた顔なんて見たくない。
僕は騒ぎに転じて、蟻の居城から外へと逃げ出した。彼女の声が遠くなり、終いには聞こえなくなった。死んでしまったか、それとも僕が聞こえなくなっただけなのかは、分からない。
恐らく、生きてはいない。彼女を襲ったキリギリス達も、生存は難しいだろう。後先考えないからこうなる。バカにロープは渡せない。
……散々悪魔悪魔言ってきた僕が、一番悪魔みたいなことをしているな。
外は変わらずの吹雪。徒歩5分が絶望的に遠い。
……彼女の失敗は、おそらくニンゲンという生き物の尺度でキリギリスを測った事。
ニンゲンはニンゲン。キリギリスはキリギリス。
同じ種族でも分からないことだらけなのに、違う種族がわかりあうことなんてあり得ない。
彼女は……もっとキリギリスを知るべきだったのだ。
もし知っていたのなら、おそらくこの世界からキリギリスは消えていただろう。
あぁおそろしい。そして僕は図らずしも全てのキリギリスを救ってしまったということになるのか。
僕は少しおかしく思い、クスリと笑った。
そうだな、彼女の話が本当なら、いい音色を奏でると居城に連れていかれてしまうんだよな。
「……変な音でも出す練習するかなぁ」
メスとか、蟻とかから逃げるために。
×××
俺の親父は、生前こんなことをよくきりぎりスの前で言っていた。
『ピンチな時は音を出せ。メスがいたなら音を出せ』
この言葉を残していった人の真意は分からないけれど、いい音を出せばメスがやって来る。
だから俺はこの音を毎日磨いてる。
ギーチョン
ギーチョン
その時、かさりと音がした。後ろを振り向くと、ゾンビのようなメスのキリギリスがこちらをにらんでいる。まるで、親の仇のように。
「……」
何も言わないままにじり寄ってくる。よく分からない怖さが僕の足をさらに振動させる。いい音がなるけど今はそういうのいいです!
「…………す」
「え?」
ボソリと何かを呟いた。何をいっているのか分からず、耳を限界まで済ます。
「いただきます」
そこには、悪魔がいた。