32.喫茶ヒンデミット
───喫茶ヒンデミット。
菊城高校からの坂を下りた所にある駅前から一歩裏通りに入ったところにある純喫茶。
パティスリーカワゴエなどと違い、やや高めの値段も相まって客層はやや高年齢である。
だがさまざまな珈琲と、昔ながらの味のケーキ。また軽食としてセイロン風カレーはかなりのものでちょっとした名物になっていて、BGMはバッハを中心としたクラシックで。とまあそんな落ち着いた雰囲気の喫茶店で俺は今、三人の女子と話していた。
相手は遠藤、樋渡、そして藍崎祐の三人。三人ともタイプは違えど目を引く美人なので、そんな三人と話している俺を奇妙に思ったのか、隣の席で煙草をふかしているベレー帽のいかにも常連風なジジイがニヤニヤとしながら俺たちの方を興味深そうに見ていた。
さて、なんでこんなことになったのか。まあ大したことがあった訳ではない。
───そんな訳で山田三郎回想フェイズ。
状況。
1-Eの教室で藍崎祐と話していたら樋渡と会った。
「樋渡? 何で1年の教室に何て?」
「それはこっちのセリフだよ。廊下で難しそうな顔してたってた遠藤もだけど山田も、何の用があってこの教室に来たのさ」
「何でって、そりゃ……」
多仲柚江ちゃんを口説きに来たけど失敗したので今度は美少年に粉をかけていました……なんて言える訳もない。
「まあまあそれは色々と。それよりも樋渡こそどうしたんだよ」
「それは私がお願いしたんです」
ふと後ろにいる藍崎からそんな声があがる。
「藍崎が?」
「ええ。少し樋渡先輩に相談したいことがあって、今日は部活何で先輩の教室に伺おうと思っていたんですけど先輩が来てくださると言うものですから」
「あー……」
そう言えば樋渡と藍崎は弓道部の先輩後輩同士であったな。それで知り合いでもあったのか。
「そう言う訳だよ山田。だから藍崎の話を聞こうと思っていたんだけど、それじゃあ聞かせてもらっていいかな?」
「はい。でもそれって私と樋渡先輩の二人でですか?」
「うーん、そのことについて何だけど、勿論それでも良いけど、私としてはせっかく居るんだから遠藤と山田にも協力してもらったらいいと思う。問題は解らないけれど、私一人よりずっと解決する可能性が高くなると思うんだよね」
なんと、良くは解らんが俺たちの意志を差し置いて巻き込まれてしまうのか!
そう思っていたのだが、当の藍崎は軽く遠藤を見た後に、胡散臭そうな顔をして俺の方を見た。
「うーん、遠藤先輩が凄く有能な人だってのは知ってるんですけど、山田先輩もですか? 樋渡先輩からのお噂だと凄く良い人だと思ってたんですけど、今日見た限りだとすっごく変な人ですよこの人」
本人を目の前にして失礼な奴!
だが樋渡はそんな俺を気にした様子もなく、くつくつと笑いながら愉快そうな視線を向けてきた。
「すっごく変ねぇ。くくく、一体山田は何をしたのさ」
「それは、まあその、説明すると長くなるんだけど……」
「あははは、まあ藍崎の言うとおり、山田は変な奴だよ実際!」
「いや、否定しろよそこは」
「何で。事実じゃない」
真顔になって俺にそう言う樋渡。
いやいや、何でそこで心底不思議と言った表情でそんなことを言う。しかも何故か隣に居る遠藤も難しげな顔のままうんうんと頷いているし。
「そうですよ! 絶対変ですよ!」
「いやそれはそうなんだけどね。でも何故か結構いろんなこと知ってるし何だかんだ役に立つよきっと?」
何だかフォローされているようで酷くけなされているような気がするのは気のせいだろうか。
だがそんな俺の葛藤を気にした様子もなく藍崎は相変わらずうさんくさげな視線を俺に送り続けてくる。
「えー……樋渡先輩の言うことを疑う訳じゃないんですけど、にわかには信じられないですね」
「じゃあやめておく?」
「いえ、先輩がそう言うなら是非一緒に。勿論遠藤先輩と山田先輩が良ければですけど」
「だってさ。ねぇ、遠藤と山田はこれからの予定どう?」
俺たちに訊ねる樋渡。
遠藤と顔を見合わせると遠藤は少し考えた表情をした後に、はぁと小さくため息をついて言った。
「私は別にどっちでもいいのだけど、山田君に任せるわ」
「うーん。……」
だが藍崎が多仲ちゃんと恋愛相談に乗っているという現状、彼女と繋がりを持つと言うのは悪い選択ではないだろう。
「そうだな。もしよかったら俺も話を聞かせてもらおうかな」
そう返事をすると嬉しそうに樋渡はうなずく。
「だそうだよ藍崎。じゃあ話を聞かせてもらおうと思うんだけど、ちょっとここは場所が悪いかもしれないな……」
そう言いながら肩を竦めて周りを見回す樋渡。
確かに、今日は遠藤と多仲ちゃんのいい争いから始まり俺の行動に坂下の激昂。そして再びの有名人の遠藤と樋渡の登場と、色々と注目を浴びすぎている。
今も俺たちの一挙手一投足に野次馬的な視線が集まるのを感じる。
「とりあえず場所を変えようか。落ち着いた場所が良いから、カワゴエはちょっと。ヒンデミットでも行く?」
「ヒンデミット……」
聴いたことがある。確か少し高級な落ち着いた純喫茶だったか。
「ああ、良いと思う。それじゃあそこで話の続きをしよう」
───回想終わり。
と、そんな訳で俺たちはそろってこの喫茶店に来たのであった。
皆思い思いにケーキセットやらを楽しんでいる。藍崎はミルクレープと紅茶。樋渡はモンブランセット。ちなみに俺は一番安いブレンドコーヒーである。
そんな中遠藤はおいしそうにセイロン風カレーなんぞを食べていた。そう言えば遠藤昼飯食ってなかったもんな。腹減ってたなさては。
「しかしうまそうだな遠藤」
「ええ、美味しいわ。こんなに美味しいカレーが近くで食べられたなんて知らなかった。これから通おうかしら」
「へぇ、良かったな」
「ええ、良かったわ」
……何だこの会話は。
「まあカレーの話はさておいて、そろそろ本題に入ろうと思うのだけど。良いかな」
脱線した話を戻そうと珈琲を飲みながら話題を修正する樋渡。
「ああ。勿論」
「私も良いわよ。食べながらで失礼するわね」
「大丈夫。それで藍崎、私に相談したいことってなんだったのかな」
「実は、私の友人に関してなんですけど……」
そう言うなり一枚の写真を鞄から出して、テーブルの真ん中に置いた。
どこか薄暗そうな路地で怪しげな男と話している美少年が一人。あれ、これは……。
「わお! これは随分な綺麗な顔をしてるけど、男の子……だよね。服装的には」
「ええ。そうです。私の友人の坂下綴君です」
驚いた様子の樋渡に返事をする藍崎。やはりそうか。だが、この写真は、もしかして。
「ふぅん、随分な美少年だねこれは。で、彼がどうかしたのかな?」
「はい。実はここ最近彼が、その変なんです」
「変と言うと?」
「前は私と友達の多仲柚江ちゃんと三人で帰ることが多かったんですけど、数ヶ月前から突然それを断って一人で帰るようになって」
「へぇ。でもそれだけだったら大したことじゃないんじゃない? 例えば好きな女の子が出来てその子と一緒に帰ってるとか」
「それはありえないんです。だって、彼が好きなのは多仲さんなんですから」
「っておい、言っていいのかよそれ!」
思わず突っ込んでしまう。
「大丈夫です。気づかれてないと思ってるのは本人だけで、気づいてないのは柚江ちゃんだけですから。当人以外のクラスのみんな知ってますし」
「はぁ。そんなに解りやすかったのかアイツ」
「だから私と一緒に帰らなくなるならまだしも柚江ちゃんの誘いも断るようになるなんてありえないはずなんです」
「ふぅん。それは確かに変だね」
「あとそれだけじゃないんです。最近ずっと元気なさそうだし、凄く暗い顔をしている時もあるし、それにさっきみたいに不安定になることもあるし……」
さっきと言うのは俺に向かって殴りつけてきたことだろう。
「さっきは綴がすみませんでした。でも、本当に元々は悪い子じゃなくて明るい子なんです。だから……」
「ああ、大丈夫だ。俺もちょっと不躾なこと聞いちゃったし気にしてはいない」
「そうですか、それは良かったです……」
安心した表情でふぅと息を吐き出す藍崎。
「あと、他にも。この写真は私の友達が見かけて驚いてスマホで撮ったらしいんですけど、その写真が撮られたのって、最近ちょっと危ない人が集まるって言うゲームセンターの裏路地で……」
ああ。そう言えば里見先生が言ってたな。煙草吸ってる生徒とかも目撃されてて見回り強化してるって。
「元々はあんなところに行くような子じゃなかったんです。私、心配で……」
「ふぅむ」
話を聞いていた樋渡は難しそうな顔をして大きく息を吐いた。
「当然だけど、もう本人には聞いたんだよね」
「はい。でもなんか辛そうな顔をして口ごもるだけで答えてくれなくて。それに放課後に携帯に電話をしても、着信はなるんですけど出てくれることはなくて……」
「それはここ数ヶ月の間ずっと?」
「はい」
「別に藍崎と坂下君の間で喧嘩をしたとか、そう言うことは無いんだよね」
「無いはずです。普通の会話は今でもたくさんしてますし……」
「ふーむ。それはちょっと普通じゃないね……」
難しそうな顔をして考える樋渡。
「解決策をすぐにって言うのは少し難しいな。見回りをしてる里見先生とかに相談してみるとか。あとは出来るだけ話しかけ続けるとかそれくらいしか思いつかない。ごめんなさい。何か他に思いつく方法ってあるかな?」
話を振られた遠藤が大きくスプーンですくったカレーを口に入れごっくんと嚥下した後に口を拭いて、そして話す。
「美鶴の案の他には私も思いつかないわね。そもそも本人が助けを口に出して求めていないんだもの。友人とは言えこちらから動く必要はないし、彼もそれを望んでいないかもしれないわよ。もしも助けが必要なら口ではっきりと示すべきなのよ。それが出来ないならこちらから動く義理なんて、友人でも持つ必要はないわ」
「それはそうなんですが……」
遠藤の言う正論に藍崎が口ごもる。
遠藤の言うことは正論だ。流石にセイロン風カレーを食べている奴は言うことも正論だ。
「確かに遠藤の言う通りかもしれないけど、でも藍崎の気持ちもわかる。ねぇ、山田は何か無いかな?」
遠藤に続いて俺に意見を求める樋渡。
「うん。遠藤が言うことは正しい。助けが必要なら察してほしいとか行動で見せるだけではなく、はっきり口に出して頼るべきだ。そうして貸し借りをはっきりするべきと言うのは正論なんだよ。でも、でももしかすると……」
この問題はそんなに単純じゃないのかもしれない。
「もしかすると、何ですか?」
縋るような目で俺に視線を向ける藍崎。
「ああ、少しばかりそうできない理由があるのかもしれない」
「と言うと?」
「ちょっと待ってくれ。なぁ藍崎。少しこの写真見ていいか?」
「ええ、勿論」
「ありがと」
写真を手に取り、じっくりとみてみる。やはりそうだ。これは……。
「何か気になることが?」
「ああ。なあ藍崎。この写真なんだけど、俺が預かっても良いかな?」
「え、ええ。それは焼き増ししたものらしいので大丈夫です」
「ありがとう。とりあえず、俺としてはそれぞれが出来ることをするって方向でいいと思うんだ。樋渡と遠藤で先生に相談して、藍崎はとにかく話しかけ続けて」
「それで、山田は?」
「俺は俺でちょっと心当たりがあってな。みんなカレーやケーキまだ食ってるし先に俺は出ていいかな」
そう言うなり机に千円札を置いて立ち上がる。
「え、ちょ、ちょっと、一体何を……」
「いやすまん。急に思い出したことがあってな。後で連絡するから、またあとで」
「ちょっとまって山田!」
驚く三人を尻目に急いで写真を胸ポケットに入れて店を出る。
少し厄介な問題になる可能性があるから、出来るだけ三人を巻き込むわけにはいかないのだ。
この坂下綴の写真。ゲームセンターの裏路地で取られたと言うことを藍崎は気にしていたが、そんなことはあまり大きな問題じゃない。
この写真、坂下綴と一緒に映っている男、こいつこそが問題だ。
チンピラや不良みたいな様子もない、スーツを着こなしたオールバックの一見普通の男。
だが、俺には解る。解ってしまうのだ。
夢とも前世とも取れない俺の記憶が、明確な判断を下す。
この男、一見しっかりとした服装の中年の男。だが、その立ち方、顔、表情、目の光、身に着けている小物。すべてがそれを示している。
……この男恐らく、いやまず間違いなく。
堅気ではない。
つまりはそう言うこと。坂下綴はチンピラとか不良とかヤンキーとかチーマーとか暴走族とか。
そんな軽いものではなくかなり面倒な者と関わってしまっていることになる。
どんな理由があったのか解らないが、これでは確かに大切な友人や好きな女の子に知られる訳にはいかないだろう。
そして残念ながら、樋渡や里見先生や、ひょっとしたら遠藤ですらうまくかかわることは難しいかもしれない。
だが、俺なら。あの記憶を持っている俺なら切り抜けることが出来るはずだ。
どっちにせよ、坂下綴には頑張ってもらって多仲ちゃんと付き合ってもらわなければならないのだ。ならば俺が力を惜しむこともあるまい。
なぁに大きな問題はない。大丈夫だ。
こういう分野のことならば俺の専門分野なのだから。
 




