出会い
教会の鐘の音が自分の身体を揺さぶるくらいに近い。
これから自分の結婚式だというのに、実感がない。
どちらかといえば、市場にこれから売られていく子牛みたいな気分だ。
桜・リン・寒河江・モリアーティは窓のステンドグラスが落とし込む床に描かれた光の画を見ながらぼんやりと思った。
真っ白なウエディングドレスは国一の職人がこの日の為に丹精込めて作ったこの国の国花の百合をモチーフに編み込まれた総レースが細やかで美しい。
ケープも総レースでウエディングドレスの裾同様1人では身動き取れないほど長い。
膝裏まである漆黒の髪は侍女達が纏めあげるには勿体無いと後髪垂らし後は編み込むという形になった。
16歳で、この国の皇太子に嫁ぐことになった。
両性具有。
桜は二つの性があるという状態で産まれてきた「半陰陽」と呼ばれる特異体質で、それはこの世界では存在自体が吉兆で地域に寄っては「神」とも崇め祀る存在でもある。
数百年に一度表れる、その神と見紛う漆黒の髪と漆黒の瞳の美貌と不思議な力にあやかりたい、あわよくば我がものにしたいと度々争いの種になった。
それを思うと半陰陽が何が吉兆なのか?と思ってしまう桜であったが、当時それを見かねたのか自分もあやかりたかったのかその両方か、国王が「15歳になったら現国の王に嫁ぐこと」を法として定め、それ以来その習わしに沿うことで主権争いはなくなった。
桜は産まれてすぐ、現国王に嫁ぐことを決められていた。
現国王は国民から親しみを込めて大英王と呼ばれ農民の貧困と貿易の航路開拓に力を注ぎ国民から絶大な信頼がある、大変英邁な国王だった。40歳は等に超えていて、世継ぎの第一王子も居たが、王妃は亡くなっており、誰もが大英王に桜が嫁ぐと思って疑わなかったが、桜が15歳になるまで数カ月も無い一年前、大英王が流行り病で亡くなったのだ。
桜も自分が大英王に嫁ぐものと産まれから教え込まれていたので、寝に耳に水である。喪が明けるまで誰も王位には就かなかった為、このまま「誰にも嫁がなくても良いのでは?」と以前、屋敷の資料室で半陰陽で嫁がずに居た例外とも取れる方が居た文献を知り、微かな希望を持っていた。
が、3カ月前に屋敷に都から使者がきた。
皇太子からの使者だった。
3カ月前ー
これから礼法の講義だ。
普段の男の民族衣装で、受ける講義と違って礼法は女の衣装、しかも都では普通の洋装を身につけ、化粧をし、髪を今風に編み上げなければいけない。
俺はこの講義が大嫌いだ。
モリアーティ公爵の第一子、桜・リン・寒河江・モリアーティ16歳は侍女の朝にキツくコルセットを締められながら思った。
普通の男ならこんなことしなくてもいいのに…と頭の片隅で考えてしまう。
「つっ!…朝…もう…」
ぼぅっとしていた頭を腰の痛みに引き戻される。
コルセットを締めあげる侍女の朝の力は20歳女性とは思えぬ怪力で、思わず声をあげれば、
「このくらい腰が細い方が都では持て囃されるんですっ!」
我慢を、と手加減抜きである。
自分の生まれもった性を考えれば、必須の講義ではあったが、あのコルセットとかいうのが苦しくて堪らない。
今の都の女性はあんなものしながら、舞踏会などに参加しなければならないのかと思いと尊敬に値するといつも思う。
こんなんでは、息もままならないと思ったところで、外から朝を呼ぶ声である。
「桜様、少々ここでお待ちを」と「ここで」と念を押してから朝が出て行く。
桜はチャンスとばかりに少し緩んだコルセットを素早く外し、ドレスの上からローブを纏い窓に足を掛けた。
桜は陽が沈みかけた空の緋と夜の闇が混ざる今くらいの時間の空が好きだ。
陽が沈んでからは、皆好んでは森に入りたがらない。
だが、桜の場合は森は産まれてからの遊び場だ。迷う者も多くいたが、桜に至っては目を瞑ってでも、迷いようが無い場所だ。
今日は月が明るい。
樹々が切り抜かれた様に、お気に入りのそこだけがぽっかり空に月が浮かんでいる。
「ふぅ…」
ドレスのまま、落ち葉の上に大の字になる。
髪はまだ結い上げられる前に抜け出したので、膝裏まで届く長さの漆黒の髪をそのままに枯葉に這う根の様に無造作に拡がっている。
遠くで、自分を呼ぶ朝の声が聞こえる気がするが勿論無視だ。
目を閉じても瞼に当たる月の光が殊更今日は強い気がする。
最近、16歳になった。
だが、嫁ぐ王は未だ決まってない。
多分、王位継承権から行ったら第一王子の皇太子が最有力だが、大英王の弟と水面下で王位継承権争いをしているらしいと噂で聞いた。その覇権争いの行方に寄っては、弟のもとに嫁ぐ可能性もゼロでは無いだろうと思う。
2人の噂を出来る限り集めてはいるが、ここ寒河江地方は片田舎も片田舎。
情報が曖昧かつ少な過ぎた。
特に皇太子は表向きの行事にある時期から参加しなくなっており、国務にあまり熱心では無い怠け者など、大英王の跡を継ぐには至らない噂が多かったが、弟の方はどうやら欲深い性格らしく、大英王亡き後、富を集中させ国民から税を多分に吸い上げるだけでは飽き足らず、皇太子を蹴落として王位まで頂こうという算段らしいともっぱらの噂だ。
「どちらも嫌だ…」
桜の思いはそうだが、聞いて貰えるはずも無い。
「武人になりたい」
寒河江地方は名だたる武人の輩出する地方として有名で、農家の子や商家の子、貴族の子関係なく男なら誰でも武術道場や学校に通ってはひたすら武術を磨く。
桜とて両性だからと言って特別な待遇を受けてきたわけではなく、小さいときから男に混じって武術を磨いてきた。
道場の皆は身分は違えど幼馴染みたいなもので、半陰陽である桜を女扱いはしないし気持ち悪がったりしない。1人の男として扱ってくれる気の置けない仲間たちだ。
『さくら…なにをしている…』
耳に直に入り込む声。
目を開ければ、こめかみ辺りを匂いを嗅ぐ、長い鼻、ふさふさの毛、大きい狼がいた。
「琥珀…久しぶりだな」
喉元を撫でさすると琥珀と呼ばれた狼が目を細める様だった。
桜は動物の声が聞こえる。
皆んなそんなもんなのかと思っていたが、普通の人間には聞こえないのを4歳辺りで知った。
半陰陽では漆黒の髪、漆黒の瞳、特別な力を持っている者が多い。
力の種類は同じ種類を持っているの聞いたことは無いが、桜の場所は動物の声が聞こえるのもその一部なのでは、と言われている。
特別役立ったことは無かったが、この琥珀は罠にかかっているのが、夜中聞こえて助けたのが縁で度々森に入ると寄ってきた。
『また、サボってきたのか…』
喉を撫でてた手が止まる。
図星だ。
「お前、コルセットって知ってる?」
『しるわけないだろう…』
「だよな。このヒラヒラした服着るのに、腰をぎゅーぎゅー締め付けるヤツ。腰が細ければ細い程魅力的なんだって」
『いみがわからない…』
「俺だって意味分からないよ…」
不貞腐れた様に手足を投げ出して、目を閉じる。
『いやならおれのとこにくるか…』
口元をペロリ舐めるのがくすぐったい。
「ふふ…そうしたいの山々だが、そうも行かない。すまんな。」
耳脇を撫でてやると気持ち良さそうな唸り声が漏れる。
『おまえがいいならそれでいい…』
そう言いつつ、暗闇に消えて行く。
多分、今頃礼法のミス・マクレガーが金切声を上げて怒っているだろう。
そう思うと疲れが溜まってきたのか、瞼が重い。
「まずいな…」と思ったときには、夢の中だった。
『ひとだ…ひとがおちてる…だいじょうぶ…?』
幾ら経っただろう、あるいは幾らも経ってないのかもしれない。
耳に直に入り込む声。
若い雄馬みたいな声が聞こえる…。
鼻先を顔に押し付けるのか、冷たい。
「…大丈夫だよ」
手を上げて鼻先を撫でてやると、
「なんだ。生きていたのか」
生きていたのが残念そうな声音が頭の上から降って来て、思わず目を開ける。
そこには、白馬に跨り腰まで届く髪を一纏めにし、銀髪、銀灰の瞳を持つ美貌の男が居た。
高い鼻、薄い唇、その周りだけ温度が1、2度低くそうな美貌で、月明かりに銀髪が神々しい程だ。
長い睫毛に彩られた温度の籠らなそうな銀灰の瞳で文字通り、桜を見下ろしている。
この地域では珍しい銀髪、銀灰の瞳の美貌に射抜かれて思わず見惚れる。
無防備に地面に大の字で寝ているのが恥ずかしくなってくる。
「お前は魔女か妖しの類いか?」
「…はぁ?」
「狼に襲われてもおかしくない夜、奥深い森の中に女が1人で横たわっている…。死体か魔女か妖しか?と問われても仕方あるまい」
そうではなくても秘境と呼ばれているモリアーティ領寒河江地区。何があってもおかしくあるまい?
言外に田舎と初対面の人に馬鹿にされ、ムカついたが、魔女か妖しかと言われても仕方ない状況である。
「魔女か妖しが居そうな田舎で悪かったな。残念ながら、俺は人間だ。」
「そのなりで『俺は人間だ』と言われても信用し難いな。それに漆黒の髪に瞳は魔力が高いと聞く…。」
しまった…ついドレスなのを忘れて『俺』を使ってしまった。
もう、今更取り繕っても仕方がないだろう。
この地域では栗色、茶色、朱色などの髪色が多い。漆黒又は漆黒に近い黒茶はモリアーティ公爵の血筋しか居ない。
「あんたに信用して貰わなくても結構。あんたこそ秘境の森の中になんの用だ?密猟か?」
ローブの下に見え隠れしている格好からすれば貴族の坊ちゃん、密猟では無さそうだが、この時間のこの森には不釣り合いである。
「迷った」
「はぁ?」
「迷った」
「………(ふざけるのかこの男)」
この先にはモリアーティ家の屋敷しかない。
「モリアーティ家に用事か?」
「ああ」
「案内してやる…………と言いたいところだが」言って駆け出した。
「おい…」
「密猟者には…教えてやらない!」
そのまま、後ろを振り向かずに全速力で走って逃げた。
相手が呆気に取られてるのが分かったが、女装している姿を朝とミス・マクレガー以外に見られたのが恥ずかしかった。
多分、あの馬なら自分の匂いで屋敷には辿り着く。
とりあえず、あの男の前から逃げたかった。
窓から自室に入ったところで、朝に見つかった。
「まぁ⁉︎桜様…その格好はなんですの?」
髪の毛には枯葉が絡まり乱れ放題。窓枠を跨いでいるところに朝である。
「……」
「あら?なんだか顔が赤いですね…熱でも?」
顔に温かい朝の手が触れてくる。
「……なんでもない。…走ってきたからだろ?」
手を避けながら、朝も外気と同じ温度の桜の頬に安心したようで、離してくれる。
程なくして、玄関ホールが騒がしくなる。
どうやら、あの銀髪の偽密猟者は辿り着居たらしい。
「……朝…客みたいだぞ?」
「そうですわね」
「…行かないのか?」
「あなた様をこんな格好のまま、放っておける訳が無いと思いませんか?」
また、窓から抜け出されてはたまりませんからね!と無理矢理椅子に座らせ、髪の枯葉をブラシで取る。
「ミス・マクレガーはどうした?」
そう言えば…と今更ながら朝に聞いてみると、鏡越しに呆れ顔で、
「桜様の調子がよろしくないと帰って頂きましたっ!」
次は庇いも致しませんよ?とブラシをかける力を込められる。
「いつっ…次はコルセットは緩めで頼む」
それではコルセットの意味がありません。と取り付く島もない。
しばらくして、外からノックが聞こえる。
朝がブラシを止めてドアを開けると侍女長の竹が立っていた。
「旦那様に都からお客様がお見えですので、今夜は洋館にてディナーに参加する様にとの事です」
「ということは洋装で?」
「ドレスです。」
「はぁぁぁ………」
変なため息が出てしまう。
まさか、父上の客に自分が呼ばれまいと思っていたのだ。
しかも、よりによってドレス!
一刻後、芙蓉の間でディナーに出席を、と言い置いて竹は出て行ってしまった。
「ついに、桜様の晴れ姿を誰かに見て頂く時が来たのですね!」
ドレスを仕立てても、いつもお相手がミス・マクレガーだけでは張り合いがないではないですか!
これは張り切らねば、と朝はなんだか楽しそうだ。
「晴れ姿って、ただの女装だろ…」
ボソっと呟く桜の言葉は受け流すことにしたらしい。
朝が「一刻しかありませんよ〜♪」今にも歌い出しそうな感じで、バタバタと動き出す。
一刻後、朝により新しい今度は水色のドレスに着替えさせられ、髪は複雑に編み上げられ、水色に合ったナントカという青い宝石を髪に添えられた姿に朝は仕切りに自画自賛していたが、この格好で講義以外にでないといけないのが憂鬱で仕方なかった。
駄々を捏ねても仕方ないので、芙蓉の間に向かう。
そこには父、従兄弟でこのモリアーティ家の跡継ぎである重松、重松の両親、そしてあの男が案の定、居た。
桜が入った途端に和やかだった会話が途切れ息を呑む音が聞こえた。
桜が帰りたい…と思ったところ、沈黙を破ったのは重松だった。
「孫にも衣装だな。見違えたぞ…。もういっかいの貴婦人だな」
重松の言葉を受けて、叔母が
「なんて可憐なのかしら…こんなに美しい子は見たことないわ!」
そんなお世辞を愛想笑いで受け流して、父上を見やれば、嬉しそうに微笑んでいた。
あの男を見れば、意味あり気な笑みを浮かべていた。
父に手招きで、あの男の前に呼ばれる。
「私の子の桜だ。今年で16歳になる」
「都から来ました、近衛騎士団に属してます、セシルと申します。その際は案内ありがとうございました。お陰様で森から迷わず屋敷屋敷に辿りつけました。」
イヤミな男だ。
「私もセシル様が無事屋敷に辿りつけて安心しました」
なんだ、知り合いか?と聞いてくる父上にセシルと名乗った男は森で迷っているところ助けた頂いたのです。とにこやか話している。
大分、腹黒男らしい。
ディナーはつつがなく進んで、お開きになる頃を見計らって、父が
「セシル殿は一週間、ここに留まることになる。桜」
「はい。父上」
「一週間セシル殿付いて、この土地を案内しなさい」
「⁉︎…父上ですが、私は昼間講義がありますし、道場での稽古もあります…」
「それは心配には及ばない。講義は一週間くらい休んでも大丈夫だろう。道場の方はセシル殿はこの国の誰もが憧れる近衛騎士団の団員だぞ?セシル殿に稽古を付けて貰いなさい。セシル殿構わないかね?」
「はい。私で宜しければ」
父上が耳元で囁く『その間、この男を見定めなさい』
「分かりました。父上のご命令とあらば」




