少女は悲しく回顧する
暁未来はむかついていた。窓の向こうに広がる初夏の青い空は何も知らうに漂う白い雲を浮かべていた。校庭からは体育のクラスの騒がしい声。窓一つ隔てたこちら側。政治経済の授業。来年定年の教師が何やら語っていた。
虫の羽音のような教師の声、眠気を誘う教室の空気。世界はこの狭い教室に凝固していた。こんなにも私の胸は熱いのに、どうしてこんなに無気力なのだろうか。老教師はどうして厚顔無恥に社会のことを教えられるのだろうか。
紛れも無く、違いなく、この教室には二つの人がいる。この国を繁栄させ、その代償を後世に押し付けた人。この国の没落を目の当たりにし、過去の繁栄の代償を押し付けられた人々。なぜ疑問もなく、臆面もなくあの教師は語れるのだろうか。今学期授業で扱っただけでも、年金制度、国債、教育制度、無数にあるのは積み上げられた負担の山。
ああ、あの老教師はきっと金の卵として生まれ、職に恵まれ、バブルを愉しみ年金に逃げるのだろう。では私達は?ゆとり世代と蔑まれ、生まれた時から失われた20年、終身雇用も年功序列も存在しない。年金制度は破綻し、重い重いヘビーな負担だけがのしかかる。一方の人生は希望に満ち溢れたのではなかったのか?彼らは失うものなど何もなかったのだから。そして、私達は…失うものしかなかったのだ。
それだけならまだこんなに憎らしくはないのだ。許せないのはその大人たちの積み上げてきた欺瞞の数々。この国の現在の地位を築いたのは私達だと大人たちは胸を張る。そのために積み上げた借金のことは忘れて。最近の若者達はバカだと彼らは蔑む、彼らがその教育を選んだにも関わらず。そしてなによりも果敢に現状に立ち向かおうとする私達の世代を彼らは見下し、否定し、蔑む。
いつも彼らの言葉は決まっているのだ。いい大学に入りなさい。良い企業に入りなさい。堅実に生きなさい。っと。そんな堅実な生活など既にどこにもないのに。そんなもの貴方方が破壊してしまった。終身雇用?年功序列?年金?そんなもの高齢者の幻想でしかない。貴方方は良かったですよね、それがあったのですから。そして、その方を私達に押し付ける。それらの制度全部をぶち壊したのはあなた達だというのに。選挙で。
ああ、全ては私達が子供の頃に終わってしまった。未だに選挙権もない私達が一体何を言えるというのでしょうか?私達にどんな責任があるというのでしょうか?私達には何もない。責任も繁栄も安定も。なにもないのです。それだのに、貴方方はすべてを手にして責任を取らない。
ちょうど黒板上には、この世界の創造者達が踊っている。私達は、只々板書し、暗記する。それこそが毒だというのに、眠たげな初夏の陽気の中で、無意識の私達は侵される。黒板上の、綺羅星のような偉人たちは、この世界という構造の創造者達。それが故に彼らは、尊敬され、毒となる。そしてその毒を煽るために、私達は静かに学ぶ。ただこの世界を維持するだけの歯車として鋳造され直される。壇上の教師は私達を作り替える職人といったところか。
思えば、世界史上、貴方方の時代は始まりから終わりまで欺瞞に満ち満ちていた。近代に至る以前、王は繁栄を享受し、失敗すればその首が飛んだ。農民たちは繁栄もなければ責任もなかった。全ては神に預けられ、あるのは牧歌的な素直さの論理だけだった。しかし、近代にはなんと詐欺師が多いことでしょうか?血のつながった息子達を孤児院に送りながら教育論を書いたあの男が現代のあの民主主義を作ったのです。個人主義の自由競争を訴えながら負の部分は全て宗教道徳に押し付けたあの男が現代のあの市場を作ったのです。そして、ほとんど働いたことなどないニートがそれに反逆したのです。皆々、それぞれの大義の旗の下に大きな自己欺瞞を隠していたのです。
そしてその最後の世代が私達の父母たちなのです。なんと救いようのないことか。前の世代を容易く越えた嘘つきの彼らは働くことに喜びがあると疲れきった顔で語り、選挙に行けと議論しなかったその口で語り、勉強しろと試験勉強しか知らないその脳みそで説教する。
それでも、それでも、この教室が無気力なのは、彼らが自分の息子や娘たちに毒を盛り続けたからなのです。親子ではなく彼氏彼女のように振る舞い、恩着せがましく説教し、考えることも抵抗することも、記憶することすら教えなかったという最大の自己欺瞞。さればこそ、私達は産んでくれと頼んだわけでもない親たちに服従しなければならないと脅迫されている。
そんな甘い毒をとり続けて、私達にいったい何ができるでしょうか?何も?せいぜい自殺する程度、通り魔する程度、いじめる程度、いじめられる程度。反逆なんてもってのほか。そして、反逆さえも彼らの自己欺瞞なのです。あの老教師の世代は上の世代に反逆し、失敗し、恥知らずにおもねった。これだけ絶望があってどうして子どもたちが希望に輝けるでしょうか?
ただ、私達が臨むのは、私達の次の世代がもう一度自信と希望を獲得すること。あるいは正直に生きること。私達には何の希望もないのだから。
さぁ、帰りましょう。こんな欺瞞の学び舎に一体何の価値が有るのでしょうか。
少女は突然立ち上がってカバンも持たずに学校を後にした。後ろにはあっけにとられたクラスメートと教師が残される。彼女は一体どこに向かおうとしていたのか。それは誰も知らない。だって、校門を出た直後に彼女はダンプカーに惹かれて死んだのだから。ダンプを運転していたのは中年の男であった。
5/7感想をもとに加筆修正しました。やっぱりなかなか主観描写と風景描写は両立しづらいですね。今後も頑張ってみます。