夕暮れどきのシロノワール
「さて、と」
堤谷さんからもらった地図によるとアジトはこの近くの廃工場らしい。細く入り組んだ路地を抜けると、いかにもそれらしい人たちが廃工場の周辺にたむろしていた。どうやらここのようだ。
本音を言うと、やっぱり怖い。今すぐにでも帰りたい。でもこのままやられっぱなしなのも癪だった。無謀だと、キチガイだと言われても噛みついてやりたかった。
「おいなんだテメエは? このアジトに何か用か?」
入口に立っていた愚乱破栖のメンバーと思われる少女が話しかける。
「シャチさんに話があります」
「はいそうですかじゃあお入りください、なんて言うと思ったか!」
「さっさと帰れよ!」「あんたみたいなやつが来るとこじゃねえんだよ!」「失せろっ!」
吐き捨てるように言ってのける少女たち。押しつぶされそうな心を必死に押さえつける。
「ちょっと待てお前ら。俺もそいつに話があるんだ」
少女たちを制したのは赤い髪のポニーテールの少女だった。
間違いない。こいつがシャチだ。
「そいつを通せ――なかでゆっくり話そうじゃないか、円満井善行くん?」
「で、話ってなんだ?」
鉄とコンクリートの無機質な部屋に僕とシャチだけがいた。
「今夜のレースのことです」
「ああそれね。何? 一般人を巻き込むようなことはやめろとでも言いにきたのか」
「ええ、それを言いに来たんですよ」
「そんなくだらないこと言うためによく一度自分を拉致った相手に会いに来たな」
呆れたように、嘲るように言い放つシャチ。
「前回は助かったからって今回も助かるとは限らないんだぜ? お前頭沸いてんじゃねえのか」
「そうですか。深夜にバイクで走り回って悦に浸っている人に言われるだなんていよいよ僕も救えないですね」
恐怖も憤りも殺した声。無感情を貫くんだ。ここで冷静さを失うことは決してあってはならなない。
とにかく、この感じだと彼女らはレースに参加するようだ。止めなければ。あの『事実』を言うときが来た。
「そんな僕からあなたがたに忠告があります。あなたが今夜参加するレースは――」
「警察官が仕組んだこと、か? 知ってるよ、そんなもん」
「!」
知っている? やっぱり思った通りだ。でもなぜだ?
「なぜそれを知っているのにレースに参加しようとするのですか?」
わざわざ警察の罠にはまりに行くようなものだ。
「知っているからこそだ。お前たちはレースを開催することで俺たちの集まる場所と時間を指定したつもりだが……俺たちが集まるところに警察が来る、つまり俺たちは大勢の警察官が来る場所と時間を知っているということだ」
シャチの口元に笑みが現れる。
「俺たちはゴールで待ち伏せしているせこい警官どもをまとめて血祭りにあげる!――そして警察の無力さを世に知らしめるんだ!」
「…………」
何ということだ。これはただのレースではなく、警察と暴走族の全面戦争ではないか!
「それならなおさらやめるべきです! 多くの怪我人を出します! そんなことをしても虚しいだけです!」
「ごちゃごちゃうっせーんだよガキが! あんたにつべこべ言われる筋合いなんかねえよ!」
「姐さん! 入口に変な女がうろついているから捉えてきました」
憤慨するシャチにメンバーの一人が割り込む。
「んだよ次から次へと……さっさと連れてこい」
「はい。今すぐにでも」
数秒したら聞きなれた声が廃墟に響き渡った。
「放してよ! なんでこんなことするの? わたしはヨシくんに会いたいだけなのに!」
「!」
部屋に入ってきたのは両腕をがっしり掴まれたヒマワリさんだった。大事そうに持っていた番傘も取り上げられている。
「お前はあのときの女!」
シャチが声を荒げる。
「どうして……なんでこんなところにいるんですか?」
「わたしよく考えたら帰り方よくわかんなくて……ヨシくんに訊こうと思ってあとをおっかけていたの」
どこか申し訳なさそうに言うヒマワリさん。
「なんだ、この女。お前の知り合いなのか?」
「待ってください! その女の子を放してください!」
「はっ! やっぱお前のつれかよ! あのときもお前のこと必死に助けていたもんな!」
ヒマワリさんの顔を見た瞬間激昂するシャチ「あのときはよくも邪魔してくれたな」。
「な、なにがなんだかわからないけど、ヨシくん、一緒に帰ろう?」
「なにが一緒に帰ろうだ! 帰してやるもんかよ!」
シャチは突然椅子の裏から鉄パイプを取り出す。
「やめてください! ヒマワリさんは関係ないでしょう!」
「は? 関係ない? さっきから散々ヨシくんヨシくんって呼んでんの誰だよ?」
「でもヒマワリさんに危害を加えるようなことは……」
どうしよう、このままだとヒマワリさんが……
ていうかなぜシャチはヒマワリさんの顔を見ただけで突然怒り出したのだろうか。単純に考えて、シャチが言う「あのとき」に何かがあったからあんなにも怒っているのだろう。そもそもヒマワリさんはシャチのような人間と関わるような『そっち側』の人間なのだろうか?
って、今はそんなことを考えている場合じゃないですよ!
このままだとシャチはヒマワリさん殴りかかってしまう。それはあってはならないことだ。
――腹をくくるしかない、か
「聞いてください、シャチさん。過去に何があったか知りませんが今は、ヒマワリさんは何も関係ありません。ヒマワリさんを傷つけるのは筋違いです。ですから――」
恐怖はあった。でも精一杯勇気を言葉に込めた。意を決して言い放つ。
「ですから――代わりに僕を一発殴ってください。それで気が済むでしょう」
その場の空間が静まった。驚愕と恐怖。予想外の出来事に面喰っているようだ。
「いいだろう! おもしれーじゃん」
静寂が飽和する室内にシャチの声が響く。
「でもこいつ(鉄パイプ)で殴るとお前死ぬかもしんねえから素手でいくわ」
鉄パイプが床に転がる。そしてシャチの右手に固い握りこぶしができた。
「歯ァ食いしばれよ!」
こちらが身構える隙もなく――――廃墟に鈍い破裂音が響いた。
その衝撃は唐突にして一瞬だった。痛みを受けた瞬間の感情なんて何にもなくて、ただことが終わった後に残る膨張する痛みと血の味が妙に鮮明に感じた。
「ごめんなさい……わたしがこなかったらこんなことには……ごめんなさい!」
「いいんですよ、僕が言い出したことですから、大丈夫ですよ」
「でも……」
とりあえずコメダに入った僕たちだけど、さっきからこんなやりとりを軽く五分間している。このコメダ珈琲店のまったりムードにはそぐわない謝罪の嵐。はやく止めないと。
「なにか頼みませんか? せっかくコメダに来たんですから何か食べた方がいいですよ」
氷水の入ったコップを氷のう代わりに頬に当て、僕は提案する。ここ、コメダ珈琲店には他の喫茶店では食べられないような独特のメニューが多い。ブーツ型のコップに入ったクリームメロンソーダ、帽子みたいなハンバーガー、そしてコメダの代名詞・シロノワール。
「僕はそうですねえ……やっぱりミニシロノワールにしましょうか」
「…………」
「ヒマワリさん……?」
「ヨシくんは本当に優しいね……わたしこんなんでごめんね」
木目調のテーブルにポタポタとしずくが落ちる。
泣かないでください、と言いたかったけど、言えなかった。泣きたいときには泣いた方がいいと、僕は思うからだ。
でも
「ヒマワリさんは本当に感情が豊かですね……困ったり、喜んだり、笑ったり、泣いたり――でも僕はヒマワリさんの笑った顔が好きです。笑ってほしいです。それはあなたが泣いて謝ることよりもよっぽど大切なことです」
それは僕のエゴなんだろうな、と思う。でも、それが今の気持ち。
「わ、わたしも、ミニシロノワール、食べる!」
涙のにじんだ声で宣言。なんだろう、ヒマワリさんのなかで感情の踏ん切りがついたのだろうか。
それならなにより。
数分後、店員によってミニシロノワールが運ばれた。
ふわふわとしていてあつあつのデニッシュに、つめたいソフトクリームがのったそれはいつもより甘く感じられた。




