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ハイアンドマイティー

 静かな時間はそれほど長く続かなかった。

 昼ご飯を作ろうと冷蔵庫をあさっていると聞きなれた電子音がポケットから鳴り響く。

 それは僕の携帯の着信音であった。画面に表示された名前は――『姉さん』。

 とてつもなく嫌な予感がする。姉さんは父さんに次ぐ奔放性と傍若無人ぶりを発揮する人物である。今回も無茶な頼みをするに違いない。

 数秒の間出るのをためらったが、ここで出なかったとしてもどうせまたすぐにかかってくる。観念して電話に出ることにした。

「もしもし……」

『電話に出るのが遅い! どんだけ待たせんのよ、この愚弟が!』

開口一番こんなこと言われたらたまったもんではない。とにかく自分のペースに持ち込まねば。

 「すみませんでした。で、何の用事ですか」

「お腹すいた」

「はい?」

「だーかーらーお腹すいたの!」

ぶっきらぼうに、そして駄々をこねる子供のように言ってのける僕の姉――円満井香織。

 名古屋駅周辺の交番で働いている新米警察官。だが、鮮やかな金髪に整った顔立ちと抜群のスタイルの持ち主ですでにその存在感は交番周辺に根付いている。

 「それで、お腹すいたから僕はなにすればいいんですか」

「弁当作って、今から」

「……今から? コンビニで何か適当なものを買うのはダメなんですか」

「ムリ・アツイ・ウゴケナーイ」

「………………。」

警察官になった今でも怠惰なところは昔のままのようだ。

「まあ……いいですけど」

ちょうどご飯つくるとこでしたし。受話器越しに「最初からそう言いなさい」とぶーたれる声が聞こえた。

「でもどうやってここまで取りに行くんですか? お昼に抜けて来れるんですか?」

「は? バカ言ってんじゃないわよ。あんたが届けに来なさい、名古屋駅(メイエキ)まで」

「ゑ?」

ここからバスで一時間かかる場所までこの炎天下の中向かえと、わざわざ一つの弁当を届けるためだけに僕の貴重な時間を使えと姉さんは言っているのか。

「どんな死刑勧告ですか」

「つべこべ言わずにまずは弁当作る!」

ブチィ……と受話器から断裂音が響いた。嵐は、突然過ぎ去ったのである。

「そんな、殺生な……」

ハの字に曲がった眉毛はしばらく直りそうにない。



 脱ぎっぱなしになっていた靴に足をいれ、おもむろにドアノブをひねる。ドアを開けると湿気のこもった熱風が僕を出迎えた。

「……暑い」

出来立ての弁当には一応保冷剤を入れといたのだが、少し心配になってくる。

「急いで届けましょうか……」

 近くのバス停まで徒歩五分、バスに乗ること一時間。

 田んぼや畑から徐々に景色が塗り替わっていき問屋街や高層ビルが見えてきた。ツインタワーが見えたらもうすぐ名古屋駅だ。

「まもなく終点名古屋駅です。ご乗車ありがとうございました」

 運転手の声に僕のまどろんでいた意識が覚醒する。扉が開くと僕の体は再び熱風にさらされた。

 姉さんのいる交番まではあと五分ほどあるかねばならない。ジリジリと照り付ける太陽が、まとわりつく熱気が体力をどんどん削っていった。そしてさすが名古屋の中心地、人が多い。高層ビルが建ち並ぶためか妙な威圧感もある。

 「あと……少し」

タクシーのロータリーについた。ここから日陰なので少しは楽になる。ハンカチを取り出して額の汗をぬぐおうとした……のだが。

「あれ……?」

かばんにハンカチを入れたはずなのになかなか見当たらない。思わず立ち止まってカバンをあさるが……

 「わっ!」

こんな人通りの多い中で突然立ち止まってしまったからだろう。通行人とぶつかってしまった。

「す、すみません!」

反射的に、機械的に謝った。そこですぐにまたハンカチ探しを続行し……ようとするが。

バタン

 嫌な音がした。まるで何かが倒れたような、人が倒れたような音がした。

 その予感は的中して――

 「大丈夫ですか!」

さっき僕とぶつかった、僕と同学年くらいの女の子が無機質なコンクリートに投げ出されている。体は暑く、息は上がっていた。

 あああまさかこんなことになるなんて!

 「何か出来ることはありませんか?」

女の子の瞳がわずかに開き薄い唇がゆっくり動く。

「み……水をください」

まるで鈴の音のような透き通った声が鼓膜をゆらす。

「水ですか! すぐに用意できます!」

熱中症対策にいつも水筒は常備してある。

「どうぞ」

タンブラーのふたを開けて女の子に差し出す。

 女の子はのどを鳴らしてタンブラーの中の水を飲み干した。

「あ、ありがとう」

すっかり軽くなってしまったタンブラーが僕の手元に返る。タンブラーをカバンにしまい終わったときには、女の子はふらつきながらも立っていた。

「いえ……こちらこそ、ぶつかってしまいすみませんでした。まさかこんなことになるとは……」

「あ、いーのいーの。倒れちゃったのはわたしのせい。わたしがちゃんと水分補給していなかったから」

ん?

「もしかして熱中症ではないですか?」

「もしかしなくても熱中症だったみたい……でももう大丈夫だよ! あなたのおかげで――ありがとう!」

邪気のない、純粋な笑顔が僕の目の前に広がった。さっきまでの不安とか恐怖とかいう感情を浄化するような、はじけるような笑顔。

「あの、やっぱ心配なのでこれあげますよ」

カバンのポッケに常備している塩飴を一つ。

「いいの?」

「家にいっぱいあって食べきれないのでもらってくれた方が助かります」

買い物下手な父がつめ放題でしこたまつめてきたからお菓子の棚が塩飴で溢れかえっているのだ。

「やったー! ありがとう! 至れり尽くせりだね。あなた、わたしのおばあちゃんみたい!」

「おばあちゃん……ですか」

飴をあげておばあちゃんと言われたのは初めてかもしれない。

 「そういえばあなたは名古屋の人?」

「はい、そうですが」

このタイミングでなぜこのようなことを訊くのだろう?

「あの、実はわたしこの街のことよく知りたくて……でもぜんぜん知らないの!」

知りたいと思うのならぜんぜん知らなくて当然である。

「だからこの街について詳しい人といろんな場所回れたらいいなあ、と思っていてね」

なんだろう。展開が読めるぞ。

「僕に街案内して欲しいんですか?」

「そうその通り!」

パチンッと指を鳴らして応答する女の子。ウインクも忘れずに。

「ところで今おヒマ?」

「ヒマかどうかって言われたら……」

ヒマではない。姉さんに弁当を届けなければならないし、暴走族を説得しに行かねばならない。

 でもこの命知らずの女の子を野放しにするのも抵抗が要った。どっかでまた倒れられたらしゃれにならない。

 それにこんな見ず知らずの、初対面の人間に頼み事をするところから他に頼れる人はいないのだろう。極端な話「誰でもいいから助けてほしい」と思っているのかもしれないし。追い詰められていることは確かだ。

 「大丈夫です。名古屋のいいところ、案内しますよ」

パアァと効果音が聞こえていきそうなほど目を輝かせ満面の笑みを浮かべる女の子さん。

「ホント? ありがとう! 大好き!」

「だ、大好き? ってわあ!」

突然僕の両肩にぬくもりがおおいかぶさる。そのぬくもりの原因が、女の子が僕に抱き着いているからだと自覚するには数秒の時間を要した。

顔がカァっと熱くなっているのがわかった。そのころには女の子は僕から離れていたが。

 「あ、あの案内するまえに寄りたいところがあるのでまずそこへ行っていいですか」

「いいよ。案内してくれるんだからそれくらいは付き合うよ」

 僕は静かに弁当箱を見つめた。





 「善行のくせに女を連れているだと……!」

僕らが交番についたときの姉の第一声がそれだった。

 「しかもかわいいじゃん」

口元をにやつかせてつぶやく。となりから「そ、そんなあ」と照れくさそうに言う声が聞こえた。

 いやでも、この女の子は姉さんのようにカリスマ性を持った美人ではないが……かわいい、と思う。腰まで伸びたつややかな黒髪、昼間の月のような白い肌、ぱっちりとした澄んだ瞳。白いワンピースもよく似合っていて、「清楚」という言葉がそのまま人になったようだ。

 ただ、その容姿に似つかわしい謎の赤い番傘を大事そうに持っているのが気になる。

 「で、その子どうしてあんたといるのよ? ナンパしたの?」

弁当のおかずをほおばりながら尋ねる姉さん。って、いつのまに僕のカバンから弁当とりだしたんですか。

「違いますよ。これはこういうわけで……」

僕はこの少女と出会った経歴をすべて話した。

 「なるほど~あんたみたいなのがこんなかわいこちゃんと一緒にいる理由なんてそんなもんよね。あんたにもついにモテ期が到来しちゃったかと思ったわ」

姉さんはなぜか心底安心したような表情をした。いやホントなんでなんですか。

 「にしても姉さん、こんなところに大量のファッション誌があるのはなんでなんですか? こんなもの読んでいる余裕があるくらいヒマなんですか」

さっきから女の子が何かをじーっと見つめていると思ったらこんなものが。

「読んでもいいわよ」

「いや読みませんよ」

「うっさいわねーあんたに言ってんじゃないわよその子に言ってんの! それにあたしはヒマなんかじゃないわ。今夜は奴らを捕まえる絶好のチャンスなんだから」

「それって……」

「暴走族・愚乱破栖(グランパス)怒羅魂頭(ドラゴンズ)のレース。奴らが来る場所と時間はこっちの手のうちよ。あとはゴールに待ち伏せして一斉検挙!」

バコンッ

姉さんは勢いよく弁当のふたを閉めた――「絶対に捕まえて見せるわ、シャチ」。

 シャチというのは愚乱破栖のリーダーのあだ名だ。

 「あのときの仕返し、ちゃんとさせてもらうんだから」

「あのときに一体何があったの?」

ファッション誌片手にあの女の子が尋ねた。

 「それは……」

話していいことかしら、と無言の視線を送る姉さん。

「ご、ごめんなさい! 聞いちゃいけないこと、だったんだよね」

「いえ、僕は話して大丈夫です」

僕は女の子に、姉さんの視線に応答する。

「わかったわ。あんたがいいっていうのなら話しましょうか」

姉さんは一呼吸おいてからその日のことを語り始めた。

 「善行は夏休みは補習尽くしでそのうえ課題もだされるから毎日くたくたになって学校から帰ってくるんだけど、あの日だけはどれだけ待っても善行は帰って来なかった。なぜだかわかる?」

女の子はふるふると首を横に振った。

「それは、善行が――あたしの弟が暴走族・愚乱破栖に誘拐されたからよ」

女の子の瞳が衝撃で大きく見開かれる「どうしてそんなことに……?」。

「あたしもわかんない。ただ、大きな事件になる前に善行が無事に帰って来てくれたことが不幸中の幸いだったわ」

「よ、よかった……けがとかはなかったんだね」

「そう。でも今度いつまた襲ってくるかもわからない。奴らを野放しにすることは危険だわ――だから何としてでもあたしが……」

大きな青い瞳をスゥと細めて姉さんはつぶやく。

 「ところで人をヒマ人呼ばわりしたあんたはさぞお忙しいのでしょうねー? 父さんから聞いたけど、あんた探偵事務所の留守をたのまれたそうじゃない。依頼は来ましたか小さな探偵さん?」

先ほどまでの鋭さとは一変していやみたっぷりに言ってのける姉さん。暗い表情になってしまったあの女の子への気遣いだろうか。

 「ちゃんと仕事来ましたし、今日この子を案内してから取り掛かろうとしていたところです」

「ふーん、どんな仕事? どうせ逃げ出した飼い猫を探してくださいとかそんなもんでしょ」

「いやそれは……」

レースをしようとしている暴走族をレースをさせないように説得する仕事です、なんて口が裂けても言えるはずもなく。それにこのことは『あの計画』を邪魔することになる。あの現代版織田信長のような人に知れたら生きては帰れまい。

 「何よ早く言いなさいよ」

眉をハの字にして催促する。このまま言わなかったとしても後で根に持たれるのが目に見えてきた。

「わたしも知りたい!」

そこへあの女の子も参戦。なんだろう。もう言ったほうがいいのでしょうか。

 「それはその……暴走族・愚乱破栖へ会いに行く仕事です」

少しオブラートに包んで告白。したつもりだが……

「何考えてんの! あんた! 死にたいの?」

突然席を立ちあがり、僕の胸ぐらをつかむ姉さん。

「あんたは狙われているのよ! どうしてそんな仕事をしようとするの? わざわざ殺されに行くようなものじゃない! それに一度自分を誘拐した奴らに会いに行くなんて……狂っているとしか思えない! このキチガイ!」

僕に降り注ぐ罵詈雑言の雨。言いたいことを言い終えたのか姉さんは僕の胸ぐらを開放する。

「それでも僕は行かないといけないんです。『あの計画』が奴らに知られているかもしれませんから」

「――!?」

「僕は愚乱破栖が今夜レースに参加するのかどうか、知りたいだけなんです。それだけ訊いたらすぐに帰ります」

しばしの沈黙が訪れた。その静寂を切って姉さんはぶっきらぼうに切り出す。

「もう、勝手にしなさい」




 「なんか、すみません。いろいろごたごたしてしまって」

「ううん。大丈夫だよ。あなたのお姉さん、とても弟思いなんだね!」

「そう、なんですか?」

さっきまでの喧騒がムダにポジティブに捉えられているぞ。

 交番をあとにした僕たちは金時計の周辺をぶらぶらとしているわけですが

「これからどうします?」

「そうだね。とりあえず――」


「わたしとってもお腹がすいてるの!」




〈ヨシユキMEMO〉 - - - - - - - - - - - - - -

名古屋のいいところ 名古屋は都会過ぎず田舎過ぎないところがいいと個人的に思う。ただ、ピンポイントでこれがいいっていうものはない。そして名古屋には遊ぶ場所が少ない。案内できるのか、僕。


ハイ アンド マイティー high and mighty. 傲慢な、という意味の成句。真昼間に突然弁当を作らせてそのうえ炎天下の中自分のもとへ届けさせるどっかのだれかさんにはぴったりの成句だと僕は思いまいだだだだだだだだ耳取れる耳取れるひっぱらないでくださいいいい


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