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依頼人さんいらっしゃい

壁時計のオルゴールが鳴った。どうやら営業時間になったようだ。

 ところどころ破れているソファからのっそり起き上がり、玄関へ向かった。今朝、全力疾走した疲れがまだ残っている。

ドアの前の看板をひっくり返して『営業中』にする。なんか飲食店っぽいけどこういうのが父さんは好きとのこと。そのうち『冷やし中華始めました』とか張り出しそう。

 「こんなことしてますけど、お客さん来たらどうしましょう……事務所の留守って具体的に何をすればいいんですかね」

 夏休みが永遠の0(ゼロ)となってしまった僕には、やる気・元気・根気、友情・努力・勝利その他もろもろを消失してしまっている。お客さんが来ても大したことはできないだろう。

 「何もできずに、追い返してしまうだけになるかもしれませんね」

またソファで休むために事務室へ戻ろうとした。しかし、その足音がドアを閉めるのをためらわせた。

 誰かが階段を上ってくるのだ。

 このビルは四階建てだが、三階と四階は空き物件である。なので階段を上がってくるとしたら、百パーセントうちに用があるということだ。

「まいったなあ……」

 背中に汗がにじみ出た。思考回路が白く染まり始める。回覧板とか宅配便とか変な宗教の勧誘とか――そんなオチだったらどんなにいいだろう。

 階段の折り返し地点。いわゆる踊り場と呼ばれるところに足音の主が差し掛かったとき、その人と僕の目がバッチリと合ってしまった。

 その男の人は軽く驚いたのか目を真ん丸にしたけど、すぐにニィッと笑った。僕はまだ口をパクパクしている。

「あなたが円満井善孝さん? 想像よりも随分とお若いっすね~」

軽薄な調子で話しかけられる。その声色に僕はなんだか拍子抜けしてしまった。やたら乾いたのどから何とか声を吐き出す。

「いえ、善孝は僕の父です」

「ふ~ん、なら君は息子さん?」

「はい……父は今旅行中でしてその間父はいない、っていうかだから依頼は受けられないっていうか……そんな感じなんです。すみません」

なんだかあやふやな日本語を話してしまったが伝わっただろうか。

「そう。その間君が留守をしてるの?」

「そうです。朝メール見て着てみたらこれですよ」

「あぁ~君も大変だねぇ。夏休み潰されっちゃってたまったもんじゃないでしょー」

「ええ、まったくですよ……!」

今朝見たあの手紙の文面を思い出す。腹立たしい気持ちがクツクツと煮えてきた。

「だよねー! 夏休みなんだから海行って、アツアツの砂浜に友達を埋めたり、海藻投げて遊んだりしたいよねー!」

「え、それあなただけじゃないですか?」

「うそッ! 俺だけじゃないでしょこれやるの! 出校日のとき友達に訊いてみなよ~」

「無駄ですよ~誰もやるだなんて言いませんから」

 って。

 こうしてワイワイ雑談してる場合じゃない。『依頼は受けることは出来ない』と、きちんと説明せねば。追い返せねば。

 「あの、盛り上がってるところに水を差すようで申し訳ないのですが……」

「ああ依頼内容教えろって? そうだね、ちゃんと順を追って話さないといけないから随分長くなるんだけど――」

「その依頼についてなんですが、今は……引き受けることが出来ないんですよ」

男の人の表情から笑顔が消えた。「それどゆこと?」

「あの、さっきも言ったんですけど父は旅行中で……依頼を引き受けられる人間がいないんです」

僕はその男の人の表情を直視するのが怖かった。きっと落胆しているに違いない。先ほどまで笑っていたからなおさらその表情を見ることが出来なかった。

 このまま回れ右して帰ってもらう方が双方にとって都合のいい選択なのだろう。できもしないことをやったとて、失敗したときの被害はどちらにもこうむる。リスクが大きいのだ。

 だけど、男の人が告げたことは僕の予想を超えるものだった。

 「よかった。俺の依頼は善孝さんがいないときにしか頼めないことなんだ――なんせ俺は君に用があるんだからね」


 まさか僕がこの事務所に人をあげるとは思ってもみなかった。だけど、現に今は依頼人――堤谷幸太郎(つつみやこうたろう)さんにお茶を淹れている。といっても、ペットボトルのお茶をコップによそっているだけなんですけどね。

 「粗茶ですが、どうぞ」

「どうも~。んじゃさっそく……ふぅー! 生き返るー!」

「すみません。事務室なのにこんなに散らかってて……」

事務机の上の書類は雪崩を起こして床にまで散乱し、からのペットボトルやコンビニ弁当の容器が部屋のいたるところに放置されている。

「いやいいって~。なんかこの部屋たくさん温泉土産あって和むしさ。お父さん、温泉好きなの?」

「はい。もう温泉と聞いたらどんな山奥でも行きますよ、あの人は。今頃湯船に浸かっていることでしょう」

僕もお茶を飲み干す。体の中に清涼感が駆け巡った。

 「堤谷さん、僕に用って言ってましたけど、一体僕は何をすればいいんですか?」

コップに新しいお茶を注ぎながら尋ねた。ついでに堤谷さんのにもお茶を入れる。

「うん、そのことね。話が長くなるからまずは端的に言うね」

カバンをあさりだす堤谷さん。奥の方から取り出して、僕に満面の笑みで差し出すのは――スタンガン。

 ゾワリ、と背中を這いずる嫌な予感。一瞬呼吸の仕方を忘れてしまい、詰まったような苦痛がのどを襲った。目が見開かれてまばたきすることさえできない。

 そしてその嫌な予感は見事に的中した。

「君に――――ある暴走族のアジトへ行って、その総長に直接会ってきて欲しい」




〈ヨシユキMEMO〉 - - - - - - - - - - - - - -- - - - -

アツアツの砂浜に人を埋める 堤谷さんによると、砂浜に人を寝そべらせてその人の体を砂で埋める行為のこと。僕はやったことはない。けどこの小説の作者はやったことがある。当然だけど顔まで埋めてはいけない。死ぬ。


海藻投げて遊ぶ 堤谷さんによると、海に浮かんでいる藻類を丸めて人に投げつける行為のこと。僕はやったことはない。けどこの小説の作者はやったことがある。当然だけど顔に投げつけてはいけない。痛い。


からのペットボトルやコンビニ弁当の容器 ちゃんと捨てましょう。



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