03
道はゆるやかに上り、十分もかからないうちに土湯に着いた。
温泉街を右手に見送り、更に先に少しい進む。
相模屋旅館はかなり大きな建物だった。
あたりを見渡すが、朝の三時ということもあって、人けがない。
「なぜここだと分かった?」
ふり向いたサトウに聞くと
「部屋のメモ帳、一枚はがしたところに字が残ってた、旅館の名前と、電話番号と」
旅館には、すでに所員が到着していた。ライトニングの乗ってきた車がやはり、駐車場の目立たない隅に置き去りになっていた。キーは残されていたらしい。
サトウは、調べていた所員となにやら話をしている。戻ってきて、途方にくれたような顔でこちらをみた。
「弟もいなくなってるって。施設に連絡したら、大騒ぎになっていた」
状況からみて、連れ出されたようだと言う。
旅館の従業員に聞いて調べてもらったが、それらしい宿泊客は入ってないという。
夜中の事だし、訪ねてきた人間もいなかった、と。
実家に帰る、と言ったのになぜ温泉へ?
実家は確か、反対方向だ。ここを指定されて、更にどこかに移動したらしい。それともライトニング自身が指定したのだろうか?
急に、彼の部屋に貼ってあったポスターを思い出した。
若いモンが山の景色か、なかなか渋いよなあ、あの時ヤツは何て言ったっけ?
「いつかさ、弟を連れて行くんだ」
あこがれの人を眺めるような目つきが、印象的だった。
車のあった場所まで戻った。キーはまだつけたままだった。
「サトウさん」
呼びかけて手を合わせる。
「この車、貸してくれ」
冗談でしょ? という顔をされたが真剣に頼んでみた。
「たぶんいないと思うが……ひとつだけ見てきたい場所がある」
「危険よ、ワタシが一緒に行く」
「いや……」
ここからならば、一人で行ける、多分あまり遠くはないだろう。
サトウはコワい顔をして、手に腰を当てて首を横に振った。
点滴がイヤです、と彼がゴネた時と同じだ。
しかしここで、サンライズもあえてコワい顔をする。
「キョウコさん、ダンナも特務だったんだろう?」
サトウの目が少し外れた。
「勘を信じて動かなきゃ、って時は動いたんだろう? 彼も」
「それで死んじゃったけどね」
きっとなってサトウがみつめる。
「アナタも死にに行くんじゃあ、ないよね」
「だいじょうぶ」
自信たっぷりに彼は答えた。
「オレはやたらと運がいいんだ」
「ならば、私もついていく」
爽やかな笑顔になって、彼女はヘルメットをかぶりなおした。
「アナタは車で行って、後に付くから」
彼は肩をすくめて、車に乗り込んだ。
少し標高が上がってきたのか、ガスがまいてきた。
四時前だというのに、妙に明るい。時々見える赤茶けた山肌に、白く濃い噴煙がところどころ渦を巻いているのを時折臨むことができる。
道がいいせいか他に車がいないせいか、運転は快適だった。
だが、だんだんと頭が重くなってきた気がして、彼は右手でこめかみのあたりを押さえた。
―― 今さら、頭痛か? 力なんて全然よみがえっていないのに、頭痛だけ戻って来るなんて。
濃いガスの流れが途切れた時、少し前方右に、すっきりとした稜線がみえた。だが、すぐまた白い流れに遮られる。
後ろのバイクが合図をした。脇に寄って停止する。
バイクが運転席の横までゆっくりと来て、サトウがいったんヘルメットを脱いだ。
「前方のレストハウス、白いバンが一台見えた」
今はすでにガスに隠れて見えないが、運送会社らしいロゴがちらりと認められたという。
「青いラインと赤い文字?」
「たぶん」
会津ロジテックの可能性がある。
サトウが急に、背筋を伸ばして遠くを凝視した。
「今、音が……銃?」
「ここで待っていてくれ」
返事を待たずに、彼は車を急発進させた。
駐車場にぽつりと遺された車。白いバンの横腹には、「会津ロジテック」の赤い文字が確かに入っていた。
車は無人だった。
サンライズはやりきれない思いであたりを見回す。
音が欲しい、何かの音が、響きが。
ふと、薄くなった灰色の霧の向こうに赤い何かがひらめいた。小富士への登山道方向だ。
遠ざかっているような感じがする。彼は急いで後を追う。
ざらざらと足元の砂利が動いているが、足音を気にしている場合ではない。
小砂利の動きを感じて、後ろを向くとちょうどサトウが追いついた。長い髪をひと振りして、息を整えている。
「アナタ、速すぎよ」
「何か聴こえる?」
「一度銃声がした、それからは何も」
「こちらの足音は聴こえるかな」
「だいじょうぶみたい、行くの?」
彼は大きくうなずいて、更に先に進んだ。




