05
看護師のサトウキョウコが、腕を組んで入り口に立っている。
「お医者様の指示には従ってください」手話もてきぱきとしている。
「いやだよ、」サンライズは半ば、やけになって手話を繰り出した。
「点滴、こないだ液がもれて大変だった」
「それはごめんなさいと言いました」彼女が非番だったので、若い看護師さんがやってくれたのだが、刺し方が悪かったらしく、すぐに腫れてしまった。サトウは、自分のやったことではないので一応謝ったものの、なんとなくなおざりな感じだった。
他にも、細かいことで色々と不満はある。少しは良くなるかも、と思えているうちはよかった。だが、いくら研修指導が入って忙しくなったとは言え、聴こえないものは聴こえないのだ。
優しかったのは、最初の二日くらいだったな、この人。サンライズはこういう気の強い感じは元々嫌いではなかったが、さすがに弱っている時には、もう少し優しくしてもらいたかった。
「少しは耳が治ってくるのならば、我慢もする」面倒くさいので、ボードに書く。
「しかし全然よくなってない!」エクスクラメーションマークをもう二つ書き足した。
「職員はみんな最善を尽くしてます」サトウはむっとしたように手話で返した。
彼がろくに見ていないようだったので、ボードをひったくるようにして取り、殴り書きでこちらに付きつけた。
「アナタ、特務のリーダーなんでしょう?」
「休職中。今はリーダーじゃあない」
「特務の新人を指導中だから、立派なリーダーです」
「立派なリーダーならば、点滴で泣かないよな」はは、とわざと笑った顔をしてやる。
「私のダンナ」急に、書く手を止めたので顔をみた。泣きそうだ。ひっつめの髪が頭のてっぺんで震えている。まずい、また女性を泣かせてしまう。
「北日本支部の、特務リーダーでした。ガーネット」
聞いたことがある。北日本支部で突出した働きの男だった。
「私、作戦課で、彼のチームとよく組んでました」
彼女もかなりやり手だったのだろう。目を見れば分かる。
ある日、そんな彼女に特務課異動の話が出た。
彼女は喜んだが、ガーネットは反対した。危険すぎる、と。
「アナタにできて、私にできないことはないわ」
そう言ってやったら、にやりとして上着のポケットから小さな箱を出し、キョウコに渡した。
「だめ。結婚してほしい」小さなガーネットの入った、金の指輪だった。
「看護師に戻ってくれないか? オレがケガして戻っても、すぐ治してくれるように」
勝手な男だ。ワタシに仕事を辞めろと言ったの。
「MIROCを辞めてくれたら、一生全身全霊をかけてオマエの事を愛する」
さらっと、こんな事を口にするところも憎らしい。
しかし彼女は「わかった」と指輪を受け取ってしまったのだった。
結局、彼女はガーネットの看病なぞ全くしなくて済んだ。一年もしないうちに、任務に出た彼は、釧路湿原の中で発見された。
かなり無残な殺され方だったらしい。サンライズも聞いたことがあった。そういう話はいくら部外秘とは言え、どこにでも伝わってくるものだ。
それから間もなくして、看護師兼MIROC医療部局員として、彼女は復帰した。
「だから」ホワイトボードの汚れをていねいにぬぐってから、また手話に切り替えた。
「お願いだから希望を捨てないで」
希望を捨てないのと点滴をするのとは違う、と心の中でつぶやいたが、彼はしぶしぶと片腕を差し出した。




