少女救出
「エアロ・ト・ロスカとの国境は相変わらず……か」
クロードは露店で手に入れた簡易的な地図を握りしめて、喫茶店への帰路についていた。そして街で収集した情報を頭で整理しながら、人ごみの中を歩いていた。すれ違う人々からの視線を振りほどいて、時には財布を守りながら、一直線に行こうと努力する。が、人ごみは予想以上に難関な道だった。
「……? あれは?」
ふと、人影が見えたような気がして、クロードは駆け足になった。それは複数の影で、路地の方へ入っていったようだった。普段なら無視するところだったのだが、何だか漠然と気になって、クロードはその路地を覗いた。すると、路地の向こう側に三人の男と、一人の少女が抜けて行ったのが見えた。どうにも、少女は無理やり連れて行かれているようだった。クロードは気になってしまって、更にあとを追った。
「なんだ? まさか……」
路地を抜けると、少し開けた場所に出た。そこで先ほどの一団を発見し、路地の入口に隠れて様子を窺う。そしてすぐに小競り合いが始まり、少なくとも少女と男の集団は知り合いではないようだ。男たちが少女の手を掴んでいるのを、振り払ったり暴れたりしている。
「何度申し上げても無駄です! わたくしはあなたがたについていく気はありません!」
「強情なお嬢さんだ。腰抜けの父親とは大違いだぜ!」
「なっ……聞き捨てなりません! わたくしのことはいくら侮辱しようと甘んじて受けます。しかし、お父様への侮辱だけは、絶対に許しませんわ!」
黒い長髪を左右でくくり、黒色のドレスを纏った、不思議な雰囲気の少女は気丈にも腕を組み、尊厳を示してみせた。しかし細い足はかたかたと震え、少し焦ったように歯ぎしりをしている。その儚く気高い姿を嘲笑うかのように、男たちは下品な笑い声を漏らしながら、少女に詰め寄る。
「あんたが一緒に来てくれたら、この国を変えられるんだよ! ほら、さっさときな!」
「いたっ! お、お放しなさい! 放してっ!」
少女は激痛からか、顔を苦しそうに歪めた。右腕を無理やり掴まれて、連れていかれそうになっていた。少女一人でこの危機を逃れるのは、おそらく不可能だろう。クロードは考えていた作戦を実行するべく、詠唱を始める。
(こんな使い方、したことないから、自信はない。けど、やるしかない!)
クロードは手を振り上げた。その瞬間に、少女を中心に風の渦が起こり、周りの男たちを巻き込んでいく。当然、驚いたのはその場にいた全員だ。四人分の悲鳴が聞こえる。クロードはふっと口元に弧を描くと、その中に突入した。
風の命素術で砂塵をまきあげ、目くらましに利用しただけなのだが、予想外だったのか誰一人として身動きがとれなかった。その間に回り込んだクロードは砂塵の中に飛び込むと、少女の手を掴んでそのまま駆け出した。砂塵が晴れるころには、もうそこに少女の姿はなかった。
少し離れた位置に来てから、クロードは少女の手を離し、来た道の様子を窺う。まだ追ってきてはいないようだ。ふう、と息を吐き出す。
「あ、あの……」
「……あ、ああ、ごめん。なんか反射的に助けちゃったけど、迷惑だった?」
「い、いいえ、そんなことは! あ、ありがとうございます」
クロードは背後から声がかかったので振り返ると、少女は少し顔を赤らめて、遠慮がちに声を出した。クロードは一瞬迷惑だったのではないかと思いおそるおそる尋ねたが、少女は身振り手振りでそれを否定した。そして再びクロードをじっと見つめる。クロードは少したじろいで、視線を逸らした。
「助けていただいて、ありがとうございました。……もしかして、あなたならば。あの、あなたを見込んでお願いしたいことがあるのですが……!」
「えっ? 俺に? えっと……とりあえず、さっきの奴らが追って来るかもしれないし、場所を移さないか? 向こうにある喫茶店に、連れがいるんだ」
「そ、そうですか……ではそこで、お願いいたします」
少女は優雅にお辞儀をすると、クロードの背後にぴたりとついた。クロードは周りを確認して路地から出ると、なるべく早めに喫茶店に着くようルートを選択した。が、結局人ごみの中の方が安全だろうという結論になったので、そこに飛び込んだ。はぐれないように気をつけながら、何とか喫茶店に辿り着いたので、そのまま扉を押し開けるようにして中に入る。
「おっ、帰ってきたな!」
「お帰り、クロード! ……あれ?」
アーロン、ミネットはクロードが帰ってきたので、声をかける。ミネットは誰かが付いてきているのに気が付いたらしく、ちらりと後ろに目を向ける。その瞬間、クロードの後ろにいた少女と目が合い、何度か瞬きを繰り返す。少女もまた、ミネットと目が合って驚いたように声を漏らしている。
「……えーっと、どちらさん?」
「今から聞くところ。とりあえず、座って貰おうよ。……こっちどうぞ?」
「あ……はい、失礼いたします」
少女は促された通りにミネットの隣に座る。そしてクロードはアーロンの隣に座り、何度か咳払いをしてから、何を話そうかと思って視線を宙に迷わせる。そして思いついたように正面を向くと、切り出した。
「とりあえず……名前、聞いても?」
「あ……申し訳ありません。わたくしとしたことが、名乗っていませんでしたね。わたくしはマリオン。マリオン・レヴィストと申します」
「レヴィ……え、それって」
マリオンと名乗った少女は、優雅な動作で胸に手を当てると、頭を下げる。しかしクロードとアーロンは顔を見合わせて、マリオンのファミリーネームに驚きを示していた。何度も瞬きを繰り返し、唾を飲み込み、軽く頷きあった上で、再びマリオンと向き合う。
「もしかしてあんた、領主の……」
「はい。わたくしは現レーヴルガル領主、テーグ・レヴィストの長女です」
「マジでか……おいクロード、あんたどういう経緯でこんな大物引っ張ってきたんだよ?」
「ぶっちゃけ俺が聞きたい。貴族のお嬢さんかとは思ってたけどさ」
クロードは開いた口が塞がらないといった様子でマリオンを唖然と見つめている。レヴィストはこの街の由緒正しい領主の名前だった。それは持つだけでたいへん特別な意味を持つものだった。