10年ぶりの再会
命素…ヴィレ、と発音
光命樹…ヴィレ・バウム、と発音
昼が終わると、やがて夜はやって来る。昼間大気を満たしている光の命素が姿を消し、代わりに闇の命素がそこに現れる。大地を照らしていた太陽は月へと入れ替わり、金色の星が夜空を覆い尽くしている。三人は野宿を決め、寝る支度を整えていた。薪を集め、火を熾す光命樹のおかげで随分と明るかったが、更に火の明かりも足されて、まるでこの樹の下だけ真昼のようだった。しかし、暖をとる意味でも火は熾しておかなければならない。
食事は持ち合わせがなかったが、アーロンが携帯食料を持っていたので、それを分け合った。腹を満たすほどの両はなかったが、それでも十分に空腹を紛らわすことはできた。
「明日は早く起きて、出発しよう。早朝なら魔物もそんなに活発じゃないから」
クロードがそう提案すると、ミネットとアーロンは頷いた。できることなら魔物にあまり出会いたくないというのは、皆同じらしい。それに、アーロンは怪我を負っているので、余計に戦闘は避けたいところだった。なので、三人は少し早めに寝床につく。
「俺が見張りをやるから、二人は先に眠ってくれ」
「……悪いな。とりあえず、眠くなったら起こしてくれ。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
アーロンはクロードの気遣いを受け、先に眠ることにした。樹の方に体を向けると、そのままいびきを立てて眠り始めた。その元気そうな様子に安堵すると、クロードはどうすべきか迷っておどおどしているミネットに目を向けた。そして微笑を浮かべて、ミネットに告げる。
「俺のことは心配ないよ。だから、おやすみ」
「ありがとう、クロード。わたしのことも起こしてね? おやすみ」
「ああ……」
クロードが返事をしたのを確認すると、ミネットは樹の幹に体をもたれさせるようにして、目を閉じた。やがてすやすやと規則正しい寝息が聞こえてきて、クロードは安堵の息を吐く。今日はいろいろあったせいで、随分と疲れたような気になっていた。
(……。今日も眠れそうにないな)
クロードは月を見上げながら、そんなことを思った。昨夜一睡もしていないのにも関わらず、今日も眠れる気がしないのだ。昔からある特異な体質だった。クロードは時折、まったく眠れない夜が続く。それなのに体の方に疲れはほとんど溜まらない。眠ることによる疲労回復が体感できない現象が起こっているのだ。そのおかげで、クロードにとっては気が付けば朝、などということはザラだった。
ため息を漏らし、少し立ち上がって夜空を見上げる。美しい月の弧が淡い光を放ち、地表を僅かに照らしていた。クロードは孤児院のことを思い出して、やはり心配になる。しかし、今朝のことをふと思い出すと、それは要らぬ心配だと思い知らされた。子どもたちは自分たちで生きる努力をしていたのだ。もう、自分が心配しなくても大丈夫だ、とクロードは自分に言い聞かせるのだ。だが、それと同時にひどく胸が苦しい気がした。
やがて太陽が昇り、朝がやって来る直前に、クロードは気が付いて、アーロンとミネットを起こそうとした。アーロンはゆするとすぐに起きたが、ミネットは呼びかけても起きない。仕方がないので、クロードは彼女を起こしに樹の側までいった。
「おお、交代の時間か……? って、もう朝じゃねえか! 起こせって言っただろ!」
「おーい、ミネット、起きろ。……仕方ないだろ。気が付いたら日が昇ってたんだ」
「まったく……ちょっとは寝たんだろうな」
アーロンは少し怒って、クロードに睡眠をとったか尋ねるが、クロードは肩を竦めてはぐらかした。アーロンはやや不機嫌そうにそうか、と呟くと、その場で体を大きく伸ばした。随分顔色も良いので、今日は普通に動けそうだった。
ミネットはようやく目を覚ますと、半分開いた目をごしごしと擦る。少し涙が溜まった目で、クロードの姿を見つけてそこで止まる。
「あ……おはよう、クロード」
「ああ、おはよう。もう少ししたら出発しようと思うけど、いけそうか?」
「うん……大丈夫だよ」
少しだけ頼りない笑顔を浮かべて、ミネットは伸びをした。そして服に着いた草を払うと、立ち上がって杖を握った。それと同時にアーロンも掛け声と同時に立ち上がり、いつでも大丈夫だと言わんばかりに笑顔を浮かべる。それを見て、クロードは頷いた。
「じゃあ……行くか」
「うん!」
「ああ!」
クロードの一声で三人は歩き出す。首都レーヴルガルへ向かって、歩いていく。平原はとても静かで、魔物の姿はほとんど見当たらなかった。時折見かけた魔物は眠っているか、眠そうに同じ場所を徘徊するだけだった。
やがて朝日は空高くに昇り、霧がかった空は澄み渡り、いつも通りの朝がやってきた。そしてそれと同時に、前方に巨大な都市が見えてきた。豪華な建物が立ち並ぶ大きな都市――あれが首都レーヴルガルなのだ。三人の心は高鳴ってくる。
「あれが……首都? 大きいね」
「ああ。この国で一番の都市だ。俺も小さい頃に一回来たことがあるくらいだけど、よく覚えてるよ」
やがて門は目の前に迫る。一応警備の兵はいるが、露骨な検問等はない。それに、この門の先にある集落はトーランくらいなので、警備の兵は警戒する必要もなかった。通るときに一度頭を下げて、三人は首都の中に入った。
首都は見るよりも大きな街だった。外から見れば目立つのは大きな建物くらいだったが、入るといきなり商店街が広がっていて、早朝だと言うのに人がたくさん集まり、賑わっている。ただ、その中には世辞にも一般市民とはいえないような連中も混ざってはいるのだが、それでも平和に市場は回っているようだ。
「ここが首都! 凄いね。トーランとは全然違うんだ」
「首都は広いぜ~? あてはあるのか?」
「……。とりあえず今の状況を整理しないか? 知人が働いてる喫茶店がこの通りにあるんだ。そこへ行こう」
「わかった!」
ミネットが頷いたので、クロードは二人を案内する。料理の絵が描かれた看板を大量に通り過ぎた頃、コーヒーの看板がぶら下がった店の前で、クロードは足を止めた。そこにはル・シュリーと書かれていた。クロードがドアを開けると、一瞬で三人の鼻に心地よい香りが流れてきた。
「いらっしゃいませー!」
それと同時に、シックなスーツを纏った少女が、笑顔でそれを迎えてくれる。茶色い髪は肩の下まで伸び、すらりとした体がスーツにぴったりとはまって美しいラインを強調している。金色の瞳が印象的な、クロードと同い年くらいの少女だった。彼女は瞬きを数回すると、クロードに近づく。微妙に、クロードの方が身長が高いので、下から覗き込むようなアングルだった。
「んー? ……え、も、もしかして……クロードくんだったりする?」
「ああ、もしかしなくても俺だ。10年ぶりか。久しぶりだな、レニア」
「ああー! やっぱり! もう、久しぶりなんてもんじゃないよ! 10年っていったらだいぶだよ!」
目の前の少女はレニアというようだ。クロードの知り合いとは彼女のことだった。レニアはあたふたしながらお盆を顔の前まで持ってきて、赤面した顔を隠している。クロードは辺りを見渡す。まだ少し早かったからか、店には客がほとんどいない。お昼時が一番混むこの店は、朝が穴場だった。
「とりあえず……席、座っていいか?」
「あ、うん。こっちどうぞー」
レニアに案内され、三人は店内へと足を踏み入れる。静かな雰囲気や音楽が似合いそうな、洒落た店だった。美しいガラスで仕切られ、黒の多い茶色の木製テーブルが綺麗に並んでいる。クロードが角にある席に腰を下ろすと、隣にミネットが、向かいにアーロンが座った。するとレニアがメモを構えて、笑顔を浮かべる。
「ご注文はー?」
「ハーブティー3つ」
「かっしこまりましたー!」
注文をとると、レニアは指を立てて、ぱたぱたと駆けて行った。それを見届けると、クロードはふうっと一息ついた。そして店内を見渡して、自然に笑みがこぼれる。
「全然変わってないな……10年ぶりなのに」
「さっきの彼女、誰だよ? なあ」
「ああ……彼女はレニア。俺の、幼馴染みたいなもんかな。小さいころ、一年くらいだけどよく遊んでたんだ」
レニアの紹介を終えると同時に、本人はカップの3つ乗ったお盆を持って戻ってきた。心を癒してくれるような心地よいハーブの香りが店内に広がり、それが目の前に置かれていく。
「ハーブティーお待たせー! で、今日はどうしたの? なんかお連れさん多いけど……」
「ああ……まあ、いろいろあって。……しまった。地図を忘れてきたな。買ってくるから、ちょっと待っててくれ」
「え? ちょ、ちょちょっと」
クロードは皆の返事も聞かずに立ち上がると、駆け足で出て行ってしまった。店からいなくなったクロードの席をぽかんと見ながら、三人は苦笑を漏らした。そしてレニアは、変な空気を変えるべく、話を切り出した。
「あはは……クロードくんってば、相変わらずだよねー。昔から全然変わらないよ」
「え、何? あいつ昔からあんな奴?」
「うん。周り見ながらゴーイングマイウェイ。面白いよね」
先ほどの行為を指しているのだろう。あまりに夢中だったためか、誰かが止めるのも聞かず、飛び出して行ってしまった。クロードはやると決めたことは必ずやり通す主義らしく、度々レニアもそれを見てきたようだ。
「でも昔は……今よりもだいぶ暗い子だったかなー。全然喋んなかったし」
「へえ、意外だな。聞いたら絶対返事してくれるような律儀な奴なのにな」
「ほんとだよー。いっつも一人で外で座っててさ。あたしが話しかけても返事してくれなかったんだよねー。それでも優しいから困るんだけど」
「うん……クロードは優しいよ。わたしも何回も助けられて……」
うんうん、とレニアは笑顔で頷いて、ミネットを見る。するとミネットは少し顔を伏せてしまった。どうやら少し恥ずかしかったらしく、顔を赤らめてもじもじしている。
「まあ、待つしかないよな」
「そういうこと。おかわり、受け付けるからね」
レニアはにっこりと笑った。アーロンは苦笑しながらハーブティーを一口啜った。香りだけではなく、味もすっきりとしたものだった。