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生命の祈りを捧ぐ  作者: あげは
episode.01
11/15

消えた彼女

命素術…ヴィラスタ、と発音

「ごめんな、今日はいろいろ……」

「ううん。わたしの方こそ。クロードが来てくれなかったらって、これはさっきも言ったね。とにかく、ありがとう」


 ミネットはクロードの部屋の空きベッドに腰を下ろすと、わずかに濡れている髪を触った。あのあと、子どもたちに風呂に連行されるやいなや、彼らによって洗われてしまったのだった。そのあとでミネットはゆっくりと風呂に入り、くたびれたクロードに対して、少し余裕があるように見える。


「ミネット……どうしても、行くのか?」

「……うん。わたしは、自分を取り戻さなきゃ。そうしないと、何か大変なことが起きるような気がして……胸がざわつくの。だから、わたしは行くね。明日の朝になったら、皆に話すから」


 ミネットの決意は微塵も揺るがない。得られたはずの穏やかな日常を切り捨てても、ミネットは自分を取り戻すために、自ら渦中に飛び込もうとしている。その姿をゆっくりと、自身の青い瞳に映すと、クロードはゆっくりと目を閉じた。


「……。早く寝た方がいいぞ。今日はいろいろありすぎた」

「? うん、そうだね。じゃあクロード。お休み」

「……ああ、お休み」


 ミネットはゆっくりと布団の中に入ると、静かに目を閉じた。クロードは部屋の明かりを消すと、自らも布団の中に入って、そこで目が冴えていることに気付く。しかしミネットに背を向けると、そのまま横になってじっとしていた。


(ミネットが……村の外に? 孤児院からいなくなる? そういうことだろ。何を焦ってる? だって……いつかは、覚悟してたことじゃないか。きっといつか、記憶を取り戻したら本来いるべき場所に帰るって。それが少し早まっただけだって。なのに……)


 ぐ、と自然と体に力が入る。なぜか震えが止まらず、クロードは自らの体を押さえつけた。しかしまだ、体は震える。まるで何かに掻き立てられているかのように。


(俺は? 俺はどうすればいいんだ? 今まで通り、孤児院で暮らせばいい。今日みたいなことがあっても、皆を守れるように。……皆を守る? 本当に、これからもできるのか? そんなことが、できるのか? 最近は魔物も強くなっている。いつか、俺は誰も守れなくなるんじゃないか?)


(だけど俺には……俺にはここしかないんだ。ここしか……ない? 本当に? 俺の故郷は? そうだ、俺だって記憶がない。故郷がどこなのかも……わからない。いつかは知るべきだと思っていた……本当に?)


(違う。俺はただ、逃げていた。ここでの暮らしがあまりにも幸せすぎて、過去なんていらないと思っていた。けど、もしまだ今も……俺の両親がどこかで生きていて、俺を待っていたとしたら……それは。俺は確かにここの人間だ。孤児院の長男だ。でも……俺は、俺には両親が生きている可能性が残されている。それを切り捨ててしまって、いいのか?)


(……違う。俺は、ただミネットが心配なんだ。何とかそれらしい理由をつけて、彼女についていこうとしていた。けどそれも、きっと彼女の強さにあやかりたいなんて、情けない理由なんだ。俺は一人じゃ自分を探しにいく決意もできなかった。それをやってのけた彼女が眩しくて……)


(結局俺は、どうしたい? 俺は、俺は……)


 夜はだんだん更けていき、朝が訪れた。鳥たちは今日もかわらず楽しそうに歌を歌い、朝の陽射しは容赦なく部屋の中へ侵入してくる。クロードは結局一睡もできず、むくりと体を起こすと、ゆっくりと床の上に立ち上がる。そして天井に向かって腕を伸ばし、瞬きを数回する。ミネットはそこにいた。疲れが残っているのか、いつもは目覚めるはずの時間になったのだが、まだ目覚める気配はない。

 クロードはさっさと着替えを済ませると、ミネットを置いて先に食堂へ向かった。すると食堂ではすでに朝食の準備が整っていた。クロードは何度も瞬きをすると、厨房の方へと目をやった。いつも通りのマーサの姿に加えて、今日は青い髪も見える。


「シェリル……?」

「あ、お、おはよう! クロードくん!」

「あら、まだ寝ていてもよかったのに。今日はシェリルが手伝ってくれたから、もう大丈夫よ」


 シェリルは上機嫌に鼻歌を歌いながら、調理器具を洗っている。マーサはその横で、昼食の仕込みをしていた。どうやら今日はもう朝食の準備を手伝う必要がないようだ。クロードはやることをなくしてあっけにとられたように、近くの椅子に倒れこんだ。まだ昨日の疲れが抜けきっていないらしく、体の節々が悲鳴をあげていた。

 やがてばたばたと足音が聞こえて、子どもたちが次々に降りてきた。そしていつも通り、きゃっきゃと騒いで楽しそうにするのだった。


「クロード兄ちゃん! おはよう!」

「ああ、おはよう……今日は皆、自分で起きてきたのか」

「うん! だっていつまでもクロード兄ちゃんに頼ってばっかじゃ駄目だろ? だから昨日、皆で決めたんだ!」


 にこりと微笑む子どもたちに対して、クロードはちくりと胸が痛む。どうしてだろうか、胸の中に大きな空洞ができたような感覚に襲われて、クロードは呆然と相槌を打つことしかできなかった。


(……やっぱり、甘んじていたのは俺だったんだな。そろそろ前に進めと、皆の優しさが痛いほど突き刺さる)


 子どもたちは日に日に成長していく。目に見える形で、そして見えない形で。互いに手を差し伸べ、助け合いながら、大切なことを知り、皆で歩いていく。クロードは一緒に成長しているつもりで、一歩先で後ろを振り返っている気になっていた。しかし、自分は全く成長していないことに気が付くと、クロードは嘆く。そして、自分は前に進まなければならないという焦りが生まれていた。


(……。ミネットは……起きてるかな?)


 クロードは静かに立ち上がると、足音もなく食堂から出て行った。そして自室に戻ると、そこには誰もいなかった。整えられたベッドと、開いたままの窓が、状況を容易に理解させた。ミネットは黙って出て行ってしまったのだ。きっとそれは、誰にも迷惑をかけないように。


「ミネット……! これは?!」


 その時、机の上に、紙が置いてあったのに気が付いた。それを鷲掴みにして、クロードはあわてて目を通す。それは、予想通り、ミネットからの手紙だった。まだ慣れていないような文字で書かれていたそれは、クロードの体を内側から突き破るような衝撃を与えた。


「”こじいんのみんな、だまってでていってごめんなさい。いままでほんとうにたのしかったです。でも、わたしはいかないといけません。また、あえたらうれしいな。ほんとうにありがとう。ミネット”」


 その手紙には続きがあった。クロードは息をのみながら、その文章を読む。


「”そして、クロードへ。ほんとうにありがとう。わたしはなんにもできなかったけど、クロードはほんとうにつよいひとだよ。ずっとすごいっておもってた。これからも、こじいんでしあわせにくらしてね。あなたはひとりじゃないから、もっとまえをむいてもいいんじゃないかな。わたし、クロードのことぜったいにわすれないよ。……きおくをなくしたわたしがいうのもへんだけど……じゃあね”」


 次の瞬間、クロードはコートを着て、剣を掴むとドアを乱暴に蹴って開け、自室から飛び出した。そして食堂に辿り着くと、一斉に孤児院の住人の視線を受ける。そして皆は武装したクロードの姿を見て、驚く。


「クロード! いったいどうしたの? それに、ミネットは……?」

「マーサさん! ミネットが……いなくなりました。たぶんまだ近くにいるはずです。だから俺、ちょっと行ってきます!」

「お、落ち着いてクロード! そう……昨日随分と思い詰めた顔をしていたのは、そういうことだったのね」


 マーサは今にも走り出しそうなクロードの目の前に立ち塞がり、何とか止めようとする。しかしクロードはそれすらも待てないといった様子で走り出す。その前に更に別の影が立ち塞がる。それはシェリルだった。青い髪を振り乱し、必死に扉の前に手を伸ばし、制止する。無理やりどかす訳にもいかなくて、クロードはぐっとその場に踏みとどまる。


「……シェリル。そこをどいてくれ」

「どかない。ねえ、クロードくん。ずっとここにいてくれるって言ってたじゃない。どこにいくの?」

「……ミネットを追いかける。彼女は戦えないんだ。今、村の外へ出て魔物に襲われてしまったら、彼女は……!」

「あの子を追いかけて、それからどうするの? 戻ってきてくれるんだよね?」

「……それは」


 クロードは言葉に詰まる。確かにこのまま彼女を追いかけていけば、なんだかんだでそのまま彼女の旅に同行することになるだろう。そして長い間、この孤児院には帰って来られないだろう。シェリルはそれを恐れているのだ。クロードが孤児院を出て行って、帰ってこない結末を。だからこそ、強く引き止める。


「クロードくん、言ってたじゃない! 自分が命素術を使うのは、皆を守るためだって。クロードくんがここを出て行ったら、私たち……どうすればいいの?! 昨日みたいに、魔物に襲われたら……怖いよ、クロードくん!」

「……っ! ……」

「私だって一日も早く命素術を覚えて、皆を守れるようになりたい……でも、できないの! 私じゃできないの! だからクロードくんがいてくれないと……」

「シェリル……俺は!」


 クロードはシェリルの肩をがしっと掴むと、目線を落として顔の距離を近づけた。シェリルは呆気にとられ、顔を少し赤らめた。そして涙を浮かべた瞳でクロードを見つめた。クロードは苦しそうに言葉を紡いでいく。


「俺は……俺だって皆を守りたい。だけど俺は、ほっとけない。目の前で危険を冒そうとしている彼女を、ほっとくわけにはいかないんだ!」

「っ!」

「……行きなさい、クロード。さっき、首都から兵士の方々がいらしたわ。この村はもう大丈夫」

「マーサさん?!」

「あなたは今まで、この孤児院に縛られすぎていた……嬉しいの。あなたが自分で決めてくれて。信じて待ってるから、ちゃんとやってきなさい。自分を、探してらっしゃい」


 クロードは強く頷くと、ショックで固まっているシェリルの横をすり抜けて、孤児院から飛び出した。シェリルはその場に崩れ落ちた。そしてそこへ、マーサが優しく歩み寄る。シェリルはマーサの服を強く掴むと、そのままマーサの胸に顔を埋めて泣いた。


「ごめんね、シェリル……でも、あの子の好きにさせてあげて。さんざん今まで我慢してきたんだから……。皆、ほらご飯早く食べなさい!」


 いまいち状況を理解していない子どもたちは返事をすると、食事に戻る。


「クロード……頑張るのよ」


 そしてマーサは、子どもたちを説得する方法を必死に考えるのだった。

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