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バレンタイン三部作  作者: 針狸


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1/1

本命チョコ -カナとリホ-

 one day


 毎年、節分が終わるとしょんぼりとした気持ちになる。バレンタインという行事はひどく差別的だと私は思う。日本でのバレンタインは「女の子が男の子にチョコを贈る日」だ。


 女の子に恋をした私には、すごく辛い日。


 甘いなんてものじゃなく90%カカオチョコでも食べているかのような顔になる。もしくは、ミルクたっぷりの甘すぎるチョコを食べたとき。


「もうすぐバレンタインだね」


 もともと甘い雰囲気を放つ彼女は、この季節はもっと甘い空気を放出する。可愛いと思うのにつらくて堪らない。間違いなく恋だと思うのに、私たちはただの友達だった。


「そうだね。今年も幼馴染にあげるの?」

「うん」


 あ、私、今自分で首を絞めた。

 キリリと痛む胸をぎゅっと抑えつける。痛くない、痛くない。渋くなりそうな顔をネックウォーマーに押し付ける。


「あー、またネックウォーマーしてるー」

「一度付けるともう外して歩けないね」

「ダメだよ。女の子なんだからちゃんとマフラーしよう?」


 そう言いつつネックウォーマーに少し手を突っ込んで形を整えようとしてくれる。指先が冷たくて、自分の体が熱いことを自覚した。熱、伝わってないかな。恥ずかしくて逃げ出したくなる。


「……あったかい」

「こら、私で暖をとるな!」

「あははっ!」


 仕返しに湯たんぽにしてやると抱きつくと、嬉しそうにでも恥ずかしそうに体を捩じらせた。毎年私が彼女から貰う物は“義理”と名のつくチョコレート。

 つまりは量産品。

 こうした可愛い顔も誰にでも見せるもの。彼女の特別はいったいどんな顔なんだろう?ただでさえ可愛いのだから、私には想像もつかない。


「カナは今年も義理だけ?」

「そ。お徳用の愛大安売りバーゲンセール!」

「えー?金とるのー?」

「里穂には特別に7割引」

「10割引でお願いします」

「それタダじゃん」


 ひっどーいなんて笑ったら、次の瞬間には彼女は私を見ていなかった。


「あ、タカヒロー!」


 仮に私が、男の子で幼馴染だったらこうやって呼んでもらえたんだろうか。隣にいる友達を放り出して、名前を呼んでもらえたのかな。

 右手で自分の背中をパンと叩くと、ネックウォーマーから顔を出して里穂に顔を向けた。


「それじゃ、私は朝練に行くから」

「うん!頑張って!また試合見に行くからね」


 隣でひらひらと手を振ってくれる男の子には悪いけれど、できればあまり視界に入らないでほしい。

 そんな暗い自分は好きになってもらえないってわかってるから、なるべく頭を切り替える。走って目の前を擦り抜けるとふんわり甘い匂いがして思わず振り返ってしまった。気付いた里穂が私に声をかける。


「怪我しないでね!」


 すぐに応えられる余裕はなくて、切羽詰まった顔のまま固まってしまう。声を出すと震えそうだったから、手だけ振り上げた。私はうまく笑えていたかな?




 冬のコートはまるで拷問だと思う。……二重の意味で。

 運動が終わって熱くて仕方ないのに汗で風邪を引くといけないから上にジャージを着る。そして、体育館横で自分じゃない人を待っている友人を見ないといけない。たまに目が合うと、小さめに手を振ってくれる。嬉しいけれど、それは暇つぶしなのだと知っているから心が痛くてしょうがない。


「寒いって、痛い」

「もっと着れば?」


 部活の先輩がもう一枚ジャージをかけてくれた。いや、そういう寒さとはまたちょっと違うんだけど……まぁいっか。ジャージ二枚はさすがに汗が止まらなくて余計風邪引きそう。風邪引いたら、心配してくれるかな。


「はぁー」

「なに?カナ、一緒に居残りする?」

「居残りねぇ」


 居残り練習、なんて強制するほど強い学校でもない。それでもこうやってなんとなくやっちゃう練習って本当に何のためにやってるんだろう。そっと体育館横をチラ見する。今日はバスケ部も長引いているらしくてこの寒い中じっと想い人を待っている。携帯を触ったり、こっちの練習を見たり。


「はい、集中ー」

「ぎゃー!」


 声に視線を戻すとボールが真正面に飛んできていた。

 なんとか顔寸前でキャッチし、投げ返した。


「鬼!」

「ふはは、隙だらけだよ要君」

「カナちゃん様と呼べ!」

「意味わからん!」


 キーパー練習のはずがいつのまにかキャッチボールに。だって真正面にボールを投げてくるから嫌でもキャッチしてしまう。終わらないキャッチボールはまるでどっちつかずの私の気持ちみたいだ。ガムシャラに走り回っているのに、結局決まらない。


「ふっ、わっ」

「暴投!」

「ごめん」


 息があがって、ボールが変な方向へ。

 ……あぁ、確かにそろそろ終わってほしいと思っていたけれど、嫌な終わり方をする。キャッチボールを自分の恋に例えたのは失敗だったな、なんて自分でガッカリした。視線をあげると彼女はいなくなっていた。

 里穂は、幼馴染君と帰ったのかな。待ってたんだもん、そりゃそうだ。


「今日はこの辺でお開きにしよっか」

「はーい、エース殿」

「うむ、もっと敬え」


 私より小さなエースは胸を張った。同い年なのにその姿がすごく羨ましい。そういえば、私は胸を張って「自分はこれが凄いのだ」と言えたことがあったかな。前に里穂が嬉しそうにバスケ選手とのツーショット写真を見せてくれたことがあったっけ。そんなささやかな自慢すら無いって、なんかつらぁ……。


「ねぇ、エースー」

「名前で呼んでくれます?」

「自慢できることってある?」


 一瞬キョトンとした後、我等がエースは爽やかに笑ってくれた。


「強いて言うなら、生きていること!」


 ……さすがエース殿、言うことが違います。


「マジで?」

「大マジ!」


 楽しそうに笑うと、拾ってきたボールをこっちに投げてきた。


「カナは真面目だよね」

「まぁ、割と」

「じゃあさぁ、お願いがあるんだけど」

「はぁ?」


 パチンと軽いウインクを寄こす。軽く避けるとサラリと投げキッスされた。


「手作りチョコが欲しいな!」

「なるほど、これが噂の見栄チョコか」

「うるせぇ、寄こせ!」


 またバレンタインかぁ。正直バレンタインの話題はいつも避けてきたからいざ自分で用意ってしたことない。あれだよね、なんか、溶かして、型に流せばいいんだよね?


「ハート型の大きいヤツがいいなあ」

「それ本命的なヤツじゃん」

「そ、見栄だもん」


 気持ちも入ってないチョコならいいでしょ?なんて簡単な。


「本当にチョコが欲しいだけって……」

「バレンタインの特権!」

「もしかして誰にでも言ってる?」

「うん、そうだけど?」


 エースはジゴロでした。


「さすがに他の人からの気持ちは頂くけどね」

「うん?私は?」


 そう問いかけると、ニンマリと体育館裏を見た。そこに彼女はもういないけれど、言いたいことはわかってしまった。


「……いつから?」

「気付くでしょ、普通」


 そんなにわかりやすかった?

 これでも、里穂の友人としてすごーく真面目に接してたと思うんだけど……。


「友達が居るだけならあんなに切なそうに見つめたりしないよ」


 茶化すなよと言おうとして、やめる。エース様は思ったよりも真剣な目をしていた。


「恋する女の子って可愛いし」

「は!?」

「カナさぁ、たまにはぶりっこしようよ」


 ぶ、ぶりっこ?

 自分とは程遠い言葉にたじろぐ。私は身長が高い。キーパーとしては便利だけれど、女の子としては正直どうかという身長だ。お世辞にも自分で可愛いなんて思えない。


「可愛いのとか、諦めてるし」

「諦めてるってことは憧れてるんじゃん」


 ただの屁理屈だと言い返せない。でも可愛いじゃダメなんだ。可愛い、じゃ振り向いてもらえない。

 だって……。



「女の子は、男の子を好きになるもんでしょ」



 自分で口に出して、自分でショックを受けた。今までずっと思っていたことを改めて口に出すと一気に現実感が襲ってきた。そうだ、恋もバレンタインも男女に用意されたもので、だから嫌いで。


「そう、なのかなぁ」


 悲しそうな声にハッと顔をあげる。エースはやっぱりこっちをまっすぐに見ていて、それでいて深い目をしていた。可愛いといわれるその顔が今は誰よりも大人に見える。


「まぁ、カナがそう思ってるならそれでいいよ」


 ちょっと興が冷めたみたいな声でエースはジャージのまま鞄を抱えた。どうやらそのまま帰る気のようでサクサク歩き出した。その背中を止める言葉を私は知らない。なんとなく気分が悪くて、その日の夜は眠れなかった。

 一晩頭をグルグルさせて決めたことはただチョコレートの作り方。


 * * *


 one day


 この友人には、日ごろから感謝してもし足りないぐらいお世話になっている。


「カナちゃんがチョコレート、なんて明日は雪かな」

「予報的にはそれでも不思議はないけど」

「じゃあ特別なことでもないね」


 ふわりと笑うと、間違えかけた私の手をペチリと叩いた。


「そのお湯はまだ使っちゃいけません」

「なんで? お湯で溶かすんでしょ?」

「高温すぎちゃダメなんだよ」


 高温のほうが溶けるの早いんじゃないの?

 そう言う私に学はやれやれと説明をくれた。


「カナちゃん、溶かして固めるだけでも汚いのは嫌でしょ?」

「うん」

「高温すぎると冷えるのが早いんだよ。そうなるとまた溶かさないといけないし、ミルクとか砂糖が変質して白くなるから」


 なるほど。溶かして固めるだけでも結構大変なんだ。

 作るのは板チョコを溶かしてハート型に固めるだけのシンプルなもの。ハート型の大きいヤツって意外と型がなくて、作り方もしらなくて困っていた私に声をかけてくれたのが学。クラスメイトの学はとてもよく気が付く子で優しい。……最近いじめられてるっぽいけど大丈夫だろうか。そう聞くと学は少し顔を赤らめながら否定する。


「い、いじめられてないよ。うーん、どっちかっていうといじめさせられてるのは私のほう?」


 意味がわかりません。まぁとにかく大のお人よし。


「私も今年はしっかり作らないといけないから、カナちゃんが付き合ってくれて嬉しいよ」


 ん、学が教えてくれるならやっぱり作りきらないと。エースのためと思うと若干腹立たしいけど約束したからには作らなければ。


「……今年は?」

「さぁ、張り切って作ろう」


 チョコレート作りは意外と難航した。私は自分が思っていたより不器用みたい。


「溶かして固めるのがこんなに大変だとは……」


 チョコレートも溶かす前に刻むとかまったく知らなかった。大変だったバレンタインチョコ作りも、できてしまえばなんとなくホッとした。ラッピングも終わった箱を見て少し笑う。なんだろう、この満足感。これを見たエースの顔が目に浮かぶ。きっと、本当に作ったんだと嬉しそうにでもちょっと面白くなさそうに笑うに決まってる。

 想像するとかなり笑える。


「料理とかお菓子作りって楽しいよね」


 自然と笑顔になっていたらしい。学が優しい顔で私を見ていた。


「私は家事が結構好きでさ」

「あー、っぽい」


 納得の表情でうなづくと苦笑された。


「それってさ、別に女の子らしくなりたいとかそういうのじゃなくて、相手が喜ぶ顔が見たいからなんだろうね」


 私だけかもしれないけど、と笑う学。学には悪いけれどそういうのはよくある話だ。誰かのためにしてあげたい。大事なのはその話の信憑性で、話しているのが学であるということ。誰のためかはわからないけれど学はとても優しい顔をしている。とても自己満足や偽善だとは思えない。


「バレンタインも悪くないでしょ?」

「んー」


 いくら学が良い人でも、そこで頷いたら負けな気がして私は濁すことしかできなかった。それでもいいよと笑う学は本物のお人よしだ。


「でも、学はどんな行事も楽しむタイプだからなぁ」

「カナちゃんは元気だけど意外とイベントになじめないタイプだよね」

「反抗期なの」


 大きな子どもだねって笑われる。

 うるさいと撫でようとした手を跳ね除けるとまた反抗期だと今度は爆笑に変わった。


 * * *


 that day


 あぁ、どうしよう。

 当日になってしまった。

 この私はバレンタインにチョコレートを作ってしまったのだ。周りの友人にバレたら絶対にバカにされる。


「やっとバレンタインだね」


 ネックウォーマーの下で「うわー!」という口を作ると、なんでもない顔をして目だけ笑ってみせる。


「そうだねぇ」


 里穂からは甘い香りが漂っていて、その匂いに動悸が激しくなる。このドキドキは興奮と痛みが混ざっていて、ひどくつらい。いつも空いている右手にはチョコレートがたくさん入った袋を持っていた。

 それは私と彼女の間に距離を作っている。


「今年は何作ったの?」

「プチケーキ。チョコチップとかふんだんに使ってみました」

「へぇ、おいしそう」


 中から覗く透明な袋には可愛いサイズのカップケーキがころころと入っていた。今のおいしそうという言葉には若干の下心が含まれていることに気付いたかなぁ。


 あなたのチョコが欲しいんです、なんて言えない。


 女の子同士だから冗談半分に言えばいいのかもしれない。でも、それをするとただの友達で終わってしまいそう。


「またあとであげる」

「やった!」


 袋の端から覗いている一番綺麗なラッピング。本当はそれが欲しい、なんてワガママ?

 どう見ても本命にしか見えないそれが、一番欲しい。


「カナはやっぱりお徳用の一口チョコだけ?」


 その言葉に頷こうとして、少し止める。

 本命じゃないけど本命みたいなヤツは作った、って言ったらどう思うかな?

 嫉妬してくれないかなって思ったあとに悲しくなった。するわけ、ないじゃん。それでも淡い期待を消せないあたりが私が女の子であることを物語っている。



「……内緒」



 目線を逸らしてネックウォーマーに顔を埋めた。そのせいで里穂がどんな顔をしているかわからない。今、あの大好きな笑顔を見せられたら辛いからこれぐらいがいいんだ。


「カナ、手作り?」

「んー」


 濁して濁して、足を速める。

 あぁほら、私の一番嫌な時間がやってきた。


「里穂」


 彼の声はひどく優しい。

 私が彼女を呼ぶときはどんな声をしているんだろう。


「じゃあね」


 里穂の嬉しそうな顔を見たくなくていつも通り振り返らずに走る。

 今日はチョコレートの匂いだってわかっていたから振り返らなかった。




 わざとらしい内股を作って、我等がエースに駆け寄る。


「せんぱい!私、せんぱいに……」

「あ、そういう小芝居いらないんで」


 おい、爽やかに人の気持ちを無碍にするな。


「で、本当に作ってきたわけ?」

「あのね、人のことを散々真面目だとからかったなら作ってくるだろうって思わない?」

「思うから吹っ掛けたんだけどね」


 こいつ、マジムカつく。右手に持つチョコを押し付けてもエースはいらないよと笑うだけだ。


「いやいや、エースのために作ってきたんですけど」

「ごめん、私義理しか受け取れないんで」

「あ、今のイラっときた」


 でも本当にここで受け取ってもらえないと結構なんのために作ったのか、わかんないんですけど。エースは目ざとく私の鞄に入っていたお徳用チョコを見つけると嬉々として奪っていった。


「だからチョコならこっちあげるって」

「それ早く片付けて」

「は?」

「そろそろ見られちゃうといけないから」


 エースは体育館裏のほうを見上げた。……エースがエースたる所以はこういう部分にある。

 つまり、背中を押したい?


「いらないお世話!」

「でも、たまにはイベントを楽しもうよって学にも言われなかった?」

「……それっぽいことは言われたけどそんな直接は言われてない」

「学優しいからね」


 エースは左手でボールを投げ上げると、器用に右手でキャッチした。


「……まさか、エースってば学のことを……」

「ないな」

「えー」


 学は可愛いよ。そのせいか最近すっごくギャルに絡まれているけど……。


「エースは好きな人いないの?」

「いるよー」


 え、初耳。


「もう玉砕してるけどね」


 えぇ、初耳!

 なにそれなにそれ!

 思わずエースに詰め寄ろうとした。


「ほら、来たよ」


 言われて顔をあげる。


 あ。


 顔を逸らそうとする前に手を振られた。

 片手で。


「うぉおおお、ダメージでかいー!」

「でも手は振り返すんだ」

「嫌われたくないからね!」


 もう片方の手にはきっと朝見たラッピングチョコ。あぁ、つらい。爽やかなグラウンドにも今日は甘い匂いが漂っている。練習がなかなか始まらないのは、私達が女子ばかりだから。みんなジャージのくせに手にはオシャレみたいに可愛い小物が握られていた。


「はい、エース。あーん」

「あーん!」

「エース、こっちもあげる」

「わーい!」


 女子同士のチョコ交換会。……太るぞ。エースはここぞとばかりにみんなに甘えまくっている。どんな綺麗なラッピングでも本人からあーんを強要中。


「カナも、あーん」

「むぐぅ」


 口を閉じていたのに無理やりいれられる。甘ったるいホワイトチョコにはほんの少しだけ洋酒の匂いがした。


「キャプテン、甘い」

「ホワイトチョコはそういうものだよ。エース、もう一個あーん」

「あーん!」


 キャプテンは相変わらずエースに甘いなぁ。


「キャプテーン、練習ー」

「んー、今始めたところでみんな集中しないと思うな」


 え、なにそれ。もしかして今日って事実上の部活休み?

 バレンタインには特例が多すぎる。


「……帰っていいすか」

「もう少しバレンタインを楽しもうよ」

「それもう耳タコです」


 誰の手にも渡らなかったチョコレートが鞄に納まっているのを確認。あぁ、何を浮かれていたんだか。結局今年もいつもと同じバレンタインだ。好きな人がチョコレートを渡すのを見て嫉妬しながら、自分には関係ない行事だと顔を背ける。

 ジャージのまま鞄を背負い込む。


「はぁ」


 グローブを外すとやっぱり寒い。手を擦り合わせて階段を上る。体育館裏の前を通って里穂に話しかけようか、止めておこうか。自分の傷を広げるとわかっていても体育館裏のほうへ足が向かっている。


「里穂!」


 今日は、仕方ない。

 私はまだチョコを貰っていない。

 チョコが欲しいから、里穂に挨拶しただけだし。


「カナ、今日はもう終わりなの?」

「うん」


 ちらりと目線を下げると、朝はいっぱいに膨らんでいた紙袋がペシャンコになっている。……まじか。これ、義理もないんじゃないかな。


「えー、カナの練習見てるの好きなのになー」

「正直に暇つぶしって言ったらどうですか」

「そんなことないもん。カナの意地悪」


 今日は特別意地悪なんですぅー。里穂の鼻をぎゅっと摘んで引っ張る。そんな顔ですら可愛いんだからズルい。いつもならスラスラと会話を続けられるのに、バレンタインのむず痒さのせいで変に会話が途切れる。


「あ、そうだ。チョコ食べる?」


 慌てて鞄から、お徳用を取り出す。慌てすぎてさっき詰め込んだ手作りチョコが鞄から転がり落ちる。


「わっ」

「げっ」


 絶対割れた……。

 まぁ、もとよりエースの思惑通りに里穂へ渡すつもりはなかったけれど……。


「中身大丈夫!?」

「うーん」


 たぶん無理、かも。開けて確かめたほうが……と言われて渋々開ける。もういっそこのまま捨てたい。


「うわ」


 綺麗に真ん中で真っ二つだ。ハート型真っ二つって……。里穂も気まずそう。


「……えっと、なんかごめん」

「いや、里穂のせいじゃないし」


 むしろ自分のドジっていうか……。

 はぁ、思わず溜息を吐いてしまった。チョコレートに書いた文字はもはやぐちゃぐちゃで、表面を無造作に汚している。


「なんて書いてあったの?」


 里穂にとってはなんてことはない一言だったんだろう。私には心を抉る一言だったけど。


「内緒」


 いろんな含みを持って私の言葉が宙を舞う。


「でも、これじゃ捨てるしかないかな」

「え!?もったいない!」

「自分で食べるのも虚しいし……」


 しかもハート型ですよ、ハート型。そもそもバレンタインに日本人がチョコレートをハート型で贈るのは「私の気持ちを食べて!」の意味もあるらしい。いや、迷信というか言ってるだけとは思うけど。片付けようとして蓋に触れた手が止められる。

 思わず見上げてしまって少し驚いた。里穂ってこんなに綺麗だったっけ?


「どうせ捨てるなら、私が貰ってもいい?」


 思わず言葉を失ってしまって、息を呑んだ。


「カナ?」

「あ、うん、こんなのでいいなら……」


 落としちゃったし割れちゃってるけど。私の手を掴んでいた里穂の冷たい手が半分の欠片にのびた。細い指が私の心臓に触れるみたいに丁重にチョコレートを運ぶ。

 チョコを齧る歯までも色っぽく思えてスローモーションかと思うくらい時間の流れがゆっくりに感じた。



「ん、おいしい」



 クラクラする。

 私には糖分が多すぎる。


「里穂、ありがと」

「ごめんね、誰かにあげる予定だった、よね?」


 頭が疲れたときは糖分、というけれど。食べすぎると逆に痛くなってくる。きっと私の頭は今働いていなくて、だから正直に言ってしまったんだと思う。


「ううん、里穂が食べてくれて一番嬉しかった」


 淡く笑ってしまって、気持ちが溢れ出ているなぁなんて人事みたいに。でもそれほど溜め込んでしまっていたんだと情けなくてやっぱり笑ってしまう。もう一つの欠片を自分の口に押し込むと、味だって素朴だ。溶かして固めただけのただのチョコレート。

 私のハートにふさわしい、なんて卑屈すぎ?


「あは、初めてじゃ、こんなもんかなぁ」

「え、これ初めて?」

「ん、来年はもっとうまく作れるかな」


 ただ会話を繋げたくて呟いた言葉に里穂の声が被さる。


「来年もくれるってこと?」


 顔を逸らす。


「……気が向いたら」


 今目を合わせたら赤面してしまいそうだ。そんな期待されたら、こっちは違う期待を持ってしまいそうだよ。


「じゃあ、欲しいな」

「期待しないでよ?」

「どんなのでもいいよ」


 甘い。ふと顔を逸らした先に、エースの顔が見えた。ニヤニヤとこちらを見ている。あの口の動きはおそらく、ダッセー、だ。

 ようやく私の頭が正常に戻った気がした。


「ん、なんか申し訳ないしこっちもあげる」


 鞄から本来取り出すはずだったお徳用を渡す。


「ありがと」

「ん」


 それじゃあね、と背を向けようとすると少し弱めにジャージの袖を引かれた。


「里穂?」

「お返し、が……あー……」


 引き止めておいて、私に渡す分のプチケーキがないことに気付いたんだろう。


「ホワイトデーでいいよん」

「や、そういうんじゃなくて……」


 紙袋から出してきたのは綺麗なラッピングの特別なチョコレート。



「これ、カナにあげる」



 本命には、本命で?


 頭の中には天使と悪魔。これはチャンスだと笑う悪魔。それは他人の物だと困る天使。

 困ったことに私はどちらも選びたくなってしまう罪深き“人間”なのだ。しかも女の子。自分の欲に逆らえない。


「ありがと」


 完全に受け取ってしまえば、あの幼馴染君に一泡吹かせてやれる。でもそれをしてしまうと、一番悲しむのは……。


「今食べていい?」

「うん」


 ラッピングをなるべく綺麗に剥がして中身を見る。ハート型のプチケーキが箱の中で行儀良く並んでいた。ひとつだけ食べて口の中で舌鼓を打つ。


「おいしい!」

「ほんと!?」


 嬉しいと笑う彼女。

 そのままでいてほしいから箱を閉じる。ちゃんと中身が減っていることがバレないように中のプチケーキは整頓しておいた。


「あれ、もうお終い?」

「うん」


 胸がキリキリと痛む。本当は全部食べてしまいたい。いつもは背けてしまう顔を必死に我慢して、まっすぐ向ける。自分の中でできる精一杯の優しい笑顔。


「それじゃ」


 毎朝やっていることと同じで振り返らない。でも今日の私は一味違う。チョコを作ったことで今年は去年と違って、来年こそはと思ってる。来年こそは自分でおいしいものを作ってあの特別なハート型を貰うんだ。

 やっと前向きに走り出せたんだ。



 身長の高いうえに振り返らない私からは里穂の表情が見えないことが多い。

 だから、私は気付いていなかった。



 本当は全部あなたに食べて欲しかったんだけどな、と私と同じ辛そうな顔をしている彼女に。


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