落ちこぼれ令嬢はレベルアップで成り上がる 〜婚約破棄の瞬間、婚約者を殴ったらレベルアップしました〜
――ピコンッ!
魔法学園の大講堂に、ひとつだけ場違いな音が鳴った。石造りの天井に反響したざわめきの中でも、その音だけは妙にくっきりしていた。
(……え? 今の、聞こえたの私だけ?)
没落男爵家の令嬢、リシェル・ヴァレールは壇上の前に立たされていた。
周囲から刺さる視線は冷たく、刺々しい。
でも、誰一人としてあの音に気づいてる様子はない。
その代わりに……
「平均以下」
「落ちこぼれ」
「没落した男爵令嬢」
ひそひそとリシェルの悪口が飛び交っていた。
(聞こえてるのよ、まったく……)
リシェルは指先をぎゅっと握った。
魔法適性も魔力量も、確かに平均より少し下。実技試験も座学も、目立つほどの才能はない。だけど“努力しても意味がない”と言われるほどでもなかったはずだ。
それが没落してから、扱いが変わった。
笑われる。避けられる。リシェルが何をしても没落したから、と馬鹿にされるようになった。
正面には少年カイエル・グランツが、堂々と胸を張って立っていた。
「リシェル・ヴァレール。君は本当に無能だな、魔法も、座学も、何を取っても上達の気配がない」
伯爵家の嫡男。学園でも上位の成績。模擬戦でも勝ち星を重ねる優等生。
そして、彼はヴァレール男爵家が没落する前から決まっていた、リシェルの婚約者でもあった。
(ふん、相変わらず嫌な奴ね)
その隣には、同じ学年の令嬢が一人いた。
距離が近い。肩が触れても離れない様子に、二人の関係性は一目瞭然だった。
(まったく! こんなブサイクよりも、私だってイケメン彼氏がほしいわ!)
悲しいより先に、すごくムカついた。
何が悲しくてこんな男と婚約をしているのか。自分でも分からないと言うのに。
その瞬間、リシェルの視界に文字が浮かんだ。
【スキル獲得クエスト発生】
【内容:制限時間内にカイエル・グランツの鼻にパンチしろ】
【制限時間:婚約破棄の宣言が終わるまで】
(……は、え? なに? パンチ?)
目を瞬いても消えない。
周囲の誰も、目の前のカイエルすらこの文字の出現に反応を示さない。
ということは、これが見えているのはリシェルだけらしい。
(パンチって……拳で? 今ここで? いや、でも……なんで?)
混乱している間に、カイエルが話を進めていた。
「おーい、聞いているのか、落ちこぼれ」
ざわっと笑いが起きた。
隣の令嬢が口元を押さえて笑う。
だが、目の前の文字と対峙しているリシェルにとって、そんな嘲笑はどうでもよかった。
「魔法適性は平均以下。実技も平均以下。君の面倒を見るのは、もう疲れた」
カイエルは最後の言葉を言い切るために、一拍置いた。
その宣言が来ると察したリシェルは、一歩前へ出た。
「今日でお前との婚約を破棄す――」
迷いはない。恥ずかしいとか、令嬢らしくないとか、そういうのは後回し。
今、こいつの顔がムカつく。鼻もちょうど良い高さにある。それだけ。
――ゴン。
鈍い音がして、カイエルの顔が崩れた。
「ぶへっ!」
情けない声。鼻を押さえてよろめく体。鼻から赤い液体が床に垂れた。
大講堂が一瞬で静まり返った。
(……やっちゃった。でも、言い切らせなかったよね? 私、すごい)
自分で自分にツッコミを入れそうになった瞬間、視界に文字が浮かぶ。
【クエスト完了】
【報酬:スキル『レベルアップ』獲得】
【レベル上昇:Lv1 → Lv2】
【追加報酬:スキル『自動反撃』獲得】
(え、えええ……なにこれ……増えてる……)
胸の奥が熱くなる。
心なしか、体が軽くなったような感覚があった。
と、まだ話は終わっていなかった。
鼻を押さえたカイエルが怒鳴る。
「き、貴様……っ!」
隣の令嬢が、すぐにカイエルへ身体を寄せた。ハンカチを当てる距離が近すぎる。手つきも慣れすぎている。
「カイエル様! 大丈夫ですの!?」
「本当に大丈夫?」
「てめぇが殴ったんだろうが!」
リシェルは拳を下ろした。指先がじんじんする。
でも、講堂の空気がさっきまでと違う方向に揺れているのが分かった。
(……こわ)
当然、そのまま済むはずがなかった。
教官が壇上へ上がり、冷たい声で言った。
「リシェル・ヴァレール。説明しなさい。今の行為は学園規則違反です」
「は、はい」
(まぁそりゃ怒られるよね)
リシェルは素直に頷いた。
視界の下では、カイエルは鼻を押さえたまま、涙目で叫んでいた。
「こいつは危険だ! さっさと退学に――」
カイエルが立ち上がって、勢いのままリシェルの腕を掴もうとした瞬間だった。
リシェルの身体が、その手を勝手に避けた。
掴まれる前に、手首を払う。
軽く、でも確実に。
その動作に、カイエルがよろけて尻もちをついた。二度目の「ぶへっ!」みたいな声を漏らす。
自分の行動なのに、リシェルが一番驚いていた。
(なに今の!? 私、何したの!?)
教官の目が細くなった。
「……今のは、魔法ですか?」
カイエルの取り巻きがざわつく。
誰もが見ていた。彼は“優秀な伯爵家の嫡男”なのに、二回もみっともなく転んだのだ。
結局、処分は「厳重注意」と「特別指導」になった。
理由は簡単だ。公の場でリシェルを侮辱し、婚約破棄を“見世物”にしたのはカイエルの側で、学園としても肯定はできなかったらしい。
とはいえ、リシェルは突然鼻を殴る危険人物、として学園内で噂されるようになった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
断罪劇のあと、リシェルの暮らしは大きく変わった。
昼は授業。放課後は特別指導名目で訓練場へ連れていかれる。
教官はリシェルの魔力量、適性、詠唱の癖、反射速度を淡々と測る。
そして、リシェル自身も気づき始めた。
昨日できなかった動きが、今日は少しだけできる。
詠唱が詰まらないし、魔力が途中で途切れない。
何より、前よりも魔法が簡単に打てるようになった。
(これ……私、成長してる?)
怖いくらいに手応えがあった。
だからリシェルは、自分で自分を試した。
朝、誰もいない訓練場で基礎詠唱を百回繰り返す。
昼休みに魔力制御の瞑想をする。
夜は寮の部屋で、魔法陣の描写を何度もなぞる。
すると、ある日。
――ピコンッ!
また、あの音が鳴った。
リシェルの視界の端に文字が浮かんだ。
【レベル上昇:Lv2 → Lv3】
【追加報酬:スキル『無詠唱発動』獲得】
(また!? 今度は何……)
内容は短かった。けれど意味は分かった。
レベルが上がったらしい。
リシェルは思わず笑いそうになる。
翌日の測定で魔力値が少し上がり、教官が眉を上げた。
「……伸び方が、普通ではないな」
リシェルは肩をすくめた。
「私もそう思います」
レベルが3に上がったリシェルは、その段階で熟練の魔法使いでも出来る者は少ないとされる無詠唱での魔法発動が可能になっていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
成績は、著しい成長を見せた。
次の週には“平均”に並び、半月後には“上位”へ入った。
周囲の反応も変わる。
最初は「まぐれだ」「教官が贔屓している」「不正だ」なんて声が多かった。
でも今は、リシェルについて誰も何も言わなくなった。
模擬戦で、それが決定的になった。
リシェルは派手な魔法は使わない。
基礎の火球、風刃、簡易障壁。地味な構成だ。だが、全てが無詠唱で発動が可能となっていた。
しかも、相手が攻撃すると、なぜかその攻撃がうまく避けられる。
剣が当たる寸前で弾かれ、魔法が触れた瞬間に逸れる。リシェルはほとんど動かず、淡々と距離を取るだけ。
――自動反撃。
本人が意識しなくても、危険を弾く。
まるで未来を予知しているような、不気味さがあった。
「なんで当たらないんだよ!」
叫ぶ相手に、リシェルは小さく首を傾げる。
(原理は私もよく分からないんだけどね)
その困った顔が、逆に相手を追い詰めた。
そして、婚約破棄の件以来話していなかったカイエルが、ついに絡んできた。
次は、リシェルに模擬戦を挑んできた。
伯爵家の権威を背負った挑戦だ。周囲も騒ぎ、学園内では話題になった。
逃げる意味もないリシェルは戦うことにした。
結果は――すごく一方的だった。
カイエルは優秀だ。魔法の威力も制御も良い。
けれど、リシェルの前では“当たらない”。当たらないまま焦り、焦ったところに隙が生まれる。
最後、リシェルの火球がカイエルの足元を正確に穿ち、床が焦げた。
「……降参する?」
カイエルは歯噛みして、拳を震わせた。
そして周囲は見た。彼の隣にいつもいる“あの令嬢”が、真っ青な顔でカイエルの袖を掴んでいた。
「お幸せに」
リシェルは内心でため息をついた。
隠す気がないなら、最初から堂々としていればいいのに、と。
結局、カイエルは“優秀な伯爵家の嫡男”のままではいられなくなった。
順位は落ち、教官の評価も下がり、何より“みっともない姿を何度も晒した”ことで周囲の見る目が変わった。
(私はもう、あの壇上にいた頃の私じゃない)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
季節が一つ巡る頃には、掲示板の成績表の一番上に、リシェルの名前があった。
「……嘘でしょ」
「本当に?」
「落ちこぼれだったよね……」
ひそひそ声は消えない。
けれど、日が経つにつれ、その内容も変化を見せた。
「怖いよ」
「目、合わさないほうがいいってば」
「だって、リシェルって、婚約者だったあの伯爵家の子の鼻を……」
誰も最後まで言い切らない。言い切ったら、自分が殴られる気がするから。
ある朝、廊下でリシェルが歩いていると、生徒たちがさっと道を空けた。
無意識に目が合った相手が、びくっと肩を揺らす。
リシェルは慌てた。
(私、なにもしてないよ!?)
だから、いつも通りに挨拶した。
「おはようございます」
丁寧な声。丁寧な笑顔。
それだけで相手は背筋を伸ばし、逃げるように去っていく。
リシェルは一人になった廊下で、小さく息を吐いた。
(……怖がらせたいわけじゃないんだけど)
そう思ってから、ほんの少しだけ口元が緩む。
(でも……うん。悪くないかも)
遠くの掲示板の前で、カイエルが誰かと話しているのが見えた。
こちらを見て、目を逸らす。隣の令嬢も同じように逸らす。
かつて壇上で、リシェルを“終わらせる”つもりだった二人だ。
リシェルは立ち止まらない。
もう、彼らのために足を止める必要はないから。
ただ、歩きながら思う。
――もっともっと強くならきゃ。
リシェルは、今日も学園の中心を歩いていく。
そんなリシェルが、没落したと言われるヴァレール男爵家を立て直すのも、時間の問題であった。
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