第8話 騎士団の弟子入り志願――影と光の狭間で
夜の庭に、影がひとつ潜んでいた。
窓越しに見たその輪郭は、野豚のように低くもなく、村人のように素直でもない。
肩の動きが鋭い。剣を帯びている――わたくしはそう直感した。
「先生?」
背後からロイの声。わたくしは指を立て、静かにさせた。
戸口から外へ出る。月明かりに濡れた柵の影が揺れ、その間に人の気配が溶けている。
「王都から来たのかしら。……こんな田舎に、わざわざ」
返事はない。次の瞬間、影が飛び込んできた。
短剣の煌めき。わたくしは庭の石を蹴り、辛味実の袋を破って足元に撒いた。刺激臭に相手が一瞬鼻を抑える。
その隙に、わたくしは木の枝を振り下ろした。剣ではない。けれど“振る”という動作は体が覚えている。
短剣と枝がぶつかり、甲高い音を立てた。
――本気の暗殺者ではない。動きに迷いがある。
彼は数合交わしたあと、息を乱し、ついに武器を落とした。
「……っ、やっぱり……かなわない」
月明かりに照らされた顔は、思いのほか若かった。二十歳にも届かぬだろう。
震える手を握りしめ、彼は頭を下げた。
「お願いします! 俺を……弟子にしてください!」
翌朝。
広場の井戸端に、昨日の少年が立っていた。泥まみれの姿を洗い流し、服を整えると、確かに騎士の見習いに見えなくもない。
彼の名はライナー。王都の騎士団の末席にいたが、事情があって追われたのだという。
「事情、とは?」
ゲオルグが腕を組んで睨む。
「俺は……上官の命令に背きました。村を焼けと命じられて……できなかった。だから処罰を受け、逃げました」
村人たちはざわめいた。
ライナーは膝をつき、わたくしに深く頭を下げた。
「エレナ様。あの夜、影から飛び込んだのは、試すためでした。本当にあなたが噂の“谷を守る令嬢”なのか。俺は……剣を振るしか取り柄がない。弟子にしてください」
わたくしは深呼吸をし、庭の方を振り返った。
ミントの葉が風に鳴っている。昨日の“どうぞ”市場の賑やかさがまだ空気に残っている。
わたくしの生活は、畑と茶と子どもたちと、そして谷を守る仲間でできている。ここに“弟子”を迎えるべきか――。
「剣を学ぶことよりも、畑を耕すことを先に学びなさい。それができるなら、考えましょう」
「……はい!」
ライナーの声は震えていたが、そこに確かに光があった。
昼。
畑に出たライナーは、鍬を持つとすぐに腰を痛めた。剣と鍬は同じ“振る”でもまったく違う。
ロイや子どもたちが笑いながら手伝い、トマが「腰を使え!」と茶化す。
わたくしは彼を見守りながら、弟子とは師を映す鏡でもあると気づいた。
市場の“どうぞ”が広まるように、鍬の振り方も伝わる。
弟子を持つことは、谷の暮らしを外に運ぶことでもあるのだ。
しかし夜。
再び影が忍び寄った。
今度は一人ではない。二人。動きは鋭く、息も乱れない。
刺客。王都の誰かがまだ“悪役令嬢”を必要としているのだ。
「ライナー!」
「はい!」
若い声が答え、彼は剣を抜いた。
わたくしは庭の香草を掴み、火に投げ込む。強い香りの煙が広がり、刺客の動きを鈍らせる。
ライナーの剣が一閃し、相手の腕をはじく。致命傷は与えない。彼は村を焼けなかった少年だ。殺すよりも“退ける”ことを選ぶ。
やがて刺客たちは退き、闇に消えた。
ライナーは肩で息をしながら振り返った。
「俺は……ここで剣を振りたい。人を殺すためじゃなく、守るために」
「ならば、あなたはもう弟子よ」
わたくしはそう告げ、胸の奥で静かに頷いた。
弟子を持つことは、谷に新しい光を迎えること。
だが同時に、影もまた深くなるのだろう。
(※次回:第9話「村祭りの夜――炎と笑顔と影」へ続く)




