第16話 聖女の影――再演を望む者たち
王都の空気は、静けさよりも空虚さに近かった。
聖女の偽りが暴かれたあの日から、祭壇の前に並ぶ人々の列は消え、祈りの声は途絶えている。
けれど沈黙は、決して平和ではない。沈黙の裏には、再び「象徴」を求める焦燥が燃えていた。
翌朝、宿の扉を叩く音で目を覚ました。
扉を開けると、イザベルが息を切らして立っていた。外套の裾は街の泥をはねている。
「エレナ……大変よ。聖堂の奥で“再演”の準備が始まっている。
聖女をもう一度舞台に戻すために、偽りを“奇跡”として仕立て直すつもりなの」
わたくしは眉を寄せた。
「偽りを、再び光に見せかける……?」
イザベルは頷いた。
「失墜した聖女を庇えば、人々は混乱から逃げ込む場所を得る。だがその舞台には“悪役”が必要になる。――つまり、あなた」
昼。
王宮前の広場では、聖堂の従者たちが大掛かりな祭壇を組み立てていた。
白い布、黄金の燭台、香の煙。まるで失墜などなかったかのように、華やかな儀式の準備が進む。
群衆は戸惑いながらも集まり始め、ざわめきが渦を巻いていた。
その端で、監察院のファルクが外套を翻して立っていた。
「……彼らは聖女を“再演”させる。だが群衆は納得しない。象徴を支えるために、お前を悪役にするだろう」
「それで、秩序は戻るのですか?」
「秩序とは、形を整えることだ。中身は問わない」
その冷徹な言葉に、わたくしは深く息を吐いた。
夜。
谷から共に来た仲間たちと宿の一室に集まった。
ライナーが机を叩き、苛立ちを隠さず言う。
「先生を悪役に仕立てるなんて許せない。俺が剣で――」
だがカイが首を振った。
「剣で影を斬っても、影はまた映るだけだ。……谷で学んだろう、“どうぞ”を」
トマが笑みを作りながら干し果実を配る。
「だったら市場を開けばいいさ。聖女の再演と同じ時間に、“どうぞ市場”を都の真ん中でやる。どっちが本物か、人々に選ばせりゃいい」
その言葉に、わたくしは頷いた。
「市場は仮面ではなく顔を見せる場。象徴より、順番を渡す場。――明日、広場に市場を開きましょう」
翌日。
聖堂の祭壇が光と香で飾られるその時、広場の片隅で机を並べ、谷で使っていた札を配った。
「どうぞ」「ありがとう」と声を交わす小さな列。
最初は子どもと老人だけだったが、やがて人々が流れてきた。
「どちらが秩序をもたらすのか?」
「奇跡より、“どうぞ”のほうが分かりやすい」
声が重なり、聖堂の祭壇よりも、市場の列に人が集まり始めた。
聖女の従者が壇上から叫んだ。
「悪役令嬢が人々を惑わせている!」
その声に群衆がざわつく。
わたくしは壇上へ歩み寄り、群衆の前に札を掲げた。
「どうぞ、受け取ってください」
一人の少年が列から走り出て、札を受け取った。
「ありがとう!」
その声が広場全体に響き渡る。
群衆の視線が揺れた。仮面より、言葉の軽さに救いを見たのだ。
夜。
宿の机で帳面を開き、新しい一行を記す。
十八、影は仮面で消せない。だが“どうぞ”で薄められる。
窓の外で、聖堂の灯が弱々しく揺れていた。
再演を望む者たちはまだ諦めないだろう。
けれど谷の札は、確かに都の広場で光を持った。
(※次回:第17話「陰謀の深層――監察院の選択」へ続く)




