第15話 広場の裁き――悪役令嬢か、谷の先生か
王都の広場には、かつて何度も立ったことがある。
舞踏会の演説で、社交の夜会で、あるいは婚約者として隣に並んで。
だが今朝わたくしが立っているのは、かつての優雅な壇上ではなく、群衆の視線に囲まれた石畳の中央だった。
「悪役令嬢だ!」
「聖女を追い詰めた女だ!」
「いや、谷で人々を守っていると聞いたぞ!」
声は入り混じり、石畳に投げつけられる。
監察院の役人ファルクが前に出る。冷たい声で告げる。
「エレナ・グランディール。王都の均衡は崩れた。聖女の奇跡は偽りとされ、人々は象徴を求めている。
汝は“悪役”として断罪されるか、それとも“新たな秩序”の象徴となるか。ここで答えよ」
広場に沈黙が落ちる。
イザベルが群衆の端で外套を抱き、目を逸らさずに見ている。
ライナーとカイは人垣の中で手を剣に添え、トマは軽口を飲み込み、ただ頷いた。
わたくしは深呼吸し、懐から一枚の札を取り出した。
谷で作った“どうぞ”の札。裏には数字、表にはただ一言、“どうぞ”。
「これが、わたくしの答えです」
札を高く掲げ、群衆に示す。
ざわめきが広がり、人々が顔を見合わせる。
「王都が必要とするのは悪役ではありません。順番です。
“どうぞ”と“ありがとう”。それだけが秩序を軽くします。
谷で、火も獣も、怒りさえも、この札で和らぎました。王都でも同じです」
わたくしは群衆の最前列に立つ老婆に歩み寄り、札を差し出す。
「どうぞ」
老婆は戸惑いながらも受け取り、小さな声で返した。
「……ありがとう」
その声が波紋のように広がり、次々と「ありがとう」が連鎖する。
ファルクの眉が動いた。
「……秩序を言葉で築けるとでも?」
「ええ。監視が秩序を守るのなら、“どうぞ”はそれを始める挨拶です。
監察院が見張る前に、人々が互いに順番を譲り合えば、火も刃も軽くなる」
群衆の一人が叫んだ。
「悪役じゃない! 先生だ!」
それを皮切りに、「先生!」「谷の先生だ!」という声が広場を埋めた。
監察院は決断を迫られた。
ファルクは長く沈黙し、やがて石畳に視線を落とした。
「……断罪は見送る。だが、監視は続ける。忘れるな、グランディール。
お前が“先生”であり続ける限り、都は救われる。だが仮面を外せば――」
「仮面は受け取りません。顔は一つで足ります」
ファルクは無言で外套を翻し、役人たちを連れて去った。
群衆は散り、広場に残ったのは仲間たちだけだった。
イザベルが近寄り、深く息を吐いた。
「あなた、また人の目を塗り替えたわね。羨望と嫉妬が、今は尊敬に変わってる」
「変わったのは、わたくしではなく“どうぞ”ですわ」
ロイが人混みから飛び出してきて、胸を張った。
「先生、俺も言ったよ! “どうぞ”って!」
笑い声が広場に弾み、王都の空に久しくなかった柔らかな風が流れた。
夜。
宿の机で帳面を開き、新しい一行を記す。
十七、裁きもまた“どうぞ”で渡せる。受けるのは人、返すのは未来。
灯を吹き消すと、窓の外で都の灯火が揺れていた。
その光の奥にまだ陰謀が潜んでいることは分かっている。
けれど今夜だけは――“先生”という呼び名を胸で温めて眠ろう。
(※次回:第16話「聖女の影――再演を望む者たち」へ続く)




