第1話 断罪と解放
大広間のシャンデリアが、ひときわ強く光を放っていた。
煌びやかな夜会の中央に立たされたわたくしの耳に届いたのは、婚約者である第一王子の声だった。
「――エレナ・グランディール。お前との婚約を、この場をもって破棄する!」
一瞬、空気が凍りつく。楽団の演奏も途切れ、舞踏会は不自然な静寂に包まれた。
貴族たちは顔を見合わせ、やがて小声で囁き始める。
「やはり……」
「王子はヒロインを選ぶのね」
「悪役令嬢の終焉だわ」
嘲笑と哀れみが入り混じる視線。
それが、わたくし――エレナに降りかかった。
だが、わたくしは泣きもしなければ、取り乱しもしなかった。
むしろ、喉の奥に溜まっていた石のようなものが、すっと溶けるように消えていく感覚がした。
「……そうですか」
わたくしは微笑んだ。
「殿下がそうお望みなら、受け入れましょう。
長きにわたり婚約者としての務めを果たせましたこと、誇りに思います」
会場にざわめきが走る。
誰もが想像したはずだ。
悪役令嬢は、逆上して涙ながらにヒロインを罵るだろうと。
けれど、わたくしは微塵もそんな気はなかった。
だって、これは解放なのだから。
殿下の隣に立つのは、侯爵令嬢リリィ。
純白のドレスを纏った彼女は、まるで物語の聖女のようだ。
殿下は彼女の手を握り、誇らしげに宣言する。
「これからはリリィと共に歩んでいく。皆も祝福してくれ」
拍手が広がる。
わたくしの時代は、ここで終わった。
……けれど。
わたくしはすでに決めていたのだ。
悪役令嬢として終わるのではなく、一人の人間として生き直すことを。
夜会を辞したわたくしは、静かな廊下を歩いた。
窓から覗く月は丸く、妙に清らかに輝いている。
屋敷に戻り、侍女たちに簡単な指示を出す。
衣装も宝飾品もほとんどは置いていく。必要最低限の荷だけを馬車に積み、明日の朝には出立する。
「お嬢様、本当に王都を離れるのですか」
「ええ。もう、ここにわたくしの居場所はありませんから」
侍女の瞳が潤む。
わたくしは微笑んで、そっと彼女の手を握った。
「ありがとう。これからは自分の人生を歩みます。心配しないで」
翌朝。
馬車の揺れに身を任せながら、わたくしは深呼吸をした。
王都の石畳が遠ざかり、代わりに広がるのは草原と森。
幼い頃から、王城の檻に閉じ込められて生きてきた。
礼儀作法も舞踏も、殿下の隣に立つためだけに学んだ。
そのすべてが無意味に思える瞬間もあった。
でも今は違う。
何もかも置いてきたからこそ、初めて自由に息ができる。
「……これから、どうなるのかしら」
未来は真っ白。
けれど、その白紙を彩るのはもうわたくし自身だ。
ふと、指先が震える。
恐怖ではない。
むしろ、わくわくする期待感だった。
こうして――悪役令嬢エレナの第二の人生が、静かに幕を開けた。