遅参
八回の守備に就く直前。さすがにピティエは緊張していた。額には汗が浮かび、少し息が弾んでいる。
「緊張、するよな?」
「え?」
なのでオレは敢えて言葉にしてやった。彼女と目は合わせず、真っ直ぐマウンドだけを見詰めながら。
「…………はい」
横目で確認すると、瞳を揺らして顔を俯けていた。それでいい。
自分の感情を口にすることで、ストレスを軽減させる。少しでも、投げることに集中させるために。
「オレさ、信じるって言葉、好きじゃねぇんだよな」
「? はい……」
不思議そうに目を丸くして首をかしげるピティエ。うん、カワイイ。
「信じてないから、わざわざ”信じてる”って言葉を使うんだ。本当に信じてるなら、そもそもそんな言葉使わない……」
別に、不確かなものを信じようとする事、それ自体を否定するつもりはない。
ただ、そこにある種の欺瞞を感じる、というだけの話。
「だから、ピティエ。お前に信じてるなんて言葉はわざわざ使わない。お前は、たとえ相手がこの学校の中軸であっても三振にできる力がある。それが事実だと、オレが保証する」
オレはここで改めて、彼女と見詰め合った。
「フレーヌさま……」
そう、彼女は悪くない。現状は、オレがピティエの実力を引き出し切れていないだけ。
「だから、やろうぜ」
セレスティーナから三振を奪う。試合の分水嶺に差し掛かって訪れた、その難事を。
「はい……っ」
ちょっと涙ぐんでる。相変わらず表情がコロコロと、忙しそうだ。可愛い奴め。
「ま。ボクも普通に守備してるんだけどね?」
「ええ、まったく」
「そうだよ~?」
「お前ら……」
気さくに声をかけてくれる仲間たちが、今はとても頼もしい。
「さあ、行こうみんな。この回、しっかり守り切るよ!」
『ハイッ!』
キャプテンが発破をかけ、オレたちは全力で答えた。
最初の相手はラストバッターから。
(油断の一つでもしてくれてたら、やりやすかったんだがな……)
追加点を狙っているのは明白。こっちも、セレスティーナの前に走者を出したくない。
(なら、まずはフォークといくか)
内角ギリギリでベースの奥側。そのサインにピティエが頷いた。踏み込む際に腕をしならせ、最後まで球を隠したまま投げた。球が浮き上がる。が、その上がり方が普段と違う。
(ちょ、マジかよっ ここへ来て――)
すっぽ抜けを、やらかすなんて。
内角を漂う棒球をデボラは容赦なく強振。オレが叫ぶよりも早く三塁線を疾走した。
「ほッ!」
三塁線上にペリエが横っ飛び。身体を捻って受け身を取りながら着地した。
判定は――
「アウトッ!」
「っしゃあああああああああああああッッ!!」
サード強襲の凶悪な弾丸ライナーは、ペリエがちゃんと捕り切った。
そのことにオレは、全身で喜びを噛みしめた。
「よくやった、ペリエ!」
「ナイスキャッチー」
「ナイスファインプレー!」
「えへへ♪ 練習の成果が出たよ~♪」
値千金の好プレーに守備陣が沸き立つ中、すぐさまオレはピティエの下へと駆け寄った。再び手を出してもらい、具合を確認する。
握力にはまだ余力があった。それでも、一抹の不安は拭えない。
それに肩で息をしている以上、体力も万全とは言い難い。多分、疲労も今、ピークに達していることだろう。
「もう、フォークは投げらんねぇな……」
「……っ すいません」
俯ける顔は本当に残念そうだ。
だが無理もない。何しろ、ユニコーン寮のバッティングに懸ける執念は尋常じゃない。
これまで散々、風を唸らせる強烈なスイングに晒され続けたのだ。無意識下に蓄積していた疲労が、この終盤になって一気に噴出したのだ。
「謝ることは一個も無い。むしろ、まだ勝負ができるのはお前のお陰だよ。ピティエ」
「――――ッ!」
微笑むオレの言葉に彼女は涙を浮かべた。
再びブリュムがタイムを取り、外野も全員マウンドに集合した。
これは仕方ない。今は少しでも休憩を取って体力を温存しないと。
「大丈夫?」
ミニュイが聞きにくいことを率先して尋ねる。フォークは無理だと報告し、あらかじめ配球の候補から外しておく。その方が迷わなくて済む。
「本当にそれで大丈夫なの?」
怪訝な顔を浮かべるリュクセラが聞いて来るので、オレは真剣な表情で首を縦に振った。
「勝算は、あるんだな?」
「あります。セレスティーナは五球で仕留めます」
確認を取るブリュムに断言したオレは、仲間からの視線を一身に受けた。
もちろん、根拠ならある。でなければこんな大口、わざわざ叩いたりなんかしない。
「チェンジアップを主軸に配球を組み直せば、体力は必ず最後まで持ちます」
OKボールは握り込まない球種なので、指の力を酷使しない。それに、ピティエの投げ方ならスローカーブや高速スライダーもそこまで指に負担がかからない。
問題はシュートくらいだが、恐らくは大丈夫。
「初球はチェンジアップで、失投を偽装します」
巧く行けば、これで詰まらせゴロでアウトが一つ取れる。オレは底意地の悪い笑みを浮かべた。
「なら、行くしかないんじゃない?」
ラシーヌの後押しを受け、あとは満場一致で解散となった。
「さあて。そろそろ引導を渡して差し上げますわ」
歌うように宣言するセレスティーナ。相変わらず自信に満ち溢れ、泰然としている。
「へっ まだゲームセットにゃあ、気が早いぜ」
「へえ…………?」
オレが軽口で応じると、肉食獣のような獰猛な笑みを向けて来た。背中に噴き出す脂汗。恐怖で背筋が凍った。
ただ、こんな恐怖をピティエはずっと我慢して来たんだなと、素直にそう感じた。
だから、怖くなかった。
審判が「プレイ」と号令を掛けたので、早速サインを送る。内角寄りの真ん中から、内角低めギリギリに沈むコース。これなら完璧に偽装できる。
ピティエもゆっくりと頷き、振りかぶって投げ始めた。そして――
(よしっ 食い付いた!)
緩い球へ対応するようにスイングを開始。しかし、打席手前での沈み込む軌道には苦慮していた。
上からバットを叩き付けられた球は、マウンドに突き刺さってから大きく跳ね上がる。
(いや、違う……っ)
苦悶の表情で倒れ込むピティエ。オレは彼女の下へ全力疾走。地を這うような疾駆から思い切り跳躍。蒼月流抜刀術『弓張月』。
「ファースト!」
声を張り上げ、空中で全力投球。結果はセーフ。最悪だった。
「大丈夫かっ⁉」
オレは慌てて駆け寄った。踏み込んだ右足の爪先を抑え込んで蹲るピティエ。その様子が既に痛々しかった。
「当たった、のか…………?」
自分の身体から血の気が引くのが解る。
「申し訳、ございません……っ」
涙声のピティエに何も言えなくなる。それでも、絞り出さなければいけない言葉がある。
「いや。ピティエのせいじゃない……」
とても頼りない声音だった。自分でも、この状況にショックを受けているのが分かった。
これでは登板できそうにない。しかも、ベンチに交代要員は居ない。
助っ人は事前申請しなければいけなかった。つまり、試合を続行する場合は八人で。
(詰んだかな、こりゃ――)
絶望に打ちひしがれ、オレは天を仰いだ。
「みんな!」
この時オレは、幻聴だと思った。
藁にも縋る思いが作り出した幻想だと、本気で思った。
何故なら――
「アコ、ニス…………?」
ピティエが疑問を含んだ声を上げた。それでオレは観客席、バックネットの方へと顔を向けた。
アコニスが、そこに居た。
「フレーヌ! わたしのグローブ知らない?」
「あ、ああ。グラウンドに入ってくる途中にロッカールームがあるから……」
そこに置いてある。全部聞き終わらない裡に踵を返し、アコニスは全力で駆けていった。
『ピッチャーの交代を宣告します』
既に駆け付けていたミニュイが毅然とした態度で審判に申請し認められた。場内にアナウンスが響き渡る。




