解放
「はあっ はぁっ はっ は…………っ」
膝を着き、バットで上体を支えながら肩で息をする。
全くの想定外に頭が混乱していた。
だが呼吸が浅いという事はオレは今、最高に焦ってる。一旦落ち着いて――
「本当に、素晴らしい打者だな。貴様は」
「あ?」
返球を捌き、微笑を浮かべるペシェットが地に這いつくばるオレを見下ろす。
険が取れ、吹っ切れた清々しい笑顔。とても試合前の彼女とは似ても似つかない。
「ったく、楽しそうに投げやがって。そっからの景色は、そんなに最高かよ?」
いつまでもへこたれてはいられない。膝に手を突き立ち上がったオレは、一度打席から離れて素振りを一回。これで雑念を払う。
これはいわば、心をリセットするためのルーティンワーク。
素振りに「雑念を払う」という意識付けを反復して繰り返すことで、実際に心がそう動くよう脳にプログラミングした。
原本にあった心法の一つ。呼吸に意識を向けることで集中を促す、瞑想の応用。
「…………よし」
心機一転したオレは再び打席に立った。
(とりあえず、球威は二割増しってトコか……)
テンション爆上がり。脳汁ドバドバでブースト掛かっているんだろうが、無限の体力なんて存在しない。その反動は終盤に必ず来る。
限界を早めるためにも、ここは打っておきたい。
そして球が投げられる。高めに浮いたこの剛速球は、果たしてカットボールかツーシームか。いや、これは――――
(スプリットかよッ⁉)
よりにもよって、このタイミングで。予想だにしてなかったオレは対処し切れず、バットは虚しく空を切った。また三振。
だが、まだだ。まだ終われない。まだあと、一打席ある。
ラシーヌが繋いでくれた。
(そうだ――)
このままズコズコ、手ぶらで帰る訳にはいかない。打席で見て、感じたことを彼女に伝えなければ。
「ちょっと、耳を貸してくれ」
「ほ?」
打席に向かおうとするラシーヌを呼び止め、密かに言葉を交わす。
「奴さん、今テンション爆上がりで球威も二割増しになってる」
「え? ホントに?」
無言で頷く。正直、信じられないのはオレも一緒だ。
「相手にはとりあえず、キツ~イ反動を九回に喰らわせてやりたい。だからこれからベンチに戻って、バント地獄を提案しようと思ってる」
少しでも勝率を上げるために。打てる手は何でも打つ。
「いいねソレ。乗った」
納得してくれたようだ。彼女の背中を見送りダグアウトに戻ると、さっそくミニュイにお伺いを立てた。
ラシーヌがスリーバントを失敗し引き揚げて来ると、全員にさっきの話を伝えた。
「待球はもういいの?」
首を捻るミカから出たのは、当然の疑問。
「はい。早い段階で百球を投げさせるのが目的だったので、それはもう達成しました」
だから次の段階へ。
「後はそっから、どうやって体力を削るかです」
「要は、バント処理で走らせたいのね?」
そういうこと。リュクセラの確認にオレは頷く。
「そのためにも。まずはこの回を抑えます。とりあえずボール球でフライやゴロを打たせるつもりなんで。皆さんは守備の方、よろしくお願いします」
これからがオレの配球の本領発揮だ。そのためにもまず、オレは仲間に頭を下げた。
「よし、行こうみんな。この試合、ぜったい勝つよ!」
『ハイッ!』
ミニュイの力強い激励に、オレたちも声の限り応える。どうやら、吹っ切れたのは彼女も同じようだ。
バットからグローブに持ち替え、オレたちはそれぞれの守備位置へと向かった。
二巡目の九番打者を前に、オレはマスクを被る。
(さて。こっちも仕掛けてかねぇとな……)
再び打席に立つデボラを見上げる。寝かせたバットを担ぎ、上体を捻って力を溜めているのは相変わらずだ。
恐らく、ユニコーン寮の打線はパワーヒッターやプルヒッターとか、各々が独自のスタイルを持って自分のバッティングに専心しているようだ。
狙い球や打線の繋ぎを意識するチームバッティングとは真逆の発想。
それならそれでやり様はある。まずは直球のクロスファイヤー。内角低めで思いっ切り差し込んでやる。
「ファール!」
打球は小さく跳ねて後方へ。少し詰まったようだ。内角球はまだアジャストしてない。
次も内角。スローカーブで大外からベースの前側に落とす。これもファールにされたので追い込んだ。
(よし。それじゃボール球を解禁しますか)
今度は内角低めのコースにスライダー。ピティエが速球を投げると、それに合わせてデボラがスイングを始動。軌道の変化に気付くも、もう遅い。
「ストライクッ バッターアウト!」
最後は空振り三振。二巡目をいい形で終われた。
三巡目の打者が来る前に、オレはピティエの下へと駆け寄った。
「ナイスピッチング。注文通りの良い球だったぜ♪」
「はいっ ありがとうございます♪」
オレの称賛に屈託なく破顔する。ここまでは予定通り。
「それじゃあ、いよいよ本番だ。準備は良いか?」
「はい。覚悟はできてます」
力強く頷き、落ち着きを払った声色で。これなら、十分に勝算のある勝負ができる。
「頼りにしてるぜ」
「はいっ」
笑みを浮かべるピティエをマウンド上に残し、オレは背を向けた。
首を固定しながら観客席に目配せをする。未だアコニスの姿は見えず、救出の一報も無い。欲を言えばこの好打順を無失点で抑えたい。
(でもまあ、そんなに甘くはねぇよな……)
二失点は覚悟の上。そういう腹積もりでオレは再びマスクを被る。
「ハイ、ワンナウト――――! バック、守備の方、よろしく頼んますよ!」
野手を盛り立て、威勢のいい声援が内野で交わされる。これでお膳立ては整った。
「さあて。そろそろこの膠着状態、木端微塵に吹き飛ばして差し上げますわッ!」
投手に向かってバットを突き出すセレスティーナ。これが虚勢に聞こえないから厄介だ。
「負けませんッ!」
ピティエもボールを突き出して宣言する。
互いに構え合うと静寂の中、二人の間で空気が張り詰めていくのを感じた。
オレはミットを構える前にサインの交換。この試合で始めて、ボール球から入る。
スモーキー投法。関節を柔らかく使い、腕をしならせて相手から球を隠し、リリース時に突然ソレが現れる。
コースはアウトロー。速い球が外角低めを突き進む。すると軌道を変え、ストライクゾーンを僅かに避けてミットに収まった。
「ボール」
「…………」
アウトコースの高速スライダーをセレスティーナは振らなかった。やはり、選球眼は一級品だ。最初から分かっていたことだが。
再びバットを構える彼女は、打席に立った時の饒舌さとは打って変わって静謐そのもの。
(いっそ、不気味なくらいだな……)
尚且つ泰然自若としていて力みや気迫が全く感じられない。
オレの野球人としての本能が告げる。コイツはヤバイ、と――――。
(いやいや。だから、最初っから解ってたことじゃねぇか……)
今更ビビんな。肚を括れ。自分自身に言い聞かせる。
ピティエも覚悟ガンギマリな訳だし。オレはゆっくりを息を吐き切ってから再びサインを出す。
次もボール球。膝元にシュートを捻じ込んでもらった。相変わらず振らない。
まるで、肉食獣だ。
獲物を狩るため、視界に捉えながらも茂みの陰から動かず、静かに息を殺してその瞬間まで虎視眈々《こしたんたn》と雌伏の時を過ごす。
(『勢い』のある『姿』と書いて姿勢とは、よく言ったもんだぜ)
打撃への気配を殺しながらも、オレの本能はしっかりとそれを感じていた。
先の打席で確信した。迂闊に直球は投げられない。
多分、相手はアコニスのクロスファイヤーを想定して対策してきてる。
少なくとも、セレスティーナとプリメラには直球では確実性に欠ける。出し惜しみせず、布石として使うしかない。
(だったら――)
オレは三球目のサインをピティエに伝える。今度こそ、ストライクを取りに行く。
三球目にピティエが投げたのは、内角ギリギリの緩い球。スローカーブの次に遅い球、フォーク。少しホップした球は上擦った軌道から膝元へ落ちていく。そのままベースの――
「ファール!」
掬い上げようと振り抜かれたバット。風を斬り裂く弾丸ライナーは一塁線の横を痛烈に跳ねて転がっていった。
(もしかして、狙われていた……?)
十分あり得る。膝元への直球を運ばれた後だし、枠内に入るようなら迷わず打つよう、ヤマを張っていたとしてもおかしくはない。
だが、これでツーボールワンナッシング。まだ打者に有利なカウントだが、ここからだ。




