改悛
そう――――
だからこそ、ずっと距離を置き続けた。極力関わらないように。そうすれば、守れるものがあると信じて。
守れたのは結局、自分のどうしようもない程ちっぽけな矜持だけだったが。
ミニュイから逃げ続けて野球に打ち込み、実力が上がれば上がるほど周囲から尊崇を浴び続けた。
そうして活躍し続ける間に、ミニュイへの風当たりも穏やかなものに変わっていった。
それを知ってから、私は気を良くして益々野球にのめり込んだ。称賛を浴びる自分に酔うことができた。
ちやほやされるのは、とても気分がいい。
結局私は、入学当初から何も変わっていなかった。
「私は、本来なら他人から尊敬されるような人間ではない。ミニュイと向き合うのが怖いとか、ちやほやされるのが嬉しいとか。私はずっと、自分のことばかりだ……」
だからこそ、今だけはありのままの心根を明かそう。
「正直に言うとなスリジエ、私はお前が羨ましい。私心を捨て、主に忠義を尽くす。そんな芸当、私には到底できない。だから、私はお前に相応しくないと思う。
今言った通り、私は卑怯で、臆病で。本当にどうしようもない人間だ。ミニュイに嫌わても仕方が無いようなクズだ」
(ああ――――)
人間のクズ。認めてしまえば、案外と気が楽なものだ。
勘違いしていたのが、そもそもの過ちだったのだ。
自分は上等な人間である。何故なら、貴族だから。英雄の血を現代に受け継ぐ貴き血筋なのだから。人格も素晴らしく、称賛されるのが当たり前。清らかな心の持ち主。それが私。
実際は、全くもってなっちゃいないクズだったが。
「それが、貴女様の抱える後悔なのですね?」
「ああ。そうだ……」
二言はない。全て吐き出した。お陰ですっきりした。
顔を上げた私を、立ち上がったスリジエは引き揚げてくれた。
しっかりとした足取り。頭を打った後遺症は無さそうだ。
(よかった……)
そのことが、私はとても嬉しい。私はまた、何かを失う所だった。
「ペシェット様。貴女様には、このスリジエが付いております」
「え? いいのか?」
こんな私で。思わず聞き返してしまった。
「少なくとも、お仕えする相手を選べるなら、ワタシは貴女様が良い。セレスティーナ様でも、おネット様でも。ましてや、学長であるソラニテ様でもなく、ペシェット様。貴女が」
「スリジエ……っ」
目が潤んで仕方がない。こんなにも心の清らかな少女が、卑小な私を使えるべき主として選んでくれるなど。
これ程の、いやこれ以上の、僥倖があるだろうか?
冥利に尽きるというものだろう。
「ペシェット様。卑しくも従者としてのお願いが、一つだけあります」
「なんだ? いいぞ、言ってみろ。私を主と慕ってくれるお前の頼みなのだから」
シニヨンに結い上げた鴇色の髪を揺らして小さく頷き、それから口を開く。
「どうか、向き合って下さい。私と一緒に、ご自身の後悔と」
「え?」
スリジエが私の肩越しに視線を送る。振り返ると、そこには口元に両手を当て涙を流す黒髪の少女が。ユニフォーム姿のミニュイが居た。
漸く思い出した。自分が今、何をしていたのかを。
今日は野球の試合で、捕手として私の球を受けていたスリジエが打球をマスク越しに喰らい、軽い脳震盪を起こして一瞬、気絶していたのだ。
気が動転していて完全に忘れていた。というか、スリジエのことしか見えてなかった。
思いっ切り自分の都合で試合を中断していた。
「あ、えっと……っ」
無言のスリジエに手を引かれ、私はミニュイと対峙する。
さっさと試合を再開しなければならないのだが、そんなことを言える雰囲気ではない。
私は改悛し、スリジエに背中を押され、自身の後悔に向き合わなければならない。
ただ、公衆の面前であんなにも赤裸々に語ってしまった事が物凄く恥ずかしくなり、居た堪れなくなって身の置き所がない。
頬が熱い。全身から汗が噴き出る。火が出るくらい、顔が赤面しているのが自分でも痛いほど解る。
それに向き合うって、何をすればいいのだ?
今更、ミニュイになんて声をかければいいのだろうか?
「その……」
そうだ、謝ろう。全ては私の慢心と実力不足が原因なのだから。
「ミニュイ。今まで、本当に済まなかった。私は、お前との約束を守れず、あまつさえ危険にさらしてしまった。お前が私を恨むのも、当然だと思う……」
こうして改めてミニュイを前にすると、在りし日の記憶が蘇る。
あれはそう、実家が没落したミニュイを私の従者として雇用することになって間もない頃。
彼女は実家の借金のカタにして売られたため、ずっと塞ぎ込んでいた。
正確には、没落したミニュイの実家がとある貴族に借金と帳消しにする形でミニュイ自身を売ろうとした。
そこで私の実家、デュボア家がその借金を帳消しにする形でミニュイを使用人として迎え入れたのが、私たちの主従関係の始りだった。
それ故、両親に捨てられたも同然の彼女は塞ぎ込んだ。
そんな彼女を見かねた私は言ってやった。
『これからは、いかなる時も私がお前を守ろう。悲しみや、あらゆる苦痛からも。何故なら、私はお前の主だからな』
その結果がこの体たらくだ。
本当に――
「え――――?」
いきなり、抱き締められた。それもミニュイに。
「約束、ずっと覚えて居てくれたんですね……っ」
耳元の声が震えている。やめてくれ、ミニュイ。そんなのを聴くと、私も涙が止まらなくなる。
「当たり前だ。私は……私は、お前の主なのだから……っ」
ミニュイ自身がそれを認めてさえいてくれたらの話だが。
「はい、ありがとうございます……っ」
流れる雫が私の肩に浸み込む。ずっと聴きたかった、彼女の気持ち。それだけで、私の目尻から思いが溢れる。
「いいのか? 私は、お前を……っ」
守れなかったのに。
「はい。もう、良いのです。全ては過去の話なのですから」
(ああ――)
ミニュイの言う通り。たった今、あの事件のことは過去になった。
〇 〇
「試合を中断してしまい、大変申し訳ございませんでした」
二人の侍従とその主は、審判に対して深々と謝罪した。
それから漸く、試合が再開した。
涙を拭いながらマウンドに立つペシェット。その顔はどこか、晴れやかな表情だった。
「いやぁ、すいません。なんか、当てどころが悪かったみたいで……」
マスクを被って戻ってきた捕手に平身低頭、オレは謝罪した。
「いいからプレーに集中してください」
そっけない返事。ただ、恨み言の一つも覚悟していたのでこれはありがたい。
オレは何の後腐れもなく、打席に立つことができた。
「待たせたな」
「いいですよ、別に」
どうやらお互いのわだかまりみたいなのは解けて、気兼ねなく野球ができるみたいだし。
(さて。仕切り直しだな)
再びバットを構える。捕手のサインに首肯したペシェットが大きく振りかぶって、
(は――――?)
剛速球が本塁上に白線を引く。直球によるクロスファイヤー。
僅かだが、直前に見たそれよりも速度が上がっている。
驚きを隠せないオレは、轟音を響かせたミットに目を剥いて凝視していた。
(いや、ちょっと待て。コイツ、もう百球は超えてんだぞッ⁉)
慌ててマウンドに視線を向ける。ペシェットは陶然と目を細め、嬉しそうに口角を上げていた。無邪気に、心から楽しそうに投球している様子が伝わって来た。
球数が百を超えると疲労が蓄積し、投球動作も万全とは行かなくなる。確か、勇者パルフェの本にも書かれていた筈だが。
それに個人差や程度問題がついて回るなど、当時はそんな発想には至らなかった。
これでは、立てた方策が全部無駄に終わってしまう。
(いや、違う。長年のわだかまりが解けて、最高にハイな状態になってるだけだ)
あくまで、一時的なもの。そう結論付けることで最悪の未来を打ち消した。
「来いやあッ!」
吼えることで、オレは自分を鼓舞する。まだ、終わる訳にはいかない。
最終回の九回まで、相手を少しでも消耗させなければ。
上体の溜めを使い、三塁側から投げられたのは緩い球。角度の付いた山なりの軌道で枠を外れたアウトコースから内角へと斬り込んで来る。ベースの外縁部に落ちて来るカーブは点でしか捉えることができない。更に、
(コイツ、キレが――)
増している。目測を誤ったオレは、バットを触れさせることしかできない。ファールにするのが精一杯だった。




