走塁の妙
二死二塁の場面で、迎える打者はミニュイ。
四番に座っているものの、ラタトスク打線の実質的な三番手。
(そう言えば、バッティングが少し変わったんだったな……)
一礼する彼女のことを眺めながら、派遣した部員からの報告を思い出していた。
確か、スイングスピードが向上したとか。仲間内でそう評価されていたらしい。
(正直、眉唾物だな)
身内同士の極甘な評価で、一体何が分かるというのか。大体、そんな簡単に――
(勇者パルフェの指南書か)
すっかり忘れていた。『七家』の『秘伝』が記されているとなると、話が変わって来る。
事実、『秘伝』の威力は自分が一番よく知っている。となると、やはり油断はできない。
「さあ、行くよッ!」
「……っ」
溌溂とした笑顔を見せるミニュイ。私は独り、奥歯を噛み締める。
呼び覚まされるは昔の記憶。エヴェイユに入学する前。屈託ない笑顔で私の後ろをついて来たあの頃。
『あの事件』から、ミニュイは変わった。屈託ない純真さは失われ、今は感情を押し殺したような笑みを浮かべるだけ。
もう、あの頃には戻れない。流れ去った時の残酷さを感じずにはいられない。
サインを見れば牽制。踵を返し、二塁を守る部長のオネットに豪速球をお見舞いする。
セーフ。チョロチョロと、背後を這い回って気持ち悪い。生理的嫌悪感すら抱く。
もう一度牽制球。やはりセーフ。アウトになる迂闊さは無いらしい。嫌になる。
初球は先程ブリュムに土を付けたクロスファイヤー。唸りを上げる剛速球がホームベースを斬り裂いて打者に迫る。
「ふっ――」
戦慄が走った。空を斬り裂くバットスイングは、まるでフレーヌのようだ。
「ストライク!」
審判の声で私は我に返る。そうだ、今は試合の真っ最中だ。感傷に浸っている場合ではない。
「ナイスボールです」
立ち上がったスリジエの返球を受け、私は気を引き締める。
(わざわざ報告して来るわけだ……)
一段と手強くなった。
次の配球は内角の内側に食い込むストレート。ミニュイの頭に直球が残っている間に振らせるための釣り球。
「むんっ」
通常のステップからのスリークォーター。喉元を抉りに来る直球がミニュイを強襲。
「くっーー」
(そうだ、振れッ)
「ボール!」
ハーフスイング。ストライクに入らない撒き餌の直球に対し、ギリギリでスイングを止めて見送った。
よく見てる。あのコースは普通、顔面を意識して仰け反るか、身体に近い分速度を感じて気圧され、堪らず手を出してしまうのに。
三球目はどうするか。外角を逃げていくカーブで打ち気を逸らす。
ミニュイは身体を強張らせながらも、」きっちりと待球して見送った。ボール。
四球目はラタトスクの連中が対策して来たスライダー。高めに投げて釣り球にし、最終的には枠の外に逃がすコース。ああ。それで行こう。
力強く踏み込み、十分に力を溜めてから一気に解放。回転の乗った球は高速でストライクへと猛進した。
打席手前で軌道変更。ホームベースを外れたそれをスリジエがミットを伸ばして捕球。
ボール。中々撒き餌に釣られてくれない。厄介だ。
(もうスリーボールか……)
ストライクはまだ一つ。こうなった以上、迂闊に枠の外へは投げられない。
スリジエのリードは外寄りの真ん中から内角に沈み込むツーシーム。成程、一瞬でも直球と錯覚させれば追い込める。
自信を持ってツーシームを投げる。こちらが枠に入れて来ることを見越して振って来た。
(読まれた――――っ)
ツーシームの変化に合わせて体を開き、バットのスイングが球とかち合う。
上辺を叩かれた球が地面でバウンド。スリジエの頭上を越えてファールグラウンドへ。
「ストップだよ~っ」
三塁コーチャーが制止を促す。盗塁からホームベースを狙うラシーヌは三塁を蹴ってから数歩進んだ距離で停止。スリジエが送球の素振りを見せると引き返した。
「抜け目のない奴め……」
油断も隙もない。これで二死三塁、フルカウント。
(さて。どうするか……)
追い込まれたこの状況で侍従が出した答えは、牽制球。
「フッ」
リードした分を転回、ヘッドスライディングで帰還。中々アウトを取らせてくれない。
チョロチョロするな。鋭い眼光で睨みを利かせるも、平然とリードして三塁を空ける。
「雑魚は放置です。バッター勝負」
抑揚を押さえたスリジエの声がよく通る。そんな彼女の次なる要求は、外寄りの真ん中から低めに落とすスプリット。
それがいい。事前情報も余りないだろうし。これ以上の解答もない。
プレートの三塁側に足を置き、平行に足を踏み出し――
「えっ――」
既にラシーヌは駆け出していた。ホームスチールだと?
(くっ――)
ここで暴投するわけにはいかない。なんとか立て直しを図り、軌道修正して外角高めに投げた。
ダメだ。球に力がない棒球――
快音が響いたのはバットから。痛烈な当たりが一・二塁間を飛び越え外野の芝生に落ちる。ラシーヌはホームを落とし、ミニュイも進塁打で一塁に到達。
初回の二死という場面で、むざむざ失点してしまった。不甲斐ないにも程がある。
「まったく。他人をザコだと侮るから、こうなるんだよ」
ラシーヌはユニフォームについた土を払い、淡々とベンチへ戻っていった。
ラタトスク寮は私から一点をもぎ取った英雄に対し、ミカが熱い抱擁を交わし口々に生還を言祝ぐ。
「申し訳ございません!」
駆け寄って来た侍従が開口一番、深々と頭を下げた。
「いや。お前は悪くない。アレは、私の苛立ちを代弁したようなものだ」
よくやっている。頭をポンポンと撫でスリジエを労った。
「ですが……っ」
今にも泣き出しそうに顔をくしゃくしゃにするスリジエ。自分の不甲斐なさが許せないのだろう。そんな事は無いんだがな。
「ハイ、ツーアウト一塁。ほら、そこのバッテリー。この程度のことで、わざわざタイムなんか取って差しあげませんことよ?」
声を張り上げていたのは腰に手を当てるセレスティーナ。
「ハイ! ツーアウト、バッター勝負ッ!」
「バッター勝負。ペシェット様、自信を持ってお投げ下さい」
私も負けじと声を張り上げると、スリジエも声援を送ってくれた。
バックも声援を続々と送ってくれるのが頼もしい。
五番手の打者はフェルム。頑丈さと膂力が特徴の鉄魔族でもある少女は典型的なパワーヒッター。
私は左打者の方が与しやすいので相手に――
(いかん、気を引き締めろ)
既に失点しているのだ。楽観的に構えていい状況じゃない。
油断せず行こう。初球の注文は何か、スリジエに向き直る。
だが――
「なんなんだ、アイツは……?」
現在、五球を投げた。しかし、相手は一向に振って来ない。そのことに私は困惑していた。
手も足も出ない、という訳でもなさそうだ。私が投げる度に踏み込んでおり、上体を突っ込ませ球に顔を近付け観察しているようだった。
とにかく振って来ない。それがとても不気味だった。
六球目は外側からストライクになるカーブ。うむ。ここは慎重策で行こう。
結果はストライク。顔を近付けて凝視するも、最後まで手は出さなかった。
「なんだったんだ……?」
ベンチに引き返した後も、疑問がいつまでも私の中に燻ぶり続けた。
私はグローブを外し、木板を仕込んだ革製のプロテクターを脚と左腕に装着する。
「さぁて。ようやく打席に立つことができますわ。この時を、どれだけ心待ちにしていたことか」
「申し訳ございません、セレスティーナさま。予想外に手こずりました」
嬉々としてバットを握る主砲に、プロテクターを外すのを止めたスリジエが陳謝した。
「気にすることありませんわ。すぐに打席が回って来るでしょうから、しっかり借りを返してきなさい」
指先で眼鏡を直すオネットがフォローを入れる。
「そうだねっ こっちも初回から得点してこうよっ!」
「賛成」
「異議なし」
「うん、がんばろう」
「せやで、スリジエ」
「逆転逆転っ」
先制されたことに気後れする事も無ければ浮足立つ事も無い。本当に、頼りになるチームメイトだ。
ふと、時計を見れば時刻は一時半。試合開始は少し遅れたものの、順調に経過していた。




