ラシーヌの見せ場
三振に倒れた状態でベンチに戻るのは、正直気が重い。
凡フライなら叱責されて終わりだが、気落ちしている相手を労ろうとする微妙で気まずい雰囲気に当てられると居た堪れない。
(テンション上げていかねぇとな)
お通夜なんてまっぴらだ。試合もコミュニケーションも、先手必勝が肝心。
「作戦通り。待球で粘って、相手に八球も投げさしました!」
ニカッと力強く笑い、ピースサイン。ベンチのみんなが一瞬、呆気にとられる。
ややあって――
「そ、そうよねっ うん、ナイスバッティング!」
ミニュイが一際大きな声で励ましてくれる。
「ええ、そうね。よく粘った!」
「すごかったです、フレーヌさま!」
「ん。次に期待」
暗い気持ちを払拭しようと、ベンチ全員がオレの健闘を称えてくれた。
「ありがとうございますっ 次は、必ず塁に出ます!」
そうだ。今は気落ちしてる場合じゃない。なすべきことがある。
「よっしゃ。それじゃあスコアブックを――」
「もう、付けておきました♪」
微笑むピティエがスコアブックを見せてくれた。
「大丈夫か? 今日はお前、ずっと出ずっぱりなんだぞ?」
オレとしては、少しでも体力温存に努めて欲しいのだが。
「いつもやってる事ですから。大丈夫です♪」
フンスと力強く笑顔で頷く。こうなったら好きにやらせるしかない。
「あ、そうだ。さっきの初球はスプリットだ」
「は?」
「なにそれ?」
この日のための隠し玉。ただ、今日が初お披露目な分、付け入る隙はあるだろう。
スプリットの説明をしたオレは、ひとまず記録は彼女に任せてラシーヌに声援を送る。
「よし、行けラシーヌっ 特訓の成果を見せてやれ!」
ラシーヌが仕掛けた奇策はなんと――
「なっ――」
〇 〇
勝利した。身体の細胞という細胞が歓喜に沸き立つのを一身に感じ、私は頬を上気させていた。
「雪辱戦の勝利。おめでとうございます」
「ありがとう、スリジエ」
駆け寄って来た侍従が私の勝利を喜び、言祝いでくれた。こういう時、従者が居てくれるのはありがたい。
弾む足取りのスリジエを見送り、彼女から手渡された球を握り直す。
熱戦だった。その熱が、未だ白球に籠っているような気がした。
「おねがいします」
二番手の打者が打席に入って来る。名前は確か、ラシーヌ。アガットからヒットを打ったらしいが、特に見るべきものもない。
(ピッチングにラッキーパンチ《マグレ当たり》は、常について回るからな)
ラタトスク寮の打者で警戒すべきはあと二人。ミニュイとピティエ。
フレーヌと比べると実力は数段落ちる。全力を出せば完封できる相手でしかない。
打者が一巡するまでは、スリジエにリードを任せる。
(さて。私は何処に投げればいい?)
眼差しで問い掛ける。即座にサインを送って来た。一球目は高めを外れるスライダー。
プレートの位置は三塁側。ここから投げるスライダーは右打者の胸を掠めていくから、相手を尻込みさせるのに丁度いい。
大きく振り被り、しっかりと上体の溜めを作ってから投げ放つ。
ボール。相手は仰け反って大きく回避。
(馬鹿め。そこまでしなくても、当たるものか)
ちゃんと制球しているのだから。だが、雑魚ならそんなものか。ボールとストライクの見極めができなくても、そう不思議ではない。
(たかだか数年の野球経験ではな……)
二球目はやや身体を開きながらの直球。これも高めに外す。先程のように避けるのが仰々《ぎょうぎょう》しい。さすがに苛立ちが募る。
(次はいい加減、ストライクを取りたい)
ここまで意気消沈すれば、次の球も滅多に手を出してこないだろう。
それを見越してスリジエも私にストライクを要求して来た。
サインは外角低めのカーブ。速球を囮に使った遅い球でタイミングを取らせない。いい判断だ。
頷いた後で振りかぶり、リリースポイントで手首を捻って投げた。
すると、彼女はバットを水平に寝かせた。
(バントだとっ⁉)
完全に不意を突かれた。
球がバウンドするのと同時。身を這うように身を低くし、一塁線を転がる白球と並走するラシーヌ。
投手の私は少し遅れた後に野手へと転身。球に駆け寄り拾い上げた。
「クソッ」
もうあんな所に。だが、私の豪速球なら――
「投げるな!」
三塁側から制止の声。反応して投げるタイミングを失う。
「セーフ!」
一塁塁審が両手を水平いっぱいに広げる。
ラタトスク寮のベンチサイドがバント成功に沸き立っていた。それに応えるように掲げるピースサイン。さっきから神経が苛立って仕方ない。
「誰が――」
折角アウトにできたかもしれないのに。抗議の意味も込めて声の主を探す。
怒りを滲ませ腕組みするセレスティーナの姿が視界に飛び込んで来た。彼女だ。
ハラハラと落ち着かないスリジエを横目に、私はマウンド上に帰還する。するとあろうことか、セレスティーナが近付いて来た。
「何で、ふ――――」
彼女が思い切り私の頬を挟み込んで来た。これでは言葉が発せられない。
「一体、いつから。この試合は貴女の決闘になったんですの?」
「――――っ⁉」
戦慄に身体を震わせた。セレスティーナの落ち着きを払った声。だが、怜悧な視線が彼女の静かな怒りを雄弁に語る。
「まったく。いいですこと? ペシェット。後続をしっかり仕留めて、早くわたくしを打席に立たせなさい」
彼女は私の胸をグラブで叩いてから所定の位置に戻っていった。
「ハイ、ワンナウト。一・二塁間は連携を密に。皆さん、ケッツーを狙えますわよ? 投手はバッター勝負を!」
「ペシェット、楽にね?」
「打たせてもいいわよ?」
「ワンナウトー!」
内野陣が声を張り上げ、守備を盛り立てる。
(認めざるをえまい)
自分が相手を過小評価して油断していたことを。
もう、相手を侮ることはしない。決意を新たに、三番手の打者を私は迎え撃つ。
右打席でバントの構えを見せるのはブリュム。
ミニュイが違法薬物所持の咎でラタトスク寮に左遷した当初から共に野球をしていた数年来の経験者。
(別に。羨ましい訳ではない……)
ただ、下位打線と比べれば十分に油断できない相手。失投の一つでも放ってやれば、容易く外野に持ってかれる。
(さて――)
スリジエに目を向けると、要求は牽制。
(ああ。そうだった――)
プレートから足を外し、一塁に振り返りざま剛速球。リードを取って塁を空けた走者を刺す。
判定はセーフ。どうにか命拾いしたようだ。
(あの俊足、ヴィットリアを彷彿とさせるな……)
返球を受けながら青い豹頭の遊撃手を思い出した。だとしたら、次からは塁上に出さないでおこう。
初球は内角高めの際どい所へ直球。悪くない。
走者が居るのでモーションは最小限に。大きく振りかぶらず、クイックで投げる。
「ちょっ⁉」
(なっ――――?!)
一塁コーチャーの短い悲鳴。間違いない、盗塁だ。
「バッ――」
ブリュムも慌てていた。これは独断での単独スチール。お陰で少し冷静になれた。
高めに浮いた直球はスリジエのマスク目掛けて飛んでいく。彼女は即座に腰を浮かせて捕球態勢。ブリュムがバスターでわざと空振り。これでは送球ができない。
「セーフ!」
盗塁成功。再びラタトスクベンチが歓声を上げた。
「おい、誰が盗塁をしろと言った⁉」
「ナイスアシストー」
「やかましいわッ!」
ブリュムが怒るのも無理はない。それにしても、よく咄嗟に合わせたものだ。彼女のことはもう少し警戒しておこう。
「でも、これでやりやすくなったでしょ?」
確かに。これでもしゴロやフライになっても二塁走者は動かなくてもいいので併殺は起きにくい。
「まったく……」
バッティングを確認したブリュムはバントを辞めた。ヒッティングを狙っていくらしい。
「上等だ……」
私はひとり零す。サインは内角の内側に入り込むスライダー。うむ。それで行こう。
大仰な投球フォームでなくとも、上体の溜めは十分作り出せる。
ソレルのように、インステップから相手の上体に向けてスライダーを放つ。
釣り出されたブリュムがバットを振ると、詰まらせてファール。ノーボールツーナッシング。
三球目はクロスファイヤー。外角を掠めていく剛速球をブリュムは追い切れない。
空振りの三振。
(当然だな)
右打者の外角を掠めていくあのコースは極めて手が出しにくい。内角に布石としての剛速球を放られていたら、尚更のこと。
「ツーアウト。バッター勝負!」
さあ、次の相手はいよいよ――




