歴史の闇
愛孫の質問に、ソラニテは押し黙る。無言の中、時間だけが過ぎていく。
「……ふむ。手紙にその様なことが書かれておったとはな」
闇に染まる虚空を見詰めるソラニテ。何かしら、逡巡しているみたいだ。
「へぇ。随分と面白いことが書かれていたのね」
クスリと笑みを零すのはソレル。今まで沈黙を貫いてきた分、皆の注目を一身に受ける。
「多分、その話は本当よ」
「何故、そう言い切れる?」
「だって、聞いたことがあるもの。本人から♪」
とんでもないことをサラリと言ったぞ。この女。
「本人?」
「まさか――」
「ええ。その、まさか♪」
驚愕するドロテアの様子を面白がるように、悪戯っぽい笑みで下唇を指先で触れる。
アルクフレッシュ流野球道の開祖、ティリア。
かつては魔王軍と戦い、勇者パルフェと轡を並べて魔王討滅に多大な貢献を果たした英雄。
齢四百を超えて生き永らえる歴史の生き証人。生前のパルフェをよく知るただ一人。
ソレルはアルクフレッシュ家の次女でもあるのだから、接触する機会があっても不思議ではない。
「そうだったんですか……?」
目を剥いて祖母を見遣るペシェット。そうだと、首を縦に振る。
真相はこうだ。
勇者パルフェは自身と八人の少女たちを中心に魔王討滅へと赴き、それを果たした。
それから、平和になった世でパルフェはまず、八人の少女たちに野球を教え始めた。
以前からアコニスのご先祖は権威とかそういうものには全く興味を示さなかった。
勇者パルフェを中心に何年にも亘って世界中に野球を普及させるための旅を続け、世界各地を巡りパルフェの第二の郷里、黎明に皆で戻って来た後でどこかに行方をくらませてしまった。
その後、ティリアたちは『七家』として祭り上げられることになり、八人目の存在は教会が意図的に歴史から抹消し今日に至る。
「その八人目を抹消した理由は単純。吸血族だからよ」
そんなことまで、ティリアは子孫に話していたという。
魔王軍には魔族が従軍しており、吸血族もまた魔族で、一部の勢力が人類を大いに脅かしていたとか。
自分たちの正当性を喧伝するためにも、吸血族なんて居ない方がいい。
そんな下らない理屈がまかり通っていたのだろう。
都合の悪いことはすぐになかったことにする組織なら、当然の措置ともいえた。
「胸糞わりぃ話だな……」
オレは吐き棄てた。だって、これではあんまりだ。
「その話は、儂も前当主から一度だけ聞かされたことがある。だから本当だ」
しかし、なんの関係調整もなく事が明るみになると責任を取らなければならない人物が出て来る。そうなると怨恨が生じ、面倒事が増えるのだそう。
「迂闊な事をすればアコニスにも迷惑が掛かるし、この学校にも何らかの不利益が生じるかもしれん」
だからアコニスの出身は『七家』と同格の英雄の血脈という事実は伏せておく、という話でまとまった。
「本当に、それだけですか?」
疑問を呈するのはソレル。確かに、少し消極的な感じがしないでもない。
単純にソラニテが興味ない、というだけなのかもしれない。そんな邪推が頭を過ぎる。
「……ふむ。ならば、儂の目的を知る覚悟はあるか?」
翻訳を見せびらかしながら、老婆は不敵に笑う。
「その、原本を使って何かしようと……?」
オレも堪らず彼女を問いただした。『協会』と争奪戦になるリスクを考えると、生半可なことはやれないし、考えてない筈だ。
もっと壮大な事。そう予想は付くものの、それ以上は想像を絶した。
「儂はな、甲子園で優勝した暁にはこの翻訳を全世界に発表する予定だ」
「えっ⁉」
「は?」
二人が言葉を失うのも無理はない。それをしたら『七家』が代々守り伝えている『秘伝』が陳腐化し、有名無実化する。
『七家』はそれを認めないだろうし、この世界の野球を統括・運営する『協会』も同じだ。
「だが優勝さえしてしまえば、特権によってその瞬間だけは無力化できる」
甲子園優勝によって付与される優勝特権。協会は優勝校の要望を叶えざるを得ない。
特権によって「原本の知識を広く普及させる」とは、豪胆な事だ。
「本当に、上手くいくのでしょうか……?」
ペシェットは不安げに目を伏せる。慎重というか、臆病というか。
「その辺については問題ない」
勝算がある。確信めいた顔でニヤリと笑った。
「それで? 私たちには事前にある程度のことは、教えてもらえるんですよね?」
ソレルの質問は当然だ。全てを明かされるのが優勝の後なら、与する旨味がない。
「無論だ。原本の知識はレギュラー選出の後で解禁とする。それはこの場で約束しても良い」
本当に自信に溢れた泰然とした態度。トップを張る人間として、これほど頼りになる人物も珍しい。
他に何かあるかと訊かれたが、特にないと答えると解散となった。
一礼して退室すると、ドロテアが玄関広間まで送ってくれるというのでそれに従った。
靴音だけが響く暗がりの道中、ソレルから質問された。
「アナタは、事前にこうなることを知っていたの?」
「はい?」
オレが素っ頓狂な声を上げたので、彼女は質問の補足説明をしてくれた。
「そうですねぇ。この本は”世界を変える”と言ってたし、刺客との戦闘も経験したので多分、大事になるんだろうなぁ――とは思ってましたけど……」
その答えに、ペシェットの足が止まる。
「刺客、だと?」
振り返って灯火の光に照らされる顔は怪訝そのもの。
そこでオレは、ソラニテの屋敷に転がり込んだ経緯を説明した。
オレが語る話はよほど荒唐無稽だったらしく、ドロテアが主から聞いた話で補足してくれたおかげでようやく信じてもらえた。
「アナタもけっこう苦労しているのね?」
「いや、まぁ。う~ん、夜襲に関しては、大変だったのはピティエの方だからなぁ……」
確かにピンチではあったが、ピティエの方は本当に生死の境を彷徨う羽目になった訳だし。それから比べると、五体満足で無傷だったオレははるかにマシだった。
「そういう話ではないと思うが……」
「ええ。そうですね」
渋面を浮かべるペシェットにドロテアが同意する。オレ、なんか変なこと言ったっけ?
「フフ。アナタって、意外に面白いのね♪」
おかしそうに腹を抱えるソレル。なんとなく、居心地が悪い。
無言で先を急ぐオレの前に駆け出したドロテアが闇に染まった道の先々を照らし、楽しそうに軽口を叩くソレルにそれぞれが応じながら玄関広間を目指した。
「それでは、皆様。どうかよい夢を」
恭しく頭を下げるドロテア。
「はい。ドロテアさんも、お休みなさい」
「ご苦労だった」
「おつかれさま♪」
侍従は去り際、こちらを振り向くと再び一礼した。それに手を振って見送ると、夜の帳が玄関広間に落ちる。
「それじゃ、私もお暇させてもらうわ」
おやすみなさい。そう告げて颯爽と去っていった。オレとペシェットだけがこの場に取り残される。
「明日の試合、勝たせてもらう」
試合前から早くも勝利宣言。だが、こういう手合いは嫌いじゃない。
「へっ 先輩のクロスファイヤー、ちゃんとスタンドに放り込んであげますよ」
それを聞いた瞬間、彼女の闘志が沸き立つのを感じた。
「……フン。精々頑張ることだ」
踵を返し、帰寮の途へと就いた。
オレも彼女に背を向け、自室へと戻った。
しかし、
(寝れねェ……)
横になって目を瞑っても、眠気や睡魔が一向にやって来ない。
目が冴えてる。これじゃまるで遠足前夜にはしゃぐ幼稚園児だ。
「だーっ クソッ」
たまらず起き出し、オレは新品のバットを片手に中庭へと出た。
素振りで昂った気持ちを少しでも鎮めるために。
ペシェットを挑発したために、彼女の闘志に当てられたのが原因。自身の迂闊さを、少しだけ後悔した。
(でもなぁ。あそこで言い返さないと、オレの気が済まなかったからなぁ……)
月明かりの空を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考える。
考えても仕方ない。まずは身体を動かす。
一本。もう一本と一心不乱にバットを振る。
「いやぁ、ホントいいな、コレ」
素振りの回数を重ねるごとに、身体に馴染んでいくのが分かる。振れば振るほどそれを実感するので、辞めるに辞められない。
そのうち百本は優に超えた。額から汗を流し、実感する手応えに喜びを滲ませながら振り続ける。
(あれ? オレ、なんでバット振ってんだっけ?)
――ま、いっか。当初の目的も忘れ、ただ楽しくて振り続ける。




