母との思い出
遠くを見つめるような視線を虚空に飛ばし、彼女は話を続ける。
ふるさとが魔物によってメチャクチャにされた。それが、彼女の転機になったようだ。
両親が殺され、自分も負傷し、初めて『死』を実感したその時。
先輩の中に眠る膨大な量の魔力が覚醒した。そこで意識が途切れたそうだ。
「再び目覚めた時には知らぬ天井がそこにあってな。後で事情を聞かされ、ワシ一人だけが残ってしまったという訳じゃ」
「先輩、だけが……」
わたしはひとりでに呟いていた。
幼い頃に、突然両親が居なくなる。そんな地獄、わたしには想像すらできない。
日増しに衰弱していく母を看取るのだって、毎日心が引き裂かれそうなくらい辛かったのに。
そして、保護された先輩は高名な魔法使いの大家に養子として迎えられた。
ただ、当時は膨大な魔力の制御が覚束なかったので、魔力を封じ込める封環を身に着けるように命じられた。
「ほれ。これがそうじゃ」
両方の手首を持ち上げて見せて来た。金色の封環が闇夜でも目を引く。
そこで一つの疑問が沸く。
「どうして、今も着けてるの?」
魔法を使えるなら普通、封環を外すと思うけど。
「実はのぅ。修行を続けてから、未だに魔力量の総量が上がり続けておってな……」
「は?」
本人ですら計り知れない膨大な魔力。それを完全に解放すると、周囲にどんな影響を及ぼすか分からない。
そのため、安全措置として未だに封環を着けているらしい。
一般には十二歳までに魔力の総量が決まると、わたしは母に教えられた。
そんな常識が通じない。それだけで、彼女がどれだけ特別なのかが分かる。
「お陰で、常に眠くてのぅ。さっきも、そなたに――――ふぁ……っ」
口元に手を当て欠伸を噛み殺す。本当に眠そうだ。瞳を伏せながら、すまぬと呟く。
常に体調が悪そうにしている理由が分かった。
「別に……」
体質のせいで他人に迷惑をかけることに関して彼女は、心苦しく思っているようだ。
そういうことなら、仕方ない。望んでそうなった訳じゃないのだし。
「それで? そなたは何をそんなに悩んでおるのかのぅ?」
「え――」
声を出して驚いた。そういう風に見られていたとは知らなかった。
「別に」
悩み事なんて、ない。ここに居場所がないだけ。
「――そうか。アコニス、そなたは強い子じゃのぅ……」
わたしの肩に頭を乗せたかと思うと、頭を「よしよし」と優しく撫でて来る。
不思議と嫌な感じはなかった。まるで、母親に撫でられているみたいな。
(おかあさん……)
母を思い出し、気分が沈んだ。
「どうかしたかのぅ?」
不思議そうに顔を覗き込んで来る。
「別に――」
顔を背けようとすると、彼女はわたしの手を両手で優しく包み込む。
「先程の礼じゃ。話すことで、気持ちに整理がつくこともあろう。どうじゃ?」
キレイな翠色の目を細め、首を傾け穏やかな笑みを浮かべる。
「実は……」
自分でも驚くほど自然に言葉が出た。
わたしの生い立ち。母との死別。それから、その母に対する複雑な心境。
相づちは打たない。わたしの肩に寄りかかり、優しく何度もわたしの頭をポンポンしてくれた。とても落ち着く。
わたしはここ《エヴェイユ》に来て、初めて安らいだ気持ちになれた。
「ありがとう、アコニス。素直に話してくれて……」
また、よしよしと頭をなでてくれる。嬉しかった。
「のぅ、アコニスよ」
「うん?」
「人の心はのう。白か黒かとか、善か悪かなどと。綺麗に分けられるものではない」
「うん」
心の中には好悪の感情など、矛盾したり相反する気持ちが常に綯い交ぜになって混沌としているのだという。ちょっとよく分からないが。
「じゃからのぅ、アコニス。感謝したい点は感謝し、恨みたい所は許さずに。どちらの気持ちも、大切に持って居ればよい」
「え――――?」
わたしが目を向けると、穏やかな笑みを返してくれる。
感謝して、許さない。
(二つの心を、持つ――)
「でも――」
いいのだろうか、本当に。そんな中途半端な気持ちで。
「そなたは、母を嫌いたいのか?」
「――――っ」
言葉に詰まった。そんなわたしを、先輩は優しく抱き締めてくれる。
「よいのじゃ、アコニス。無理に割り切ろうとしなくて良い。心は割り切れぬもの。
感謝と恨み。その二つを持つことを、自分に許してやるのじゃ」
「許す?」
彼女が目を合わせてゆっくりと頷く。
その言葉が、なぜかわたしの中にストンと落ちた。その瞬間、強張っていた身体の力が抜ける。心が安らぐのを感じた。
「少しは、役に立てたようじゃのぅ」
微笑む彼女は満足そうに目を細めていた。
「うん。ありがとう……」
気恥ずかしさはあるけど、悪い気はしない。胸のつかえが取れた感じだ。
それから、わたしたちは二人で笑い合った。
〇 〇
空を覆った雨雲も翌朝には立ち去り、薄曇りの雲が日光を反射して輝く。
雨水を多分に含んだ芝生の上で、オレは今日も自主練の他にオイレウスとの手合わせをした。
「いてて……」
お湯を被ると、こさえた生傷が痛んだ。
早朝からオレとオイレウスが闘気を開放して戦うとはた迷惑だとミニュイに諭されたので、木刀と木剣で撃ち合うことに終始。
その結果、結構いいのをもらってしまった。
(オレもまだまだだな……)
負けっ放しは趣味じゃないが、超えるべき目標が身近に居るのは張り合い甲斐がある。
濁った薬湯に浸かると、あちこちにできた生傷が疼いた。
湯舟に身を沈め、痛みと熱さに慣れるまでじっと待つ。
傷の疼きが治まるとオレは人心地着いて溜息を零し、浴槽の縁に頭を預けながら試合までの練習について勘考する。
今日の予定はエギノス村に出向き、例の練習器具に使う木板の調達。角材があればそれも融通してもらおう。それは別の練習に使える。
「あ、そうだ。素材といえば……」
スライムの緩衝材。それが上手く実用化できれば、次はゴムチューブを創ってもらおう。
原本にはゴムチューブを使った練習についても数ページが割かれており、主に下半身やピッチングを補強するためのトレーニングが図解付きで記載されていた。
まだまだ練習については色々と改善できる。練習の効率が爆上がりした成果が試合に反映されればと考えると、ワクワクが止まらない。練習に気持ちが逸る。
「よぅし、やってやるぜぇ……ッ」
「フフ。なんか楽しそうね?」
浴槽の水面から顔を上げると、タオルで前を隠すミニュイが来ていた。
彼女もまた毎日朝練に勤しんでおり、桶で掬った薬湯で汗を洗い流す。
やがて湯舟に浸かると、二人並んで浴室を眺めていた。
静寂の中、隣のミニュイがオレの名を呼んで話しかけて来る。
「それで、今度の試合。どっちを先発させたいって、思ってるの?」
アコニス。オレは即答した。理由を聞いて来たので説明した。
「知っての通り。アコニスの投げ方はリリースポイントが直前まで見えないから、傍から見る以上に速いと感じますからね」
スモーキー投法はとにかくタイミングをアジャストさせにくい。
「それで、完封できる、と……?」
「先輩は、できると思いますか?」
オレの質問に彼女は言葉を詰まらせた。考えていることが同じなようで、寧ろ安心した。
「まあ、先輩の懸念も分からなくはないですよ? オレも、最終的には目が慣れて打たれるだろうとも思ってますし」
だが、その点は問題ない。失点したらピティエに交代させてやればいい。
「うん。そうだといいけど……」
言葉を濁すのは、アコニスがマウンドにしがみ付くことを懸念しての事だろう。
「大丈夫ですよ。アイツも登板にこだわって無様を晒すほどバカじゃない」
負けてもいい、とはアコニスも考えていない。
でなければあの時、オレに勝つための方策を聞いたりはしてこなかっただろうから。
やるからには勝つ。そんな思いがアコニスの根底にあると、野球部の長に話した。
聞き届けた彼女はよかったと安堵の様子を見せる。




