夜の訪問
なんだかんだで、門限ギリギリになってしまった。
力の限り全速で、オレたちは校舎へ急いだ。
「はあっ はあ…………っ」
息も絶え絶えになりながら坂道を駆け上がる。
試合に戦闘、身体を酷使した後の坂道ダッシュはオレでもキツかった。
しかも距離が距離だ。徒歩で片道一時間半の道のりは鍛錬に持ってこいだ。
やがて校門を抜けると、いよいよ校舎の玄関が見えて来た。
「あ、やっと戻って来た」
先頭を走るオレに気付いたメルキュールが大きく手を振る。それに答える余裕もないオレは無言で駆け寄った。
「大丈夫?」
肩で息をするオレは、未だに喋れる状態じゃない。それでもなんとか深呼吸をして弾んだ息を整える。
「もしかして、魔物に襲われたの?」
その声には緊張が孕んでいた。どうやら、血の匂いが消えていなかったようだ。
「…………ええ、まあ。でも、負傷者はいないんで」
メルキュールはオレの言葉に安堵し、ほっと胸を撫で下ろす。
それを見届けると周囲を歩き、少しでも疲労回復に努めた。
やがて、続々とチームメイトが帰寮を果たす。
現在、夜の七時。食堂が閉まるのは八時なので、まだ食べられる。
重い足取りで食堂に踏み入ると、皆一様に冷水で乾いた喉を潤した。
「ああーーーー。死ぬかと思った……」
「お疲れ様でした」
テーブルに突っ伏したミカはげっそりしていた。酒精が回っている分、戦闘の後の全力疾走はよほど身体に堪えたようだ。
そんな彼女に労いの言葉をかけてやる。
「ええ。本当に散々だったわね……」
呟いたリュクセラも顔に浮かぶ疲労の色が濃い。この場に居る全員が未だに虚脱に苛まれ疲弊していた。
その中でもオレはかなりマシな方だったが。
「それで、何があったの?」
心配そうなメルキュールの質問を、誰も答えられそうにない。
仕方ないのでオレが代表して説明した。
あの後。血の匂いを嗅ぎつけた大型の肉食獣、魔犬に襲われた。
炎弾を浴びせたが、全身を覆う漆黒の長毛がそれを防ぐ。ラシーヌとブリュムで攪乱している隙にオレが致命傷を与えて倒した。
連戦に次ぐ連戦で休憩していると、いつの間にかどっぷりと闇の帳が落ちて門限が迫っていることに気付いた。
慌てたオレたちは各自が全力疾走で校舎まで戻って来た。そうして現在に至る。
「大変だったね。あとはゆっくり休んで」
「言われなくてもそうするわよ……」
「お風呂、入りた~い……」
不満だけぼやいて食事もままならない彼女たちに、メルキュールは料理を更に取り分けてあげる。給仕されたそれを、皆がナイフとフォークでちびちびと口に運んだ。
「――あ。そういえば、本はどうします?」
「明日の方が、いいんじゃないかな……?」
苦笑して首を傾げるミニュイ。微笑を口端に湛えつつも、疲れを隠せていない。
特に異論もなさそうなので、オレも明日ということで同意した。
(それじゃあ、できるだけ翻訳を進めとかねーとな)
頭の中でそんな事を考えながら並べられた皿に食指を伸ばす。
メルキュールが優しく見守る中、会話する余力もない野球部は終始、黙食した。
やがて腹が膨れたので食器を片付けに腰を浮かせようとすると、食堂に男子ばかりの一団が入って来た。
「おお、野球部か。珍しいな、こんな時間に。特訓でもしていたのか? 結構結構っ!」
食堂に響く大笑はオイレウス。見れば、汗に濡れた髪に半裸で大剣を担いでいた。
「先輩こそ、どうしたんですか? こんな時間に」
「はははははは! 騎士団の練習で熱が入ってしまってな。グレルが腹が減ったというから、切り上げてきた所だ」
「えへへ……」
恥ずかしそうに頭を掻く白熊の獣魔族。可愛い。
よく見れば、オイレウスが率いているのはラタトスク寮の面々だった。
「先輩達って、『騎士団』なんでしたっけ?」
「うむ! その通りだっ! ははははははは!」
『騎士団』。いわばそれは、武術部とでもいうべき組織。
エヴェイユ学習院では武術大会が毎年開催されており、各寮が毎年鎬を削っている。
そこで優秀な成績を残せば、校内代表として対外試合にもでれるのだとか。
そうやって活躍していれば、将来が嘱望されるほどには安泰らしい。
因みに、それと並行して魔法の腕を競う魔術大会も開催されており、魔法科の有志で構成されるのは『魔法師団』と呼ばれる。
ラタトスク寮では、特待生のヴェニュスが魔法師団を仕切っていると入寮日にメルキュールが説明してくれていた。
食堂の扉が音を立てて開かれる。
視線を向ければ、屈強な男子生徒たちがぞろぞろと入って来た。
「お? アレは……」
その中にはイグニアやゴルジュナの姿が確認できた。
ということは、あの一団はユニコーン寮の騎士団。そういうことになるのだろう。
オレが自分の食器に視線を戻すと、イグニアが気さくに声を掛けて来た。
「奇遇だな。お前ら野球部も練習だったのか?」
「いや、さっきまで麓のエギノスに居てな……」
隠すことでもないし、注意を促す意味も込めて。夜道で魔物に襲われたことを話した。
するとイグニアだけでなくゴルジュナ、オイレウスまでもが聞き耳を立てた。
「へぇ―! スゲーな、俺も戦ってみてぇ!」
「さすがだな。私が認めただけのことはあるな!」
興奮し目を輝かせるイグニアに大笑するオイレウス。違う、そうじゃない。
うーん、完全に当てが外れたなこりゃ……
「いや、落ち着け。確かに無傷で生還できたけど、けっこうギリギリだったんだぞ?」
正直、ラシーヌとブリュムの狩猟科二人の索敵能力にかなり助けられた。
事実、物陰に隠れていた伏兵に気付かなければ、今頃どうなっていたか分からない。
忠言の意味も込めてそう説明する。
休憩時に聞いたところ、二人は狩猟科の特待生で学年の中でもかなり成績優秀らしい。
「ふーん。そういうもんなのか?」
懐疑的な顔を浮かべるイグニア。その一言で、魔物相手の戦闘経験がないことが見て取れる。知らないものはしょうがない。
「そういうもんなの。対人と対魔物、っていうか野外での戦闘は、訓練場とは全然勝手が違うんだよ」
実戦は命懸けのかくれんぼとは、よく言ったものだ。敵の存在に気が付かなければ、そもそも戦闘にすらならない。知らない間に詰んでいる状況だって、実戦では十分にあり得る。
先手必勝は実戦の定石。いかにして相手からの先制攻撃を喰らわないかが生存の鍵。
「今回は斥候が優秀で奇襲を喰らわなかったからな。ただ強いだけじゃ、実戦では生き残れないんだよ」
本当に運が良かった。春先の奇襲で死にかけたことを省みればこそ、最後にそう付け加えた。
「ふーん……」
(あ、なんかあんま響いてないな……)
どこかつまらなそうな顔をするイグニアに、オレは内心ゲンナリした。
「ありがとうございます。とても勉強になりました」
頭を下げたのはゴルジュナ。素直さは美徳だ。屈託なく微笑む少女にオレは目を細めた。
「よく言った!」
「おぅふっ!」
朗らかに大笑するオイレウスに背中を叩かれ、思わず変な声が漏れた。
「よく分かっているじゃないか。さすがだなっ!」
バシバシと叩かれて上手く喋れない。みかねたミニュイとメルキュールが助け舟を出してくれたお陰で人心地着けた。
これ以上笑い上戸の先輩に絡まれては嫌なので、オレはさりげなさを装いながらその場を後にした。
自室に戻ると今度は風呂に入るため、湯気が立ちこめる大浴場へと向かった。
桶を片手に汗と戦埃を洗い流し、心地よい湯船に身を沈め芯まで温まり、ふやけるまで堪能した。
「さて。やるか」
予定通り寝る前に少しでも翻訳を進めておこう。原本を広げ、紙とペンでこの世界の言語に直していく。
机のほのかな明かりの下、ペンの走る音が部屋に降りる夜の帳に響いては消えていった。
〇 〇
か細い三日月が浮かぶ幽冥な夜。
ドロテアを呼び付けた私は、祖母が待つ学長室へと通してもらった。
灯火の明かりで執務を続ける祖母。孫娘が会いに来たというのに、視線の一つも寄越さない。
(……わかっていたことだ)
今更そんな態度に落胆したり不貞腐れたりする歳でもない。
それよりも今は、確かめなくてはいけない事がある。
「お聞きしたい事が、あるのですが……?」
「なんだ? 要点をまとめ、手短に話せ」
探るような私の声を意に介さず、淡々とした台詞が返って来る。
この言葉を口にすれば、後には退けなくなる。
それでも、決めたのは自分だ。




